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2/14/2025, 11:22:07 AM

今日は、

雪が降っていたのに、途中から晴れて、
さみしい。







東京に居た頃は、気の合うママ友とお弁当持ち寄って公園でお喋りできた。
わたしにアレルギーがあるから、気を遣ってくれてたんだけど、帰りたいな…

東京に居た頃は、忙しかったなぁ…
だから、休みの日が嬉しかった。

今朝から雪が降っては止んで、晴れて、また降ってきて、止んで日が差してきて、を繰り返してる。

誰かと、話したいな…

なんでも食べる事ができるのに、『これはこうだから食べません』って、肉もそうだけど、食べるっていう意味をちゃんとわかっていれば、肉だって食べたっていいんだよ。

人間に食べられることで、成仏する…
そういう家畜も一定数居るんだから。

『いただきます』って、食事の前に手を合わせるでしょう。

食べる=生きるってことに、一生懸命なら、いいんだと思う。



今日は休みで、
1人でダイソーへ行った。
夫と行くと、
「それ、何に使うの?、必要なの?、また買うの?」って、うるさいから。

シールとか付箋とかポーチとか、メモとか。つい、買っちゃうんだけど、女って、必要なモノばかりでは、息が詰まってしまうんだょ…

男からすれば、意味のない買い物だ、と思うかもしれないけれど、手にとって、『買おうかな、どうしようかな』と、考えているその時間が、癒やし、なんですょ。

そういう時は、そっとしておいて欲しい。

一周まわって、おそらく買わないから。

…でも今日は、
小さいポーチを買った。
仕事中に食べられる小さい飴を入れようと思って。

家に帰って、飴を入れたら満足できた。
よかったと思う。

でも、さみしいな。
友達とお弁当たべたいな…
公園のベンチに座って、セスナ、見たいなぁ…自転車で走りたいなぁ。送電線、見たいなぁ。黄色い単線、乗りたいなぁ。
タンポポ見たいなぁ。帰りたいなぁ。

訪問の帰りに、自分で作ったおにぎりを知らない公園のベンチに座って食べた。
あの時、さみしい、なんて思わなかったょ。


雪、早く解けないかなぁ。
そしたら、息子帰ってきて、お蕎麦食べに行けるのに。

さみしい。雪ばかりで、とてつもなくさみしい。雪が音を吸い込んてしまって、休みの日は家に居たくないから、買い物が無くてもどこかへ出かける。

土が見たいな。
富士山が見たいな。
壮大でなくていい、
のっぺりとした東京の空が見たい。


…今日、
施設に電話したら、
母も落ち着いてるとのこと。
母は、もっと、さみしい…って、思ってるはず… 施設のベッドの上でしか暮らせない、ってどんなにか屈辱的か…

どうしたらいいんだろ。
ありあまるほどのひとり時間、
まだ早いょ。



『かえりたい…
さみしい…』

今日は、その思いばかりが繰り返している。

帰りたい。
帰りたい。 
さみしい。

 
今日は声をあげて、やっと泣けた。
泣きながら、叫んだ。ひとりだからいくらでも叫ぶことができる。叫んだって、聞こえやしない、雪に全部吸い込まれてく。


雪ばかりで、
今日はとてつもないホームシックだ。

明日からしばらく仕事続くから気も紛れるね。よかった。



お義父さんの夢を見た。

お義父さんと向かい合っている。顔は黒くて分からなかったけど、お義父さんだと分かった。わたしは、お義父さんの両腕をさすってあげている。お義父さんも手を伸ばしてきて、わたしの両腕を強くさすってくれている。会話はなかった。

2025/02/14
ありがとう、って、
感謝なのかな、
なんだか合図にきこえる。


2/13/2025, 11:12:59 AM

今夜は、

この間、お義母さんが作ってくれた煮物を作ってみた。

ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、糸こん、油揚げ、焼き豆腐を白だしで煮込むだけ。

お義母さんは豚バラを使ってたけど、わたしは肉の代わりに油揚げを使った。厚揚げでもいいかも。

お義母さんの料理を再現してあげると、夫は喜ぶ。

「お義母さんの煮物、美味しかったから作ったよ」と、言ったら、「ふふん♪」って笑ってくれた。

実を言うと、お義母さんの味には似せてるけど、全く同じではない。

そりゃ、そうなんだけど。

わたしが、『こうしたらどうかなー』ってのも少し加わってる。

気づいてるか、
きっと、気づいてないな。

2025/02/13
そっと伝えたい、

明日はバレンタインデーです!

