我が家には神床があり、そこに御神体とみたまや(仏壇のようなもの)がある。
朝と夕、手を合わせる。夕拝は、自分たちが食べるものを少しずつ皿に盛り、みたまやにお上げする。
『ご先祖様、お召し上がりくださいませ』と、声をかける。
仏壇などに、果物や菓子など、そのままパッケージを開けずに供える家が大半だと思うけど、それだとご先祖様たちは食べられない。
ちゃんと、果物なら皮を剥き皿に乗せ、フォークを添える。お菓子ならパッケージを開けて、ケーキならセロファンを取ってあげて、フォークを添える。
その時に、一口食べられるように、フォークに乗せてあげれば、尚良い。
子孫からの、『どうぞ、お召し上がりください』の一言がないと、それはそれでご先祖様は食べることができない。
餓鬼道に堕ちた低級霊達が、食べ物の良い香りに寄って来て悪さをするので、ご先祖様に一声かけたら、すぐ下げた方がいい。
この、餓鬼道に堕ちた霊に、ご先祖様は施しをしたいので、お供えする食べ物は少し多めにするとよい。
…
わたしが小学生の頃、母が仏壇に毎朝ご飯と水をおあげしていて、ふと、母に、
「お箸がないと食べられないから、お箸をあげて」と、言ったのを覚えている。
あれは、ふと、思った事を言ったのだけれど、
子供が、ふと、言う言葉を、『子供が言うことだから』と、取り上げない大人もいる。
子供の言葉こそ、神様、ご先祖様からの大切なメッセージだったりする。
母は、それから必ず箸やフォーク、スプーンなどを添えるようになった。
改宗してから、あれは正解だったと気づいた。
…
お義父さんは、帰幽(他界)するまでの1ヶ月半、飲まず食わずで「食べたい、食べたい」と言っていたらしい。
餓鬼道へ堕ちなければいいけど…
四十九日までは自宅の周りをウロウロするということで、お義母さんには、陰膳を毎日していただくようにと、お願いした。
とくに、直葬という、読経なしで火葬なので、自分が死んだと気づくまでにかなり迷うような気がする…
やっぱり、葬式はどんなにささやかであってもした方がいい気がする…
お坊さんがお経をあげてくださるその内容は、わたしにはよくわからないけど、たぶん、『あなたは死んだのですよ、あの世に行くんですよ』って、いう意味なんだと思う。
それがないっていうのは、生きている側からすると、簡単で楽ではあるけれど、やっぱり…『儀式』は必要だと思う。
義父義母共に、信仰団体に所属してないし、墓も用意してない。ロッカー式の墓が当たるまで家に遺骨を置くとのことだけど…
死んでからは、簡単じゃない。
迎えに来てもらえるわけでもないし、道が開けるわけでもない。
何もわからないわけだから、お坊さんにお経をあげていただいたほうがよかったのでは…と思ってる。
我が家の夕拝は、お膳をいつもより多めにしている。
お義父さんには、
迷わず、ここへ来て食べて欲しい。
ただそれだけ。
あと、
お義父さん、あなたは死んでしまったのですよと、四十九日までは伝え続ける。
怒るかな…
2025/02/10
星に願って、も…仕方なくて…
なんとなく、気がかり。
2/10/2025, 11:48:45 AM