東に居る頃は、
パートを2つ掛け持ちしてた。
花のボランティアで扱う花も、
訪問する時の交通費も自腹だったから。
あと、短期のアルバイトもしたり、とか。
身体を動かしたり、働くのも好きだったから、何の苦痛もなかったな…
有志で出し合ったお金で花を買って、ブーケやアレンジメントを作って、友達や近所、学校などに配ったりしてた。
それを6年間続けた。
途中、辛くなってやめたくなったのは、
理由は、なんだったけかな…人間関係だったと思う。
忘れた。
〇〇長(教団で立場のある人)に、「やめたいのですが…」と言ったら、
「工夫が足りないんじゃないの? 飽きたんでしょ」と言われて、
「じゃ…どうしたらいいですか…」って、聞いたら、
「そんなんだからだめなんだ、『どうしたらいいですか』ではなくて、『どうさせていただいたらいいでしょうか』、、でしょ?…貴女は言霊がよくないっ」って、叱責。
あのあと、どうしたっけかな。
〇〇長は大ッキライになったけど、
活動は続けた。元来、負けず嫌いだから、いつか、あの〇〇長をぶっとばしてやろうと思ってた。
あの、〇〇長、
定年を前にして、とある理由で、
無職になるらしいとか…聞いた。
『どうさせていただいたらいいでしょうか…』って、今更、
神様に聞いてるのかな。
2025/01/18
手のひらの宇宙、
わたしの手は、
晩飯作って掃除して洗濯して、抱きしめたり握り締めたり、触ったり、耕したり摘んだり手当てしたり、物を造ったり壊したり組み立てたり表現したり…
じゃぁ…手のない人には宇宙はないの?
手の動かない人は、何も創造できないの?
つくるのは、手じゃない、
目を閉じたら開く魔法の目。
今日は、
同僚から、
「今日はさー、阪神・淡路大震災の日だよね…」って、話しかけられた。
その話しをしたのは、そのひと、一人きりだった。
その人は、仕事がいつも遅くてみんなからいつもいつも呆れられている…そういう人。
その同僚は、ほんとにいつも仕事が遅くて、あーもぉ〜って、わたしもいつもいつもイラッとしてしまう。
だけど…、
今日の阪神・淡路大震災の日っていう話題を、わたしは誰かとしようとは思ってなかった…。
その同僚とひとしきり、30年前の話しをした。わたしは、当時電報センターに務めていて、被災した方の家族や友達、親戚や知人の方の、生の声を聞いて仕事をしていた。あの日は、壮絶だった。忘れてはならないのに、忘れようとしている。
…
帰ってからその話しを夫とした。
「いつもバカにされているような人こそ、
大切な事を投げかけてくれる、大事な人だよね」
そういう話しになった。
2025/01/17
今日は反省と祈りの日。
以前、特別支援学校へ、遠足ボランティアに行った時、(今は特別支援学校という呼び方はしないようです)
わたしは、A子さんの車椅子を押す担当になった。遠足はバスで15分くらいの広い公園。地域のボランティアさんや、小学校のPTAボランティアさんも居た。
みなさん手際よく慣れていらして、わたしは車椅子の扱い方や、生徒さんへの話しかけ方などを教えていただいた。
いざ、公園へ到着して、車椅子を押す前に、A子さんにもう一度挨拶しようと思い、前に出て屈んで手を取ろうとすると、サッと手を払われてイヤイヤをする素振り。
嫌われてしまったかな…
と、思ってしまうと、
楽しい遠足が、気に入らない人に車椅子を押してもらうハメになってしまったA子さんに、申し訳ない気持ちになった。
A子さんは、小学4年生で、
わたしの息子は、当時中学生だった。
車椅子を押しながら、花が綺麗ねとか、気持ちがいいねとか、とにかくひとりごとのように、話しかけるでもなく声を出し続けた。黙っているよりいいと思って。
公園の芝生広場まで来ると、
ブルーシートが広げられ、生徒さんたちを車椅子から下ろし、好きな場所に好きなように休ませてあげる時間になった。
わたしもA子さんを抱っこして車椅子から下ろしてあげた。
軽い!!
女の子って、こんなに軽いんだ…
と、思った。
寝っ転がる?
と聞くと、イヤイヤしたので、
じゃぁ、
って、
わたしがリクライニングの座椅子みたいになって、そのままA子さんを休ませてあげることにした。
身体に力が入ってるな…と、感じたので、
「よっかかっていいよ」と言うと、
フッと力を抜いてくれた。
髪の毛からシャンプーのいい匂いがして、ご両親に大切にされてるんだな…と思った。
かわいい…
ツルツルでサラサラの髪の毛、
そっと抱きしめてあげると、
わたしも身体の力が抜けて行くのを感じた。
あんなに手足が細くて、
壊れ物みたいな儚いカラダを
抱きとめた事がなくて…
わたしは、
世の中を知らないょな…って、
A子さんの髪に頬を着けた。
つむじが、温かくて。
今年、
A子さんは22歳くらいだと思う。
わたしのことなど、
もー忘れちゃったかもな…
2025/01/16
昭和のアイドルは、
黒い涙を流してました!!