2/12/2025, 11:28:08 AM

昨日、母がコロナに感染したと連絡があり、抗ウィルス薬が9千円すると聞いて、
1錠九千円なのか、一日九千円なのか…頭の中で計算してしまった。

5日間で九千円と聞いてホッとして、
「抗ウィルス薬を使ってください」と伝えた。

始めにカネの計算を頭の中でしていた自分に嫌悪。

1錠九千円なら、風邪薬で様子を見てください、と言ったと思う。。

今はまだ、母の貯金を切り崩していろいろな代金を払えている。母の介護にわたしのパートのお金も使っているけど、嫁に出てしまった以上、わたしに自由なお金はない。

夫が居ればこそ生活が成立っていて、わたしのパートの収入を、母にも使えることができる。

母は、きっと言う、
「私にカネを使わなくていいよ」

お義父さんもそう…
だから、『すぐもやしてくれ』って、遺したんだと思う。

直葬なんかホントは、誰だって嫌だ。


直葬の場合、
死に化粧も無いし、死ぬ間際は息が苦しいから喘いだままの口は開けっ放し、目も白目を剥いたままできちんと閉じられない。
死んだ時の顔、そのままだった。

そのためなのか、ご遺体との対面は1人数秒。それはそれで、ありのままの姿を家族に遺すという大きな意味があった、とは思う。数秒でもご遺体に対面出来たことは良かった、とも思う。


