ミキミヤ

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6/19/2025, 12:49:41 AM

妻の一周忌が過ぎた頃。うちの玄関に突然『糸』が現れた。赤い色のそれは、ピンと張っていて、外に向かって伸びている。うちの門を出たら、右の方向へ続いていた。
最初それを見た俺は、幻覚だと思って目を擦った。でも消えなかった。触ってみたら確かに糸のような感触がした。
『赤い糸』といえば『運命の』と頭に付くイメージがある。もしかしてこれは、俺の運命の人へ続いているんだろうか。そうだとしたら、嫌だと俺は思った。俺に運命の人がいるのなら、亡くなった妻ただひとりだと思うからだ。
だから、今更新しい『糸』を辿る気はなかった。……なかったはずだったのだが。

「お前、それ、奥さんからのメッセージなんじゃねえの。辿ってみたほうがいいと俺は思うね」

俺が『糸』のことを話すと、職場の同期で親友の男がそう言った。
妻からの、メッセージ。『糸』にそんな意味があるかもなんて、俺には思いつかなかった。もしそうなら、俺は知りたい。そう思う。だから、その考えを聞いてから、糸を辿ってみたくなってしまった。

その週末、俺は『糸』を辿る旅に出た。もし誰かに繋がっていたらと思うと不安で、妻の形見のぬいぐるみを一緒に連れていった。
『糸』は住宅街を抜け、オフィス街を抜け、また住宅地に入り……そして、とある建物の門で途切れた。それは、養護施設だった。そう言えば、昔妻はほんの短い期間だが養護施設にいたことがあると話していた気がする。施設の名前も、その時話してくれたものと一致していると思った。
いったいここに、何があるんだろう。

俺は門にあったピンポンを押した。「昔ここにいた人について話がききたい」と言って、通してもらった。
出迎えてくれた女性はふくよかな体型で、優しい表情をする人だった。ここの施設長だという。
俺が妻の名前を口にすると、少し驚いた顔をして、「彼女のことは覚えてますよ」と言って、懐かしそうに微笑んだ。亡くなったことを伝えると少し悲しそうに目を伏せ、それから「少し待っていてくださいね」と言って奥へ引っ込んだかと思うと、その手に何かを持って帰ってきた。俺は差し出されるままにそれを受け取った。
それは、キャラクターもののノートだった。表紙に拙い字で『日記』と書かれている。
「あの子、ここを出るときに、これを私に預けていったんですよ。つい最近荷物を整理してたら出てきてねえ。もしかして今こうしてあなたに差し上げるために出てきたのかもしれませんね」
施設長は寂しそうに微笑んだ。俺は受け取ったそれを開こうとして、あるページから栞のように『赤い糸』が出ていることに気づいた。俺はそのページを開いた。それは、とある年の11月22日の日記だった。

『11月22日 晴れ
今日は、いいふうふの日なんだって。わたしのお父さんとお母さんはあんまりいいふうふとは言えない気がするなあ。それを考えると暗くなるから、わたしに将来ダンナさまができたらどんなだろうって考えてみよう!』

そんな書き出しで、将来のダンナさまとやりたいことが列挙されていた。

『もし誰かと結婚したら、毎年旅行に行きたいな』
『おたがいの誕生日はホールケーキを買ってロウソクをさしてふたりで食べるの』
『手もたくさん繋ぎたいな』
『きっとさいごの時も、手を繋いでいられたらそれだけで幸せなんだろうな』

妻とは結婚するときの約束で、年に1回は旅行に行っていた。最近は近場で済ますことも増えていたけれど、妻はいつも楽しそうにしていた。
誕生日には2人分には少し大きめのホールケーキを買って祝っていた。お腹がパンパンになるほど食べて、ふたりで笑ったものだ。
病床の妻は、よく手を繋ぐことをせがんできた。俺はそれに応えて、面会中ずっと妻の手を握っていた。
最期のときも、駆けつけた俺が手を握ると、それまで辛そうだった妻の表情が少し和らいだのを覚えている。

