私は小さい頃、魔法使いになりたかった。某魔法学校から入学許可証が届くのを、長い間待っていた。
でも、自分は全然魔法っぽいことはできないままで、入学許可証は一向に届かず、ある日急に『ああ、私って魔法使いじゃないんだなあ』って腑に落ちた。
それからは普通の人間として生きてきたつもりだけど、気づいたらいつの間にか普通のレールから外れてたり、変わったルートに入ってたり。魔法使いどころか、普通の人間になるのもかなり難しかった。
そんな人生の中で、落ち込んでいるとき、誰かの言葉で急に心が軽くなったり、楽しいときに、声を掛け合ったらより楽しくなったりすることに気づいた。魔法じゃないけど、魔法みたいだ。私の周りには、魔法使いみたいな人達がたくさんいて、私はそれに救われてる。
私も誰かにとっての魔法使いみたいな人になりたい。昔憧れた魔法とはだいぶ違うけれど、この魔法ならきっと、私にも使える気がするの。
雨上がり、元気にしっぽを振って見上げてくる君のリクエストにお応えして、一緒に散歩に出かけた。
雨上がりは、いつもの散歩コースでも、雨粒で濡れた木々や草花が陽射しにキラキラと輝いて、いつもより明るい気持ちにさせてくれた。
隣を歩く君も心なしかいつもよりウキウキしているような感じがして可愛い。
散歩コースの途中、広い河川敷におりた。君はいつもここで駆け回るのが大好きなのだ。
今日も草に付いた雨粒が毛を濡らすことなど全く意に介した様子なく、元気にくるくる駆け回っている。
君を穏やかな気持ちで見守っていたら、急に君が立ち止まって、空を見上げて「ワン!」と吠えた。そして、私のところへ駆け寄ってきて、また空を見上げて「ワン!」。しっぽをブンブン振って、私の顔と空を交互に見ている。
空に何かあるんだろうか。そう思って何となく顔を上げた私は、そこにあった景色に息を飲んだ。
まだ少し雲を残す青空に、虹が浮かんでいた。それも2本。なんだか奇跡を見たような気になって、私は興奮した。
「え、すごい!虹!しかも2本!これを私に教えてくれてたの?すごいよ!ありがとう!」
私は興奮して隣の君をぐるぐると撫で回した。君はどこか得意気な顔で撫でられている。
私は君を撫でながらまた虹を見て、その美しさに浸る。
君と見た虹は、奇跡的に綺麗で、特別な景色だった。
僕は星。夜空を彩る無数の星のひとつ。ずーっと昔は地上に生きている人間だったみたいだけれど、地上を離れてからはずーっと星として空から地上を見守ってきた。
ある日、月が僕に言った。
「お前は今夜、流れ星になりなさい。そして、地上で新しい生を得るのです」
僕は、ついに来たか、と思った。僕と同じ頃に星になった仲間は、みんな流星になって、地上で生きてる。僕の番が、ついにやってきたんだ。
それから数時間。僕が流星になるときがやってきた。
僕は周りの星に別れを告げて、地上に向かって駆け出した。
周りの星は「また会おうね」「良い生を!」なんて声をかけてくれる。僕はそれに光で応えた。
地上が近づいてくる。からだが熱い。星としての僕はここで消える。星として見守ってきた地上の景色が頭の中を駆け巡る。
星としての日々は素晴らしかった。地上での次の生も素晴らしければいいな。
僕はひとり夜空を駆ける。駆けて駆けて、そして――消えた。
その日、地上に新しい命がひとつ、誕生した。
たとえば、あなたが好きだと言っていた食べ物、漫画、音楽……。そういうものに触れたとき、私はあなたを思い出す。中学を卒業して、私とは別の高校に行ってしまったあなた。私があなたに抱いていたひそかな想いは、今も日常にあなたの欠片を見つける度、胸の中で存在を主張して疼く。
遠くで見てただけだった。もうこれでお別れ、という瞬間にすら、私は踏み出せなかった。
伝えられることなく秘められたままで終わったこの想いは、どこにも行けぬまま。きっと、いつかは消えてなくなる。私は、消えてなくなるその瞬間まで、この想いを見つめていたい。伝えられなかった苦さも含めて、大事に抱えていたいんだ。
