今日は、
雪が降っていたのに、途中から晴れて、
さみしい。
東京に居た頃は、気の合うママ友とお弁当持ち寄って公園でお喋りできた。
わたしにアレルギーがあるから、気を遣ってくれてたんだけど、帰りたいな…
東京に居た頃は、忙しかったなぁ…
だから、休みの日が嬉しかった。
今朝から雪が降っては止んで、晴れて、また降ってきて、止んで日が差してきて、を繰り返してる。
誰かと、話したいな…
なんでも食べる事ができるのに、『これはこうだから食べません』って、肉もそうだけど、食べるっていう意味をちゃんとわかっていれば、肉だって食べたっていいんだよ。
人間に食べられることで、成仏する…
そういう家畜も一定数居るんだから。
『いただきます』って、食事の前に手を合わせるでしょう。
食べる=生きるってことに、一生懸命なら、いいんだと思う。
…
今日は休みで、
1人でダイソーへ行った。
夫と行くと、
「それ、何に使うの?、必要なの?、また買うの?」って、うるさいから。
シールとか付箋とかポーチとか、メモとか。つい、買っちゃうんだけど、女って、必要なモノばかりでは、息が詰まってしまうんだょ…
男からすれば、意味のない買い物だ、と思うかもしれないけれど、手にとって、『買おうかな、どうしようかな』と、考えているその時間が、癒やし、なんですょ。
そういう時は、そっとしておいて欲しい。
一周まわって、おそらく買わないから。
…でも今日は、
小さいポーチを買った。
仕事中に食べられる小さい飴を入れようと思って。
家に帰って、飴を入れたら満足できた。
よかったと思う。
でも、さみしいな。
友達とお弁当たべたいな…
公園のベンチに座って、セスナ、見たいなぁ…自転車で走りたいなぁ。送電線、見たいなぁ。黄色い単線、乗りたいなぁ。
タンポポ見たいなぁ。帰りたいなぁ。
訪問の帰りに、自分で作ったおにぎりを知らない公園のベンチに座って食べた。
あの時、さみしい、なんて思わなかったょ。
雪、早く解けないかなぁ。
そしたら、息子帰ってきて、お蕎麦食べに行けるのに。
さみしい。雪ばかりで、とてつもなくさみしい。雪が音を吸い込んてしまって、休みの日は家に居たくないから、買い物が無くてもどこかへ出かける。
土が見たいな。
富士山が見たいな。
壮大でなくていい、
のっぺりとした東京の空が見たい。
…今日、
施設に電話したら、
母も落ち着いてるとのこと。
母は、もっと、さみしい…って、思ってるはず… 施設のベッドの上でしか暮らせない、ってどんなにか屈辱的か…
どうしたらいいんだろ。
ありあまるほどのひとり時間、
まだ早いょ。
『かえりたい…
さみしい…』
今日は、その思いばかりが繰り返している。
帰りたい。
帰りたい。
さみしい。
今日は声をあげて、やっと泣けた。
泣きながら、叫んだ。ひとりだからいくらでも叫ぶことができる。叫んだって、聞こえやしない、雪に全部吸い込まれてく。
雪ばかりで、
今日はとてつもないホームシックだ。
明日からしばらく仕事続くから気も紛れるね。よかった。
…
お義父さんの夢を見た。
お義父さんと向かい合っている。顔は黒くて分からなかったけど、お義父さんだと分かった。わたしは、お義父さんの両腕をさすってあげている。お義父さんも手を伸ばしてきて、わたしの両腕を強くさすってくれている。会話はなかった。
2025/02/14
ありがとう、って、
感謝なのかな、
なんだか合図にきこえる。
今夜は、
この間、お義母さんが作ってくれた煮物を作ってみた。
ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、糸こん、油揚げ、焼き豆腐を白だしで煮込むだけ。
お義母さんは豚バラを使ってたけど、わたしは肉の代わりに油揚げを使った。厚揚げでもいいかも。
お義母さんの料理を再現してあげると、夫は喜ぶ。
「お義母さんの煮物、美味しかったから作ったよ」と、言ったら、「ふふん♪」って笑ってくれた。
実を言うと、お義母さんの味には似せてるけど、全く同じではない。
そりゃ、そうなんだけど。
わたしが、『こうしたらどうかなー』ってのも少し加わってる。
気づいてるか、
きっと、気づいてないな。
2025/02/13
そっと伝えたい、
明日はバレンタインデーです!
