「先生。どうして先生は、先生になったの?」
「…急にどうしたの。」
私は作業の手を止めて、質問してきた生徒の方を向く。
「校長先生が、今朝の朝礼で言ってた。未来への鍵をつかもうって。」
「…そういうことを言う子だったっけな。まぁいいや。」
彼女の言う校長先生も、もともとは私の弟子だった。
「私が先生になった理由ね。コウチョウに頼まれて、面白そうだったから。」
「…それだけ?」
「うん。」
「…じゃあ、先生になる前は何だったの?」
「旅人。この街じゃあんまりいないけど。私は旅人で、いろいろな街を歩いてた。」
この街は教育がシステム化されていて、将来は働くことになる。
「え?じゃあお金は?」
「あるし、貯まるし。人助けとかすれば、もらえる。なければ野宿とか。」
悪いこともいくらかやってきた。言わないけど。
「野宿…。先生って、壮大な過去の持ち主…?」
「そんなんじゃないよ。話を戻すけど、『未来への鍵』ね。別になくていいんじゃない?あなたはどうしてこのクラスに?」
「この勉強が楽しくて、続けたかったから。」
私はふっと息を吐く。
「私と何が違うの。『未来への鍵』とか、そんなことは気にせず、やりたいことをやればいいよ。少なくとも、私の方針はそうで、私自身そうだから。」
「…わかった。やっぱり先生はすごいね。」
「どういうこと。」
「なんでもなーい。」
彼女は笑って、教室を出て行った。
ついに戻ってきた。いや、戻ってきてしまった。この場所、師匠との修業の地。
「ただいま、師匠。」
近くの川で獲ったのだろう魚を焼いている師匠に、私はそう声をかけた。師匠は徐に振り向いた。誰かが近づいてきていることはわかっていたのだろう。師匠は警戒心が強い。
「…ナツリ?」
「そうだよ。」
「どうかしたの?」
10年ぶりくらいなのに、そんな感じが全くしない。師匠の見た目が変わらないからだろうか。それとも、私の成長と衰えを師匠が口にしないからだろうか。まぁ、そういう師匠だけど。
「お願いがあるの。」
「…必要ないでしょ。」
師匠は焼き魚の方に向き直った。
「…どういうこと?」
「弟子の打診なら受け付けないよ。私はそういうことはしない。」
「…なんでわかったの?」
「体を見れば、中身も見える。少し痩せたね。あなたは何かに心を乱されている。そのせいで力を発揮できていない。」
師匠の言う通りだ。何に乱されているのかは、わかっている。でも、自分じゃどうにもできなくて、だからここに帰ってきてしまった。
「私、怖くて。このまま力を失ってしまうのか不安で。」
なんて声で、なんて情けない言葉だろう。弟子がこんなで、偉大な師匠の名が傷ついてしまう。
「それも、ナツリでしょうに。」
師匠は俯く私の頭を撫でた。私は顔をあげる。
「あなたはあなたのままで。」
さっきまで無表情だったのに、あたたかいほほ笑みを浮かべる師匠。
「…こんな私で、いいの…?」
「もちろん。そうだ、魚食べる?いい感じに焼けたんだ。」
師匠はマイペースで、相変わらずだ。ほくほくした顔で魚のにおいを嗅いでいる。
「…師匠は変わらないね。」
目頭が熱くなっている。私は必死に堪えた。
「変わらないものなんてないよ。あなたはこれでまた一歩成長する。」
「…師匠は?」
「あれ、気づいてない?」
師匠は私の後ろに目をやった。私はそれにつられて顔を向ける。そこには、ちょうど10年前くらいの私のような子が薪を抱えていた。
「今の弟子。来ていいよ。」
師匠が呼ぶと、その子はトテトテと歩いてくる。
「私も、変わってるよ。この子は、大人しいから。昔より、優しくなったかも。」
確かに、師匠はもっと無口だった気がする。
「そうだね。」
私は少し安心した。私は、変わっていい。そう思えたから。
「今年はまだ降らないね、雪。」
彼は今にも雪が降りそうな雲を見つめて、そうつぶやいた。
「降らなくていいよ、寒いだけだから。」
そんな彼とは対照的に私は、集めた薪に火をつける。
「はは、相変わらず寒がりだね。」
彼も手伝ってくれて、すぐに火は大きくなった。
「うん。」
「でもね、雪が降るからこそ、美しいものだってあるんだよ。」
「知ってるよ、去年も聞いた。」
彼はそういうのが好きだから。
「そう。」
「でも寒いもんは寒いんだよ。」
私は火に手をかざす。
「そうだね。」
彼も同じように手を出した。私は知ってる、彼も寒がりで、だから大して雪を待ってるわけではないことを。でも彼は、私の前では強がりで。
「早く降らないかな。」
「ふふ、そうだね。」
「何がおかしいの?」
「ううん。なんでもない。」
(日記)
最近無性に泣きたくなるときがある。
今日は気分じゃないからってドタキャンされたとか、きつい言い方されたとか、課題がむずすぎて終わらないとか、どうしようもなくて悔しくて泣きたくなる。
自分がどうしたいかとかどうなりたいかとか、わからなくて、目の前のことに精一杯だったり、他の人のことを考える余裕なんてなくて、無意識に自分もそんななのかなって思ったり。
そういうとき、親身に話を聞いてくれて、泣かないでって言わないで、それも一種のストレス発散とか、私の代わりに怒ってくれて、感謝しかない。
…疲れてるのかな、私。
何で君は無理するのだろう。バレないとでも思っているのだろうか。そんなの、ほんのりと赤く染まった頬を見れば、また少し動き回っただろうことなんて、すぐにわかる。
「何してたの。」
「…。」
「僕はここで大人しくしててって言ったよね。」
こくんと君はうなずいた。
「部屋に戻ろう。」
僕は君の手を取った。
「っそれはダメ!私はここにいる。」
触れてわかる。微熱だったはずだけど、完全に上がってる。
「どうして?」
「…助けてって言われたのは、私だから。彼を助けるために、私はもう一度彼と会わなければならない。」
とろんとした目で、でも真剣な表情の君は、一生懸命な人を応援したくなる性分だってことを、僕はまた思い知る。もともと君が微熱だったのは、その性分のせいで大怪我を負い、それによる発熱だというのに。
「シャト君は、私に逆らえないことを、私は知ってる。」
君は静かに、きっぱりと言った。それはその通りで、実力的には君には逆らえないんだけど、
「だってシャト君は、こういう私にも惚れているから。」
無理するところは好きじゃないって言えたらよかったのに、健気なところが可愛くて、僕は何も言えなかった。
「君はずるいね。」
「知ってる。」
なんだか顔と、君に触れる手が熱い。僕も微熱に浮かされているのだろうか。