…3年半ほど、訪問奉仕させて頂いたご家族がいた。奥様はわたしより10歳ほど年下で、お子様は幼児から小学生4人。子育ての真っ最中の女性だった。
信徒ではあったけど、引っ越して来たばかりで友達も居らず、子供の頃からの自律神経失調症、鬱、パニック障害などで疲れているとの事だった。
週1回、センター受入れご奉仕当番にあがっていたわたしは、たまたまその方とお会いしてお話しを伺い、すぐに毎週1回の訪問が決まった。
最初は、下のお子さんの相手。絵本を読んだり一緒に歌を歌ったり折り紙をしたり。
そのうちに女性とも打ち解けて、その方は『外へ出て働きたい…』そういう願いを持っていらした。
1年ほど経つと、信仰仲間から、
「あの女性は元気なんだから、センターへ来てご奉仕できるはず、わざわざ訪問する必要ないのでは?」とか、「どうせお茶飲み友達が欲しいだけでしょ」「お喋りしていい気持ちになって帰ってくるだけでしょうよ…」など、言われ続けた。訪問先では、お茶も水もいただかないし、トイレを貸していただくことさえもない、長くても30分以内。
訪問するときは、先生の許可より先に、
必ず神様に祈る。
なので、わたしが行く、行かないを決めるのは神様なわけで、私一存というわけにはいかない。
その女性が、自分から何か行動を起こす…そういう気持ちになるまでは、周りから何を言われても一歩も引くまい。
そう決めてた。
下のお子さんが幼稚園にあがる頃、
もともと世の中に貢献できる資格をお持ちの方だったので、そういう仕事を始める事が決まった。
現在、そのご家族は元気にゴスペルを歌い、奥様はお仕事でも活躍されている。
報告会に出席するたびに、周りからどうのこうの言われ続けた、その、『どうのこうの言われること、』それが、わたしの我慢の学びだったと思う。
自分がなのんために生きているのか、それが分からなくなった人のために、信仰者が居るんだと思う。
その一瞬その一瞬、ご一緒させていただいて、その人が明るい道へ出たなら、それでいい。
わたしは前へ、進もう…
自分のためでもあり、誰かひとりのためでもあり、ただひたすら胸の光の示す方へと。
少しずつでもいいから、前へ前へと、これからも進みたい。
2025/01/15
あなたのもとへ。
整理中の信仰記録の中に、
今でも気になる人が居る、
わたしのブロック、グループに、
仲の良いご夫婦が居て、誰から見ても羨ましい限りの暮らしぶり…
ところが、ある日奥様から話があると言うことで、先生の許可を頂き、ご自宅へ伺った。
開口一番、
「主人のことが憎くて憎くて、ころしたい」
いつもは穏やかな奥様なのだけれど、
みるみるうちに形相が変わって、
「立派なご主人ね、羨ましい、仲が良くて、」と、他人から言われると、ハラワタが煮えくり返る。本当は違うのに、みんなは知らないのだ、と、告白された。
本当は何が違うのかは、書けないけど、
30分くらいは、ご主人に対する罵詈雑言。
ご自宅を後にして、
後日、報告会で先生から叱責を受けた。
「貴女は、〇〇さんの話しを心に入れて聴きすぎです!」と。
相手の話を上の空で聞いて、叱られるなら分かるけど、親身になって聴いて叱られるとは………
よく分からなかった。
先生によると、
「〇〇さんが、どうしたら笑ってくれるだろうか、と、考えましたか? 〇〇さんのお宅から出る時、〇〇さんのお顔は見ましたか? 笑顔でしたか?」
…
ぜんぶできてなかった。
聴いた話しが衝撃すぎて、
笑ってもらおうとか、笑顔だったか、
とか考えもしなかったし、思い出せなかった。『たいへん……報告しなければ…』そればかりだった。
…
今も、できてない。
わたしは人の話しを、すぐに心に入れてしまう。それはとても危険な事。
つまり、
今も、『本当の祈り』には、
程遠い。
そう感じる。
つい、心に入れて、
入れっぱなしにしてしまって、
神様へ手放してない。
特にSNSで、文章を読むときは、
気をつけてる。
本は化石のようなものだけど、
SNSは、声なき声だから…
心の手前で、留め置くように。
祈りも、日々鍛錬で、
人の幸せを本気で祈る…、これは、
最も難しい事だと思う。
でも、
本気で他人の幸せを祈る事ができる人って、祈ることよりも、早く行動してるように思う。
…
(その後そのご夫婦は、話し合いをして円満とまではいかなかったけれど、お互いの気持ちを分かち合う事ができました。)
2025/01/14
今日もそっと、心の中のどんど焼き。