昨日、母がコロナに感染したと連絡があり、抗ウィルス薬が9千円すると聞いて、
1錠九千円なのか、一日九千円なのか…頭の中で計算してしまった。
5日間で九千円と聞いてホッとして、
「抗ウィルス薬を使ってください」と伝えた。
始めにカネの計算を頭の中でしていた自分に嫌悪。
1錠九千円なら、風邪薬で様子を見てください、と言ったと思う。。
今はまだ、母の貯金を切り崩していろいろな代金を払えている。母の介護にわたしのパートのお金も使っているけど、嫁に出てしまった以上、わたしに自由なお金はない。
夫が居ればこそ生活が成立っていて、わたしのパートの収入を、母にも使えることができる。
母は、きっと言う、
「私にカネを使わなくていいよ」
お義父さんもそう…
だから、『すぐもやしてくれ』って、遺したんだと思う。
直葬なんかホントは、誰だって嫌だ。
…
直葬の場合、
死に化粧も無いし、死ぬ間際は息が苦しいから喘いだままの口は開けっ放し、目も白目を剥いたままできちんと閉じられない。
死んだ時の顔、そのままだった。
そのためなのか、ご遺体との対面は1人数秒。それはそれで、ありのままの姿を家族に遺すという大きな意味があった、とは思う。数秒でもご遺体に対面出来たことは良かった、とも思う。
でも、やっぱり…
母は直葬にはしたくない。
ささやかでも葬儀はしてあげたいし、
節目節目で法要もしてあげたいし、必要な事だと思う。
死んだら死んだで、いろいろ大変。
……なんて、…
まだ分からないのに。
連絡ないから、きっと、
抗ウィルス薬は効いてると思う。
…いろいろありすぎて自分の感情がよく分からない一日だった。
2025/02/12
お義父さんの好きな場所は、自宅の屋根からの夕景だった。夫とお義父さんが、屋根に上がって夕焼けを見ていて、わたしも呼ばれた。
「ワタシはねぇー、ここからの夕焼けが好きなんですよぉー」
あの時の夕焼けは、綺麗だったと思うけど、それより、お義父さんの横顔が満ち足りているように見えて、写真を撮ったのを覚えてる。
好きな場所、自分ち。
それ、素敵だと思う。
わたしが、小学校5年生の時、帯状疱疹(ヘルペス)になった。右肩の辺りだった。
当時は子供がかかるのは珍しいかったし、薬もなかった。
わりと痛みには強いわたしだったけど、昼間より、夜、眠ろうとすると、刺すような痛みが貫き、苦しかった。
鎮痛剤は効かない。
母が心配して、近寄ろうとする気配…
それだけで痛みが増した。
神経にウィルスが付くのか入ったのか、分からないけど、とにかく神経が過敏になればなるほど痛みが増した。
夜になればなるほど、激痛が増した。
母が近寄ってくる…
そう思うだけで痛む。
母が心配している…
そう思うだけで更に痛む。
呻かないように声を上げないように、身悶えするその気配を、母は廊下に座って心を痛めていた。
「近寄らないで!」
「お願い、ちかよらないで!」
母に何度も懇願した。
「痛いならさすろうか……?」
母は、更に更に心配して…
声をかけられるだけで、
痛む…辛い…
歯を食いしばって泣かないようにする。
『イタイ…』と、思うだけで、更に激痛が走った。涙を流すと更に激痛が走る。
寝返りを打とうと、そう思うだけで激痛。
眠れない夜を何日過ごしたか、記憶にないけど、夜が怖かった。
昼間は明るさで神経がいろんなところに向くのか、痛みも鎮まってウトウトできた。
夜が来るのが怖くて、
激痛に耐えなければならない夜が怖くて。
当時、高齢者がかかればモルヒネを使う、と医者が言っていた。
帯状疱疹の免疫力は30年といわれているから、わたしの免疫力は切れていると思う。
今は、ワクチンもあるし薬もあるから、もしかかったとしても軽く済むと思う。
だけど、あの激痛だけは忘れられない。
ワクチンを打てる人は打っておいたほうがいいかもしれない。
