大学が休みの日。昼食後。リビングのテーブルには私とおばあちゃん。そのすぐ近くのカウンター越しのキッチンにはお母さんがいて、3人で何となく雑談をしていた時のこと。
「ひまりちゃん、先週のお休みはどうだったかい?すごく楽しみにしてたみたいだったけど」
おばあちゃんが私に話を振ってくれた。
「すっごく楽しかったよ!4人でカラオケ行ったんだけど、好きな人も来ててさー、いつもより10倍楽しかった!」
「そうかいそうかい。それはよかったねえ」
おばあちゃんがニコニコ顔で相槌を打ってくれる。
「おばあちゃんの若い頃も好きな人とカラオケ行ったりした?」
私が訊くと、おばあちゃんは一瞬考えて、すぐにパッと顔を輝かせて語りだした。
「カラオケと言えばね。おばあちゃんが若い頃に『こっちに恋』と『愛にきて』って曲が流行っててねえ。カラオケで男の人が『こっちに恋』を歌って、女の人が『愛にきて』を返したら、2人は恋人同士になるってのが定番だったのよ〜」
うふふ、と笑うおばあちゃんの顔はツヤツヤして楽しそう。
「えー!なにそれ!めっちゃいいね!」
「ひまりちゃん達にはそういう曲ないのかい?」
「うーん、好きな人に向かって歌う曲とか、好きな人が歌ってくれたら嬉しい曲とかはあるけど、その曲自体が告白とお返事の代わりになるような曲はないかも?」
「そうなんだねえ。実はうちのおじいさんも若い頃私に『こっちに恋』を歌ってくれてね。私はその瞬間までそんなつもりなかったんだけど、キュンとしてねえ。思わず『愛にきて』を返してお付き合いしだしたのよ〜」
「え、マジ!?おじいちゃん勇者じゃん!すごいじゃん。うわー!うわー!!」
おじいちゃんとおばあちゃんの馴れ初めを聞いて、ついつい興奮してしまう。大学で友達と恋バナしてる時と完全に同じテンション。
「幸子さんのご両親は私らより10若いから、あの曲の世代ではないかねえ?」
台所で作業をしていたお母さんへ、おばあちゃんが話を振る。お母さんは少し考えてから、少し恥ずかしげに口を開いた。
「うちの両親はギリギリ世代だったみたいで。家族でカラオケに行くと父が『こっちに恋』を歌って母が『愛にきて』を歌うのが定番でしたね……。小さい頃は意味がわからなかったから良かったんだけど、中学生くらいになったら流石に意味がわかるようになって、すごく恥ずかしくなって。『もう私の前で歌わないで!』って必死に止めたのを覚えてますよ」
これも初耳エピソードだった。私は意外でビックリした。
「え、じいじとばあば、昔はそんなにアツアツだったの!?今じゃ喧嘩ばっかりしてるのに!」
「喧嘩ばっかりなのは昔からよ。ただ、あの2人のは、“喧嘩するほど仲が良い”と言うか、最近で言う“ツンデレ”みたいなもんだから。ほんとはお互いそんなに嫌ってないのよ」
お母さんが呆れ半分で語る。
「あらあら、そうなのね」
「じいじとばあば、ツンデレだったんだ。なんか意外だなあ」
おばあちゃんと私は、親族の意外な一面に驚きつつ、なんだか微笑ましい気持ちになって、顔を見合わせてニコニコしあった。
「ねえねえ、お父さんとお母さんはそういうことあったの?」
「え、それは……」
私が前のめりで訊くと、お母さんはおばあちゃんの顔を見て少し言い淀む。
「昔のあの子が幸子さんにどんなだったのか、私も気になるわあ」
おばあちゃんがツヤツヤの笑顔で言うと、お母さんは「お義母さんまで……」とたじたじになり、観念して口を開いた。
「お父さんは、歌って、っていうのはなかったんだけど。もっとある意味直接的と言うか。お手紙をくれたのよ」
「わ、それってラブレターってやつ!?」
「そうそう。いろいろ書いてあってね、最後に『好きです。結婚を前提に付き合ってください。』って書いてあったの。普段物静かな人だから、こんな熱烈なお手紙をくれるなんて……ってビックリしたものよ」
「あらあら、あの子がねえ」と、おばあちゃんはニコニコ(ニヤニヤ?)してる。
「お父さん、情熱的だったんだ。すごいな。てかなんか私恥ずかしくなってきちゃった!」
私はと言うと、ノリノリで訊いたのに、なんだか恥ずかしくなってきて、熱くなった顔を手で扇いでいた。
そんな感じに女三世代で盛り上がっていると、玄関が開く音がして、散歩に出かけていたおじいちゃんが帰ってきた。
リビングのドアを開けたおじいちゃんは、ツヤツヤと頬を紅潮させて話す私達を見て、怪訝な顔をする。
「なんだ、何盛り上がっとるんだ?」
「うふふ、女の秘密です。ね、幸子さん、ひまりちゃん?」
おばあちゃんが悪戯っぽく笑う。私もお母さんもそれに乗っかって頷いてみせる。
おじいちゃんだけがひとり、「女の秘密ねえ?」と首を捻っていた。
人が一番最初に巡り逢う人は、母親だと思う。
母のおなかに生まれた私って生命が、この世に生まれ出て、そこから無限の巡り逢いが始まったんだ。
