恋人同士の時より、新婚の時の方が、相性占いとか夫婦グッズとかこだわってたなーと、思った。『自分たちこそ、最高のカップル』と思いたいから。おそろいの物を集めた。マグカップにお箸お茶碗、パジャマに枕、時計とか靴、いろんなお揃いの物。
そういう、時期って必要だと思ってる。それは、後々のために。だって、必ず冷える時が来るから、なんで冷えるのかって言うと、『飽き』。どこをどうすればどうなるのか、分かっちゃうからつまらなくなる。
そのうち、お揃いの物がどんどん失くなっていった。
どうにかこうにか『あき』を乗り越えたら、そのあと来るのが『安心』。
今残っているのは、新婚の頃使ってたマグカップ。それ、出して使ってる。今後、割れるか欠けるかわからないけど、使ってる。
次は、『永遠の別れ』。
死んだら会えるとか、そういうのは無いんだって、、そもそも行くべき場所がそれぞれ違うから。
この先のこと、
心配してもどうすることもできない。お金あっても無くっても、どうなるか分からないし。
夫婦の縁は、
子供との縁より、夫婦の縁の方が太いんだとか…そうだろうな、と思う。友達なら絶交して縁が切れたらそれまでになるけど、夫婦は離婚しても縁が繋がってると聴いて、ゾッとした。太いというより深いんだと思う。
離婚の話しは過去に2回した。その時、繋いだものは子供ではない、『なんとなく…もう少し、』の気持ちだった。別れようにも別れ難い…、そんな感じだったと思う。
最後の晩餐なるものを用意していただけるとしたら、春山菜の天ぷらがいいな。タラノメ、コシアブラ、しどけ、ぜんまい。
好きなもの、食べたいものが一緒になってきたから。
10年以上前だったと思う。どこの県だったかも忘れてしまったけど、ある神社へお参りに行った。本堂の下が胎内堂というものになっていて、真っ暗な中を…『臍』だったと思う、それを捜して触れば…、願いが叶う…とかなんとかだったと思う。(全てがぼんやり)
それはいいんだけど、わたしは夫を先頭に胎内堂へ入った。闇。真っ暗。何も見えないし、何か喋ると何故か自分の声が耳元で聞こえる…不気味さ。そして狭かった。両壁は、両腕を広げれば届くくらいで、高さは少し身を屈めなければならなかった。とにかく窮屈で息苦しかった。
どれくらい進んだか分からないけど、階段を下へ下へ降りて、滑り台みたいなツルツルな床を歩いて、…ふと、夫が、
「もういい!!戻る」と言ってサッサッと引き返してしまった。
中途半端で帰るのもつまらない、でも、何の光もない闇の中、手がかりも何もない中、わたし1人ではとても前へ進む事ができなかった。結局、臍には触れず。
あれ…、夫は怖かったんだなと思う。わたしも怖かった。
本当の闇、真っ暗な無音の中を突き進むのは、本能を制して進むのは、難しい。
作り物の真っ暗闇でも、
わたしも夫も怖さを克服する事はできなかった。もしかして、本当の自分が分かるのかも。相手がどうとかではなくて。
あれは、産道だったんだよね。
今もあるのかなぁ。一人で入って、後ろから知らない誰かが入って来たら…恐ろしい。なんか、不思議な場所だったな。
4月!オラは今月も頑張って生き延びるつもりだ。
1年間で食べるお米を、うちは毎年秋に玄米で60キロ買っている。だいたい2ヶ月に1度玄米を精米して、神様にお上げする分を取り置いてから自分たちで頂く。
たまに石が混ざっていて、お店で買う精米されたお米にはないと思うけど……、ガリッと石を噛む事がある。この時の気分はサイテーだ……。食欲を失くす。
今日は休みで、お昼はチャーハンを作って食べた。その時に、ガリッて石を噛んだ。あの音と感触、…思い出しただけで身震いする。
何がはじめましてじゃ、バカチンが!!
夫 バ
の リ
白 カ
髪 ン
も に
愛 詰
し ま
こ り
の し
春 日
々
の
泣
き
笑
い
お昼過ぎに、夫宛にお義兄さんから電話あり、いろいろな話しになったみたいで仲良し兄弟は被災地に義援金を送ろーとなったみたい。
義援金なら郵便局や銀行で聞けば大丈夫。
やっぱり、そうなんだな、と思った。何もせずに、何も思わずに、テレビ観てるわけじゃないんだな、と。かわいそーと思うだけとか、ただ苛立つだけとか、…そんなんじゃない人でよかった。夫の収入は東京にいた頃の半分ほど。それは納得済みなんだから四の五の言えない。自分たちが頑張るのみ。
お義兄さんは今年、会社へ、自宅から近い支店への異動願いを出したらさらに遠くの支店へ配属が決まり、あったまにきたからケツまくって退職した。はっきり言えばリストラ。お義兄さん57歳。初めての転職。下のお子さんはまだ大学生。奥さんは専業主婦。でも大丈夫、奥さんが底抜けに明るい。今回はオラも苦しいからどうしようか…と思ってたけど義援金送る。被災してる人より暗くなってどうする。
今はお金しか送れない、それしかできないから、ごめんなさい。