わたしはアレルギーあるし、病気としてかかってるからワクチンは打ちたくない。
…………
針山地獄があるとすれば、
あの痛みを遥かに超えるんだと思う。
人間は痛みを快感と勘違いする。
指にほんの少しの棘が刺さっただけでも取ろうと頑張るのに、『針山地獄さえ耐える』と、思ってる人が居るとしたら…
「あんた、あまちゃんだね」
って、言ってやる。
言ってやるだけでは済まないかもしれない。
本当の地獄ってのは、
自分が愛してやまない者が、
自分の目の前で苦しみもがくことだ。
そのとき、自分は何もできない。
泣くことも声をかける事できない。
そばに寄り添うこともできない。
離れる事もできない。
何もできない、
あの時の
わたしの母のように。
2025/02/11
ココロ、
今日はなんだか苛ついてる。
我が家には神床があり、そこに御神体とみたまや(仏壇のようなもの)がある。
朝と夕、手を合わせる。夕拝は、自分たちが食べるものを少しずつ皿に盛り、みたまやにお上げする。
『ご先祖様、お召し上がりくださいませ』と、声をかける。
仏壇などに、果物や菓子など、そのままパッケージを開けずに供える家が大半だと思うけど、それだとご先祖様たちは食べられない。
ちゃんと、果物なら皮を剥き皿に乗せ、フォークを添える。お菓子ならパッケージを開けて、ケーキならセロファンを取ってあげて、フォークを添える。
その時に、一口食べられるように、フォークに乗せてあげれば、尚良い。
子孫からの、『どうぞ、お召し上がりください』の一言がないと、それはそれでご先祖様は食べることができない。
餓鬼道に堕ちた低級霊達が、食べ物の良い香りに寄って来て悪さをするので、ご先祖様に一声かけたら、すぐ下げた方がいい。
この、餓鬼道に堕ちた霊に、ご先祖様は施しをしたいので、お供えする食べ物は少し多めにするとよい。
…
わたしが小学生の頃、母が仏壇に毎朝ご飯と水をおあげしていて、ふと、母に、
「お箸がないと食べられないから、お箸をあげて」と、言ったのを覚えている。
あれは、ふと、思った事を言ったのだけれど、
子供が、ふと、言う言葉を、『子供が言うことだから』と、取り上げない大人もいる。
子供の言葉こそ、神様、ご先祖様からの大切なメッセージだったりする。
母は、それから必ず箸やフォーク、スプーンなどを添えるようになった。
改宗してから、あれは正解だったと気づいた。
…
お義父さんは、帰幽(他界)するまでの1ヶ月半、飲まず食わずで「食べたい、食べたい」と言っていたらしい。
餓鬼道へ堕ちなければいいけど…
四十九日までは自宅の周りをウロウロするということで、お義母さんには、陰膳を毎日していただくようにと、お願いした。
とくに、直葬という、読経なしで火葬なので、自分が死んだと気づくまでにかなり迷うような気がする…
やっぱり、葬式はどんなにささやかであってもした方がいい気がする…
お坊さんがお経をあげてくださるその内容は、わたしにはよくわからないけど、たぶん、『あなたは死んだのですよ、あの世に行くんですよ』って、いう意味なんだと思う。
それがないっていうのは、生きている側からすると、簡単で楽ではあるけれど、やっぱり…『儀式』は必要だと思う。
義父義母共に、信仰団体に所属してないし、墓も用意してない。ロッカー式の墓が当たるまで家に遺骨を置くとのことだけど…
死んでからは、簡単じゃない。
迎えに来てもらえるわけでもないし、道が開けるわけでもない。
何もわからないわけだから、お坊さんにお経をあげていただいたほうがよかったのでは…と思ってる。
我が家の夕拝は、お膳をいつもより多めにしている。
お義父さんには、
迷わず、ここへ来て食べて欲しい。
ただそれだけ。
あと、
お義父さん、あなたは死んでしまったのですよと、四十九日までは伝え続ける。
怒るかな…
2025/02/10
星に願って、も…仕方なくて…
なんとなく、気がかり。