ミキミヤ

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12/14/2024, 10:07:23 AM

2年前に夫が亡くなって、3人家族だった私達は、娘と私の2人きりの家族になった。
はじめは私も娘も泣いてばかりだった。心の中で、夫の存在が大きすぎて、喪ってできた大きな穴を埋められずに、ただ泣いていた。だけど、しばらくしたら、この穴を無理に埋める必要はないのだと私は気づいた。ぽっかり空いた穴も抱えて、進んでもいいのだと思った。だけど、まだ7歳だった娘は、なかなかそれを受け入れられなかったようで、穴を抱えたまま日常に戻ろうとする私に、激しく反発した。何度も泣き叫んで、抵抗していた。私には娘の心を無理に変える力も権利もないから、ただ受け止めて、抱きしめて、背中を撫でることしかできなかった。
やがて娘は夫の死を受け入れて、その傷を抱えて立ち上がることができるようになった。

そこからが、本当の戦いだった。私の手1つで娘を育て、ひとり立ちさせなければいけない。なるべく娘と過ごせるように、がむしゃらに働いて定時で帰って、晩ご飯を作って、一緒に食べて、その日学校で起こったことを聞いて。お風呂を沸かして、次の日のお弁当を用意して。翌朝は朝ご飯を用意して、先に出かけた。娘のためにできることは何でもやった。周りには、全部抱え過ぎだと言われた。そんなに頑張らなくてもいい、他を頼れと言われた。でも、私は妥協したくなかった。娘に寂しい思いはさせたくなかったし、娘のことで少しでも手を抜いて、娘自身にそれを気づかれたらと思うと怖かった。私は娘に愛を注ぐ方法は、これしか思いつかなかった。
娘が中学生になった頃に「晩ご飯作るの、当番制にしない?私もやりたい」と言ってきたときは、すごく驚いた。試しに作ってもらったら、意外としっかりした手つきで普通に美味しいご飯を作ってくれて、それにも驚いた。
私が「すごいね」と言ったら、娘は「いつもお母さんが作るの見てたから。お母さんのおかげだよ」と言った。私はすこし泣きそうになった。私の背中を見てくれていたことが嬉しかった。
晩ご飯の分担をきっかけに、娘は家事の中で自分の力でできそうなものは「やりたい」と言ってくれるようになった。そのうち全て「やりたい」と言いかねない様子だったので、話し合って、きちんと分担することになった。任せた家事はどれも普通以上にできていて、娘の成長を感じた。

時は経ち、娘はもうすぐ社会人になる。就職祝いに何が欲しいか訊けば、「お母さんの時間、1日ちょうだい」と言われて、休日に1日一緒に過ごすことになった。
約束の日、娘はレンタカーを借りてきて、私をドライブに連れ出した。大学に入ったころに免許を取っていたのは知っていたが、思っていたより安定感のある運転だった。運転する横顔はすっかり大人になっているように見えた。
そうして連れて行ってくれたのは、私が密かに行きたかったカフェだった。テレビを見ながら私が呟いた言葉を覚えていたらしい。他にも、最近できて気になっていたショッピングモールにも連れて行ってくれた。

「何だか私ばっかりいい思いしてる気がするけど。あなたの就職祝いのはずだったのに」

私が言うと、娘は微笑んで、こう答えた。

「お母さんいつも、私が欲しいとかやりたいとか言ったこと、全部覚えてて、できる限り叶えてくれたじゃない。そういうの、嬉しかったから、お母さんにも返したいなって思ってたの。ちょっとした親孝行、やってみたかったんだよ。それが今叶ってるから、充分就職祝いになってるのよ」

今まで、娘に精いっぱいの愛を注いできた。返ってくるものになど期待しない、私がただ注ぐだけでいいと思ってやってきた。
でも、娘は私の注いだ愛をちゃんと受け止めてくれていて、同じように私に愛を注いで返してくれている。
その循環に、胸が熱くなった。愛を注がせてくれて、愛を返してくれる娘の存在は、奇跡的だと思った。