「あなたは誰?」
事故に遭った彼女の病室に駆けつけたとき、彼女の私への第一声はそれだった。
彼女のお母さんがどんなに「幼なじみの梓ちゃんよ、わからないの?」と問いかけても、彼女は戸惑ったように首を横に振るばかりだった。私はとてもショックで、その場でただ立ち尽くしていた。
彼女の病室に行ってから数日。私はお見舞いに行けずにいる。
彼女が忘れているのは今のところ私だけで、家族や他の友達、仕事仲間なんかはしっかりと覚えているらしい。
どうして私だけ……。そう考えたときに、私の脳裏によぎったのは、遠く過去に押し込めた小さな罪悪感だった。
彼女――美咲と私は、同じ幼稚園だった。美咲も私も絵を描くのが好きで、よく一緒にクレヨンで絵を描いていた。
大人はいつも美咲と私の絵を「上手ね」って褒めてくれた。でも、本心で心から感心して褒めているのは、美咲の絵だけだって、小さな私は何となくわかっていた。
わたしもあんなふうにほめられたいのに。なんでみさきちゃんだけ、とくべつなの。
いつしか私の中に芽生えていた小さな嫉妬心。私はその嫉妬心から、ある日美咲のクレヨンを隠した。ちょっとした意地悪のつもりで。
自分のクレヨンがないことに気づいた美咲は、ビックリして、困って、泣いてしまった。
私はこのとき、意地悪が成功したのに、全然良い気分にならなかった。なんだか心がズーンと重くなって、こんなことするんじゃなかったって後悔した。
程なくしてクレヨンは見つかった。クレヨンを隠した犯人は探されず、誰も、美咲も、私が犯人だって気づかないままだった。
それ以降、私は美咲に悪意を持って何かをしたことは一度もない。美咲のことを羨ましい、妬ましいと一度も思わなかったと言ったら嘘になるけれど、それでも、それを表に出したことも一度もない。
でも、もしかしたら、美咲は気づいていたんだろうか。小さかった私の小さい悪意にも、今も密かに抱き続ける嫉妬心にも。だから、それが嫌で、私のことだけ忘れてしまったのかもしれない。
私のこと、忘れてしまった方が楽だって、美咲は思っていたのかも……。
私がそう思って落ち込んでいた頃、美咲のお母さんから連絡があった。『美咲が梓ちゃんに会いたがっている』と。
記憶は戻っていないのに、今の美咲にとって私は他人なのに、どうして会いたいなんて言うんだろう。
私なんて、忘れっぱなしで居た方がきっと幸せなのに。
数日後、私は美咲の病室を訪れた。迎えた美咲の表情は笑顔だった。少し他人行儀な笑顔だけど、それでも確かに笑顔だった。
「梓ちゃん」
美咲が微笑んで私の名前を呼ぶ。
「っ……はい」
私は動揺する心を抑えて、なんとか返事をした。
「お母さんからききました。梓ちゃんとは幼稚園の頃から長い間ずっと友達だったんだって」
「……うん」
「忘れちゃってごめんなさい。でもきっと、梓ちゃんは私にとって特別な友達だと思うから、忘れっぱなしではいたくないって思うの」
「うん」
「私、梓ちゃんともっと会いたい。お話したい。それで、梓ちゃんのこと、思い出したい」
美咲の目は真っ直ぐに私を見ていた。
「……思い出しても良いことばかりじゃないかもしれないよ。私を思い出すなら、きっと嫌な思いもするよ」
私は美咲の視線から逃げて、俯きながら言った。
「それでも。私は、あなたが誰で、私にとってどんな人だったのか、ちゃんと思い出したいです」
美咲の力強い声が私の揺れていた心をガツンと殴った。
顔を上げれば、やっぱり美咲は笑っていた。
いつか私の隠した罪悪感も嫉妬心も美咲が知ることになるかもしれない。それでもいいとあなたが言うなら。
「わかった。改めてよろしく、美咲」
「うん。よろしくね、梓ちゃん」
私はまた、いろいろな思いを抱えながら、友として、美咲のそばにいることを決意した。