俺は妻にとっていい夫であれただろうか。俺と過ごして、妻は幸せだったんだろうか。
妻が亡くなってから、ずっと心の何処かにあり続けた問い。それにこの日記が答えてくれた気がして、俺は涙を流した。
『糸』はいつの間にか消えていた。あれは俺にこの答えを示すために妻が伸ばしたものだったんだろうと思った。胸が熱くなって、涙が止まらなかった。


ねえ、君と生きられて俺は幸せだったよ。
ありがとう。
愛してる。

6/18/2025, 9:55:38 AM

私は時折、宛所のない手紙を書く。かつてふたりで夢を語り合ったあのひとへ、届けたい想いを綴ってみる。

元気にしていますか。
まだ夢を追っていますか。
私はあの頃の夢は途絶えてしまったけれど、今は新しい夢を追っています。
あなたがあの夢をまだ追っていても追っていなくても、元気だったら嬉しいです。

毎回こんなようなことと、自分の近況を書く。
届かないのに、届けようがないのに、書く。
もうずっと前に疎遠になって、連絡先もわからないけれど、あの頃の絆はまだ私の中で消えない輝きを放っているから。

これはたぶん儀式みたいなものなのだ。
書いた手紙に封をして、いつもの引き出しにしまったら、それで終わり。
私はまた自分の夢を見つめて、毎日を生きていく。

6/17/2025, 9:40:43 AM

記憶の地図 後日書きます

6/16/2025, 7:58:51 AM

「少し、息抜きしない?」

冬の夜中。23時を回った頃。湯気の上がるマグカップを僕に差し出しながら君は言った。僕は、リビングのソファに座り、目の前のローテーブルへ書類を広げて眉間にシワを寄せていたところだった。君からマグカップを受け取りながら、君の微笑みに、眉間のシワをほぐす。

書類はいったん纏めて、同じくマグカップを持っている君にソファのスペースを空ける。君は「ありがとう」と言って腰掛けた。

2人揃ってマグカップに口をつける。湯気をほわほわと上げる白い液体はホットミルクで、仄かなはちみつの香りと甘さが舌を撫ぜた。飲み込むと、温かさが胃の方へと落ちていき、身体全体がじんわり温まる感じがした。

「美味しい。ありがとう」

僕が言うと、君は「えへへ」と笑った。

「試験の準備、大変なの?」

テーブルの上で雑に纏められた書類を見て、君が言う。

「まあね。勉強も大変だけど、申し込むのにいろいろ作ったり取り寄せたりしなきゃいけないものが多いみたいで。でも、自分で受けるって決めたし、これに受かればお給料上がるし、頑張るだけの価値はあるよ」

「そっか。すごいな。応援してる」

君は目を細めて僕を見ていた。それになぜだか距離を感じて、僕は慌てて君の手を握った。君は目を見開いて、頬を染めた。
すぐ隣にいるのに、なんで遠く感じたんだろう。わからないけど、今の違和感はそのままにしちゃいけない気がした。

「いつも本当にありがとうね。君がこうやっていてくれるから僕は頑張れるんだよ」

思いついた言葉を率直に口にしてみる。君はまた目を細めて、今度は満面の笑顔で「どういたしまして」と言って笑った。

2人並んで、片手を繋ぎながら、もう片方の手でマグカップを傾ける。
ほっこりした温かさが、2人を包んでいた。

6/15/2025, 8:58:31 AM

白いベッドの上に君が横たわっている。眠る姿は人形のようで、僕は怖くなって、君の頬を触った。あたたかい。君はまだここにいる。
君が家で倒れているのを発見されてからもう1ヶ月経った。お医者さんは、手は尽くしたと言っていた。後は君の気力の問題だと。
もしも君が目を覚まして、また笑ってくれるなら、僕は何だってするよ。良いことも悪いことも、何だってできるよ。
だから、目を覚ましてよ。
「ねえ、」
君の名前を呼ぶ。静かな病室に、僕の声と機械音だけが虚しく響いていた。

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