ミキミヤ

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妻の一周忌が過ぎた頃。うちの玄関に突然『糸』が現れた。赤い色のそれは、ピンと張っていて、外に向かって伸びている。うちの門を出たら、右の方向へ続いていた。
最初それを見た俺は、幻覚だと思って目を擦った。でも消えなかった。触ってみたら確かに糸のような感触がした。
『赤い糸』といえば『運命の』と頭に付くイメージがある。もしかしてこれは、俺の運命の人へ続いているんだろうか。そうだとしたら、嫌だと俺は思った。俺に運命の人がいるのなら、亡くなった妻ただひとりだと思うからだ。
だから、今更新しい『糸』を辿る気はなかった。……なかったはずだったのだが。

「お前、それ、奥さんからのメッセージなんじゃねえの。辿ってみたほうがいいと俺は思うね」

俺が『糸』のことを話すと、職場の同期で親友の男がそう言った。
妻からの、メッセージ。『糸』にそんな意味があるかもなんて、俺には思いつかなかった。もしそうなら、俺は知りたい。そう思う。だから、その考えを聞いてから、糸を辿ってみたくなってしまった。

その週末、俺は『糸』を辿る旅に出た。もし誰かに繋がっていたらと思うと不安で、妻の形見のぬいぐるみを一緒に連れていった。
『糸』は住宅街を抜け、オフィス街を抜け、また住宅地に入り……そして、とある建物の門で途切れた。それは、養護施設だった。そう言えば、昔妻はほんの短い期間だが養護施設にいたことがあると話していた気がする。施設の名前も、その時話してくれたものと一致していると思った。
いったいここに、何があるんだろう。

俺は門にあったピンポンを押した。「昔ここにいた人について話がききたい」と言って、通してもらった。
出迎えてくれた女性はふくよかな体型で、優しい表情をする人だった。ここの施設長だという。
俺が妻の名前を口にすると、少し驚いた顔をして、「彼女のことは覚えてますよ」と言って、懐かしそうに微笑んだ。亡くなったことを伝えると少し悲しそうに目を伏せ、それから「少し待っていてくださいね」と言って奥へ引っ込んだかと思うと、その手に何かを持って帰ってきた。俺は差し出されるままにそれを受け取った。
それは、キャラクターもののノートだった。表紙に拙い字で『日記』と書かれている。
「あの子、ここを出るときに、これを私に預けていったんですよ。つい最近荷物を整理してたら出てきてねえ。もしかして今こうしてあなたに差し上げるために出てきたのかもしれませんね」
施設長は寂しそうに微笑んだ。俺は受け取ったそれを開こうとして、あるページから栞のように『赤い糸』が出ていることに気づいた。俺はそのページを開いた。それは、とある年の11月22日の日記だった。

『11月22日 晴れ
今日は、いいふうふの日なんだって。わたしのお父さんとお母さんはあんまりいいふうふとは言えない気がするなあ。それを考えると暗くなるから、わたしに将来ダンナさまができたらどんなだろうって考えてみよう!』

そんな書き出しで、将来のダンナさまとやりたいことが列挙されていた。

『もし誰かと結婚したら、毎年旅行に行きたいな』
『おたがいの誕生日はホールケーキを買ってロウソクをさしてふたりで食べるの』
『手もたくさん繋ぎたいな』
『きっとさいごの時も、手を繋いでいられたらそれだけで幸せなんだろうな』

妻とは結婚するときの約束で、年に1回は旅行に行っていた。最近は近場で済ますことも増えていたけれど、妻はいつも楽しそうにしていた。
誕生日には2人分には少し大きめのホールケーキを買って祝っていた。お腹がパンパンになるほど食べて、ふたりで笑ったものだ。
病床の妻は、よく手を繋ぐことをせがんできた。俺はそれに応えて、面会中ずっと妻の手を握っていた。
最期のときも、駆けつけた俺が手を握ると、それまで辛そうだった妻の表情が少し和らいだのを覚えている。

俺は妻にとっていい夫であれただろうか。俺と過ごして、妻は幸せだったんだろうか。
妻が亡くなってから、ずっと心の何処かにあり続けた問い。それにこの日記が答えてくれた気がして、俺は涙を流した。
『糸』はいつの間にか消えていた。あれは俺にこの答えを示すために妻が伸ばしたものだったんだろうと思った。胸が熱くなって、涙が止まらなかった。


ねえ、君と生きられて俺は幸せだったよ。
ありがとう。
愛してる。

6/19/2025, 12:49:41 AM