でも、やっぱり…
母は直葬にはしたくない。
ささやかでも葬儀はしてあげたいし、
節目節目で法要もしてあげたいし、必要な事だと思う。

死んだら死んだで、いろいろ大変。


……なんて、…
まだ分からないのに。

連絡ないから、きっと、
抗ウィルス薬は効いてると思う。


…いろいろありすぎて自分の感情がよく分からない一日だった。


2025/02/12
お義父さんの好きな場所は、自宅の屋根からの夕景だった。夫とお義父さんが、屋根に上がって夕焼けを見ていて、わたしも呼ばれた。

「ワタシはねぇー、ここからの夕焼けが好きなんですよぉー」

あの時の夕焼けは、綺麗だったと思うけど、それより、お義父さんの横顔が満ち足りているように見えて、写真を撮ったのを覚えてる。

好きな場所、自分ち。
それ、素敵だと思う。


2/11/2025, 11:33:33 AM

わたしが、小学校5年生の時、帯状疱疹(ヘルペス)になった。右肩の辺りだった。
当時は子供がかかるのは珍しいかったし、薬もなかった。

わりと痛みには強いわたしだったけど、昼間より、夜、眠ろうとすると、刺すような痛みが貫き、苦しかった。

鎮痛剤は効かない。

母が心配して、近寄ろうとする気配…
それだけで痛みが増した。

神経にウィルスが付くのか入ったのか、分からないけど、とにかく神経が過敏になればなるほど痛みが増した。

夜になればなるほど、激痛が増した。

母が近寄ってくる…
そう思うだけで痛む。
母が心配している…
そう思うだけで更に痛む。

呻かないように声を上げないように、身悶えするその気配を、母は廊下に座って心を痛めていた。

「近寄らないで!」
「お願い、ちかよらないで!」
母に何度も懇願した。

「痛いならさすろうか……?」
母は、更に更に心配して…

声をかけられるだけで、
痛む…辛い…

歯を食いしばって泣かないようにする。
『イタイ…』と、思うだけで、更に激痛が走った。涙を流すと更に激痛が走る。

寝返りを打とうと、そう思うだけで激痛。



眠れない夜を何日過ごしたか、記憶にないけど、夜が怖かった。

昼間は明るさで神経がいろんなところに向くのか、痛みも鎮まってウトウトできた。


夜が来るのが怖くて、
激痛に耐えなければならない夜が怖くて。

当時、高齢者がかかればモルヒネを使う、と医者が言っていた。

帯状疱疹の免疫力は30年といわれているから、わたしの免疫力は切れていると思う。
今は、ワクチンもあるし薬もあるから、もしかかったとしても軽く済むと思う。

だけど、あの激痛だけは忘れられない。
ワクチンを打てる人は打っておいたほうがいいかもしれない。


わたしはアレルギーあるし、病気としてかかってるからワクチンは打ちたくない。


…………

針山地獄があるとすれば、
あの痛みを遥かに超えるんだと思う。
人間は痛みを快感と勘違いする。

指にほんの少しの棘が刺さっただけでも取ろうと頑張るのに、『針山地獄さえ耐える』と、思ってる人が居るとしたら…


「あんた、あまちゃんだね」
って、言ってやる。
言ってやるだけでは済まないかもしれない。

本当の地獄ってのは、
自分が愛してやまない者が、
自分の目の前で苦しみもがくことだ。
そのとき、自分は何もできない。
泣くことも声をかける事できない。
そばに寄り添うこともできない。
離れる事もできない。

何もできない、

あの時の
わたしの母のように。


2025/02/11
ココロ、
今日はなんだか苛ついてる。



2/10/2025, 11:48:45 AM

我が家には神床があり、そこに御神体とみたまや(仏壇のようなもの)がある。

朝と夕、手を合わせる。夕拝は、自分たちが食べるものを少しずつ皿に盛り、みたまやにお上げする。

『ご先祖様、お召し上がりくださいませ』と、声をかける。

仏壇などに、果物や菓子など、そのままパッケージを開けずに供える家が大半だと思うけど、それだとご先祖様たちは食べられない。

ちゃんと、果物なら皮を剥き皿に乗せ、フォークを添える。お菓子ならパッケージを開けて、ケーキならセロファンを取ってあげて、フォークを添える。

その時に、一口食べられるように、フォークに乗せてあげれば、尚良い。

子孫からの、『どうぞ、お召し上がりください』の一言がないと、それはそれでご先祖様は食べることができない。

餓鬼道に堕ちた低級霊達が、食べ物の良い香りに寄って来て悪さをするので、ご先祖様に一声かけたら、すぐ下げた方がいい。


この、餓鬼道に堕ちた霊に、ご先祖様は施しをしたいので、お供えする食べ物は少し多めにするとよい。


わたしが小学生の頃、母が仏壇に毎朝ご飯と水をおあげしていて、ふと、母に、

「お箸がないと食べられないから、お箸をあげて」と、言ったのを覚えている。

あれは、ふと、思った事を言ったのだけれど、

子供が、ふと、言う言葉を、『子供が言うことだから』と、取り上げない大人もいる。

子供の言葉こそ、神様、ご先祖様からの大切なメッセージだったりする。

母は、それから必ず箸やフォーク、スプーンなどを添えるようになった。

改宗してから、あれは正解だったと気づいた。


お義父さんは、帰幽(他界)するまでの1ヶ月半、飲まず食わずで「食べたい、食べたい」と言っていたらしい。

餓鬼道へ堕ちなければいいけど…
四十九日までは自宅の周りをウロウロするということで、お義母さんには、陰膳を毎日していただくようにと、お願いした。

とくに、直葬という、読経なしで火葬なので、自分が死んだと気づくまでにかなり迷うような気がする…

やっぱり、葬式はどんなにささやかであってもした方がいい気がする…

お坊さんがお経をあげてくださるその内容は、わたしにはよくわからないけど、たぶん、『あなたは死んだのですよ、あの世に行くんですよ』って、いう意味なんだと思う。

それがないっていうのは、生きている側からすると、簡単で楽ではあるけれど、やっぱり…『儀式』は必要だと思う。

義父義母共に、信仰団体に所属してないし、墓も用意してない。ロッカー式の墓が当たるまで家に遺骨を置くとのことだけど…

死んでからは、簡単じゃない。
迎えに来てもらえるわけでもないし、道が開けるわけでもない。

何もわからないわけだから、お坊さんにお経をあげていただいたほうがよかったのでは…と思ってる。

我が家の夕拝は、お膳をいつもより多めにしている。

お義父さんには、
迷わず、ここへ来て食べて欲しい。

ただそれだけ。

あと、
お義父さん、あなたは死んでしまったのですよと、四十九日までは伝え続ける。

怒るかな…

2025/02/10
星に願って、も…仕方なくて…

なんとなく、気がかり。

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