手を繋いで歩いた遊歩道の光景が、甘えて抱きついた私を優しく受け止めてくれたぬくもりが、今も私の心の底で私を支えている。だから、いろいろな巡り逢いがあって、嬉しいときや楽しいときだけじゃなくて、つらいときや悲しいときも、私は私でいられているんだと思う。
『ありがとう』
照れくさくて普段は口にはできないけれど、この巡り逢いにずっと感謝しているよ。
「温泉旅行行きたいなあ」
親友のカナちゃんと、最近疲れててさあ、と愚痴を言い合っていたとき、カナちゃんがポロリと呟いた。
「温泉良いねえ!一緒に行こうよ!」
一瞬で2人でゆったり温泉に浸かってじんわりあったまる想像をして、すごくいいなあと思った私は、間髪入れずにそう返した。
「うん。私もアキちゃんと一緒に行きたいなあって思ってたの。いつ行く?」
と、カナちゃんは乗ってきてくれる。
ふたりしてスマホのスケジュールアプリを開いて、休みの日を突き合わせる。
「私、この辺繁忙期終わって有給取りやすいけど、アキちゃんはどう?」
「あ、私もその辺休み取れるよ!じゃ、日程はこの辺で……2泊3日?」
「うん、そうだね」
日程は簡単に決まった。問題はどこに行くかだった。
「近場の温泉で有名どころだと草津とか箱根とか熱海とか?」
「私、どこも行ったことないなあ」
「私も!」
どこも行ったことのなかった私達には、どこも魅力的に感じられて迷ってしまう。
スマホで泉質やら周りの観光地やら景色やらいろいろと調べてみて、ああでもないこうでもないと検討する。
ふたりとも「うーんうーん」と唸りながらも、なんだか楽しくて、笑顔がこぼれる。
どこへ行こう?ってふたりで頭を悩ませているこの時間が一番楽しい説あるかもな、ってちょっと思ってみたりして。
どこへ行ったって、この相手となら絶対楽しいってお互いに確信がしてるから、逆にこんなに悩むのかもしれない。
なんだかんだで行き先も決まり、各種予約を済ませて、一段落。
「温泉、楽しみだね!」
「うん。楽しみ」
ふたりで言いあって笑いあう。
ああ、ワクワクする。
旅行の日まで、何があっても頑張れそうな気がした。
玄関を開ければ、白いもふもふが私を迎えてくれる。『サモエドスマイル』と呼ばれる可愛い表情で、フサフサの尻尾をブンブン振って駆け寄ってきて、全身で「おかえり」を表現してくれる。
「わー!ただいまー!会いたかったぞー!」
私は荷物を置いてしゃがみ、愛しいもふもふを腕の中に迎える。もふもふ、ふわふわ、あったかくて、これだけで最高に癒やされる。
「よーしよしよしよし、可愛いなあキミは。本当に最高に可愛い。あー、たまらん。大好きだぞー!宇宙一愛してるぞー!もうbig love!だわ!マジで!」
わしゃわしゃともふもふを撫で回しながら言えば、返事をするように「ワン!」と一声鳴いてくれた。「ボクも大好き!」とか「ありがと!」とかそんな意味かなって勝手に解釈して、また愛しくなる。
「おかえりー!ご飯できてるわよ!早く手洗いしていらっしゃーい!」
廊下の奥から母さんの声がした。
私はそれに「はーい!」と応えて、荷物を手にして立ち上がった。その脇に愛しいキミ。廊下を進めば、夕食のいい匂いが鼻腔をくすぐった。
ああ、幸せだな、大好きだな、って私は思った。
授業中、クラスの皆で薄暗くした教室で退屈な教材のDVDを見ていた時、二の腕にツンツンと触られた感覚があって、僕は左隣の蓮見さんのほうへ目を向けた。蓮見さんは1枚のルーズリーフを僕の方へ差し出している。左上に『しりとり』の文字、その右に『→』があって、さらにその右にはリンゴと思しきイラストが描かれていた。
「絵しりとりしよ」
蓮見さんがささやき声でイタズラっぽく笑った。僕はその様子に少しドキリと胸を鳴らしながら、何事もなかったかのように無言でルーズリーフを受け取った。それを見て蓮見さんがまた満足気に小さく笑った気配がする。僕は蓮見さんの描いたリンゴの隣に、ささっとゴリラのイラストを描いた。上手くはないが、ゴリラだとは伝わるだろう。たぶん。
僕は蓮見さんがさっきそうしたように、彼女の二の腕をツンツンしようとしようとした。けれど、何だかいけない気がして、直前でやめる。そして、隣の彼女へ「ねえ」と小声で声をかけた。
退屈そうに映像の映ったスクリーンを眺めていた蓮見さんは、僕の方へ目を向けて、僕が差し出すルーズリーフを受け取った。僕の描いたゴリラっぽいイラストを見て、
「王道で来たね」
とまたささやき声で笑う。
それから、数秒でラッパのイラストを描いて、僕へ差し出した。
「蓮見さんこそ」
僕がそうささやき声で返しながらルーズリーフを受け取ると、蓮見さんは楽しそうに笑った。
時には笑い、時には「やられた!」と苦い顔をし、時には感心し、僕らは絵しりとりを続けていく。合間で、僕らのささやき声の応酬も続いた。
僕はくるくる変わる蓮見さんの表情に密かに胸を高鳴らせながら、退屈な授業中のふたり遊びを楽しんだ。