1月1日の朝。モコモコに着込んだ私は、自宅近くの海岸へ来ていた。砂浜から見える水平線は、少し赤く光っている。もうすぐ夜明け。初日の出だ。
周囲には、私と同じように初日の出を見ようとやってきた人々がチラホラと。カップルや家族で来ている人たちも居る。皆、水平線に注目していて、会話の声もポツポツと聞こえるのみ。波の音が穏やかに鳴っている。
水平線はだんだんと赤から白へ近づいていく。やがて一筋の光が輝いて、眩しい太陽が顔を出した。
とたんに薄暗かった世界が黄金の光に包まれる。日の暖かさを感じる。胸の奥からグワーッと大きな何かが込み上げてきて、未来への不安なんて、蒸発するように消えていた。
新しい年の、新しい朝だ。明るく輝く朝がきたのだ。
大晦日。時刻は21時。星空が綺麗な夜だった。
「じゃ、お先に失礼します。良いお年を」
「はーい、お疲れさま!良いお年をー」
バイト先の社員さんに挨拶して、店を出る。
あの人も俺も、明日もシフト入っているから、1日と待たず新年の挨拶をすることになるのに、『良いお年を』って言葉を交わしたのが、少し不思議な気持ちだった。
『良いお年』ってなんだろなって、何となく考えながら歩く。今年も1年バイト三昧、いっぱい稼いでいっぱい遊んだ。勉学の方はちょっと微妙だったけれども、留年はせずに済みそうな程度にはやれた。しんどいときもあったけど、何とか1年、やりきった感がある。家路を辿る足取りは軽やかだった。
こういう清々しい気持ちで迎えられる新年は『良いお年』ってことになるのかな。そうだとしたら、もう俺は『良いお年』確約されてるようなもんじゃね?
考えてたら、楽しい気持ちになってきて、自然と鼻歌を歌っていた。
今年は、自分と対話する1年だった。
仕事で失敗したとき『どうしてこうしてしまったんだろう?』
他人にキツく言われたとき『どうして私はこんなふうな言われ方しかされないんだろう?』
つらいことがあって逃げ出したいとき『今逃げてそれで本当に楽になるか?』
楽しく仕事をできているとき『このままの状態をちゃんと維持できるだろうか?』
心と身体に不調が起こったとき『もう休んでもいいんじゃないか?』
たくさんの問いかけが自分の中から湧いてきて、その度に悩みもがいた年だった。
来年はどんな年になるだろう。
自分の内側から外側へ、少しでも視界を広げられる1年になったら嬉しいな。
冬に暖かい部屋で食べるみかんって、なんであんなに美味しいんだろう。
橙色の皮を剥いて、現れた果肉を口にほうり込む。噛めば薄皮が弾けて、ジュワリとした果汁が口の中に広がる。乾燥した空気に乾いた喉に、うるおいが染み渡る。甘酸っぱくて、美味しい。
机の上の籠の中には、みかんがたくさん積んである。1個食べ終わった後には、そこへまた手が伸びて、2個、3個と食べ続けたくなる。
そんなふうに過ごしていたら、気づいたら手が黄色っぽくなっている。周囲の人に言われて「あー、みかん食べすぎた!」って言って笑う。
冬のみかん、そこまで含めて美味しいというか、幸せ、なんだよなあ。
年末は、なんだか寂しい感じがして好きじゃない。大掃除だ、正月準備だと忙しないのも嫌だ。
お正月は好きだ。10時くらいまで寝てても誰も文句言わないし、美味しいお餅がたくさん食べられる。俺は特にきな粉餅が好きだ。
お正月が終わっちゃうと、何だか憂鬱になってくる。もうすぐ学校が始まるからだ。学校で友達に会えるのは嬉しい。でも、冬休みの宿題ってやつが厄介なんだ。冬休みの期間は短いから、夏休みほど大量に出るわけではないけど、あるものはある。俺は、宿題にはギリギリまで手を付けないたちだ。最後の数日で慌ててやるのがいつものこと。夏休みの最後の3日間はいつもヒーヒー言っている。今回の冬休みも、正月が終わってから手をつけることになった。
「あんた、毎回大変になるのわかってるんだから、次からは毎日コツコツやりなさいよ」
俺が宿題を必死にこなす脇で、母ちゃんが言う。
そんなのわかってんだよなあ。でも、毎回こうなっちゃうんだよなあ、俺。どうにもこういうヤツなんだよなあ。
宿題が終わらない焦りと、この事態を引き起こしたどうしようもない自分への憂鬱と。
俺は母ちゃんへ、返事の代わりにため息で返した。