「ありがとう、大好きよ」

自然と言葉が溢れていた。

12/13/2024, 8:32:03 AM

「えーっ、そうなんだ」
「そうそう。それでさ、〇〇くんが……」
「なにそれやばくない!?」
「ヤバいでしょ!!」

日常の出来事や推しの話、楽しく会話してるけど、お互いに深いところには踏み入らない。踏み込んではいけないラインを、何となく察している。
この人のことは友人だと思っているけれど、これからどんなに長く付き合っても親友にはならないと思う。
きっと、2人同時に命の危機に遭ったら、自分の命を優先するんだろうな、と思っている。きっとこの人も同じ選択をするとも思うし、それで心が痛むこともない。表面的な友人関係なんて、そんなものだ。
心と心で触れ合って、もっと深いところまでお互いを知り合って、何かあったとき相手の命を優先できるような『親友』を作るには、私はもう臆病になりすぎてしまった。
そのことに寂しさを感じながらも、私は今日もラインを越えない安全圏で『友人』をする。

12/12/2024, 8:48:00 AM

日直の日。

「麻生くん、ごめん、わたし、上まで届かなくて」

黒板の前で、日直のペアの新井さんが申し訳なさげに手を合わせている。

「いいよ。気にしないで。こういうのはできるやつがやればいいんだから」

俺は、何でもないことのようにサラリと答えて見せた。まあ、実際大した手間でもないし何でもないことなんだけど。

「麻生くん、ほんっとありがとね」

新井さんが笑ってお礼を言ってくれるから、俺はついついこうやって調子に乗ってしまう。

新井さんは、小さくて可愛い。小動物的な、庇護欲をそそられる可愛さがある。俺はいつも隣の席で彼女のことを盗み見ながらそんなふうに思ってるわけなんだけど、彼女と接するときは努めて何でもないフリをしている。だって、考えてることが彼女に伝わっちゃったら、いろいろ終わる気がするから。

黒板を消し終わって、席に着く。先生が入ってきて、新井さんの号令で授業が始まる。
俺は今日も何でもないフリをしながら、隣の彼女を密かに見つめるのだった。

12/11/2024, 8:32:00 AM

大人になった今考えると、受験の時って、皆が等しく受験というイベントに立ち向かう仲間でありながら、競争相手でもあって、独特の空気だったなあって思う。
戦いを終えた人達をまだ戦ってる最中の人達は羨んだり妬んだり、ギスギスすることも数しれずあったけれど、全部終わった最後には、みんなお互いの健闘をたたえあって、笑って卒業してた。他ではもっと複雑な人間関係が繰り広げられていたのかもしれないが、少なくとも、私の戦友たちはそうだった。
たまたま同い年で、たまたま同じ学校に入って、たまたま同じクラスになって……偶然が重なりまくって出会った仲間。
そんな彼らは今はバラバラ、別の道を行っている。でも、時々ふと思い出して、元気を貰うことがある。青春の日々をともに戦い駆け抜けた彼らは、今でも特別な仲間のままなのかもしれない。

12/10/2024, 7:02:22 AM

幼稚園の頃、よく友達と手を繋いで帰った。
おうちに遊びに行った帰りは、離れがたくて、手をかたく握りあい、
「手と手がくっついてはなれないー!」
なんて言って、2人の母を困らせた。

幼稚園から、小学校に上がって、手を繋いで帰ることはなくなった。だんだんと、手と手を繋げる距離で居ることも減っていって、中学生になる頃には、『昔仲良かっただけのただの同級生』になっていた。高校受験が決定的な別れ道だった。
かつて手を繋いで離したくなかったあの子とは、高校進学以降会っていない。今どうしているのかも知らない。

それでも、手をかたく握りあって別れを惜しんだあの思い出は、何故か今も忘れがたく、私の心に刻まれている。

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