#04 『白夜になれ』
深夜徘徊を始めたのは、高校に入って3ヶ月程経った頃だった。
中学生の時から何となく家に居づらくなって、その頃は部屋に引き籠もったり友達の家に泊まったりしていた。
始まりは反抗期だったのかも自分ではわからない。いつの間にか、両親と顔を合わせる度に居心地が悪くなっていた。そして、両親から逃げるような生活をしていたら、高校受験が終わったあたりに昼夜逆転した。
学校から帰ってすぐに寝て、深夜に起きて、朝方にまた寝る不規則な生活。体調は悪くなったけど、親と顔合わせるくらいだったら昼間キツい方がずっと良かった。
ついに高校に入って、親の目が無くとも家にいるのが嫌になって、梅雨明けくらいから深夜徘徊を始めた。
確か、アサヒに会ったのも、深夜に家を出て近所の公園でぼーっとしてるときだった。
キィキィと錆びたブランコが音を立てる。本当は15になった俺は乗っちゃいけないけど、誰も見ていない今なら関係ない。
この公園は人通りも少ないし、誰か通りかかっても大きな音を立てない限り気づかれない。最近は毎日のように来ている。ベンチには屋根もついていて、雨が降っても来れるのもこの公園のいいところだ。
タッタッタッ
誰かが近くを通っている軽い足音がした。方向からしてブランコは見えにくいだろうし、公園に入ってきたりしないと俺の存在には気づかないだろう。それでも音を立てないようにとピタリと動くのを止めて息を潜める。
よし、そうだ。そのまま通り過ぎてくれ──────
「誰かいますか?」
声変わりもしていなさそうな幼くて少し舌足らずな声がした。
「こんばんは」
気づけば目の前まで来ていた思っているよりもずっと小さい人影、大体小学生高学年から中学生くらいの少年。
──────それが、俺とアサヒの出会いだった。
あれからアサヒとは何度も公園で会った。
俺は毎日のように公園に行ったし、アサヒは週に2、3回やってきた。
お互い、何で真夜中に外に出ているのかなんて話さず、ただ月を眺めて、ブランコを漕いで、他愛もない話をした。
それは夏休みに入っても変わらず(流石に台風が来ているときは外出出来なかったけど)、逆にアサヒが公園に来る回数が増えたくらいだった。
それでも、出会いがあれば別れがあって、それは、突然やってきた。
あの日は、夏休みが終わる前日だったと思う。
「流石に来ねえか…………」
いつもアサヒが来る頃からもう1時間は経った。針がテッペンを回るか回らないかの時。
俺と違って健全な男子中学生のアサヒは、長期休み明けの前日まで夜更かしはしないのだろう。
別に来ないのことはよくあるけど、何となくつまんない。相変わらず錆びついたままのブランコが、体重をかけたことでギィギィと音を立てた。
今日はもう帰ろうか。自分にだって明日学校があるのは変わらないのだ。
「サツキさん、いますか?」
「うぇっ!?」
ブランコがギリギリと悲鳴をあげる。
何時の間にかアサヒは公園の入口に佇んでいた。ゆっくりとこっちまで歩いてくるアサヒ。でも、いつもと少し違う気がする。
「今日も来てたんですね」
目の前まで来たアサヒ。その顔には酷いアザができて、鼻には血に濡れたティッシュが詰められている。
「アサヒっ、お前、それっ!」
慌てて勢いよくブランコを降りた俺にアサヒは笑う。
「あはは、ちょっとドジっちゃいました」
でも、大丈夫です。そう言ったアサヒは全く大丈夫そうには見えない。俺は知っている。こういう時に大丈夫と言って本当に大丈夫な奴なんていない。例えいたとしてもそれは人間の中でも一握りなんじゃないだろうか。でも、どう声をかけていいのかわからない。
「サツキさん、少しだけ僕の話聞いて下さいよ」
躊躇って口を開けては閉じてを繰り返す俺に、隣のブランコに腰掛けたアサヒは暗く陰った瞳を閉じてそう言った。
僕の父親は、暴力を振るう人なんです。ずっと小さい頃からそう。だいたいは夜、仕事から帰ってきて、お酒を呑んで、そして理不尽な難癖つけたり、時にはそれもなく僕を殴るんです。母はそんな僕を見て見ぬふり。昔、僕が生まれる前は母が暴力を受けていたらしくて、僕は丁度いいスケープゴートだったんだと思います。学校に通うようになってからは服に隠れてるところを殴るようになって、しかも中学に入った頃から更に酷くなって。それで、逃げるために夜出歩くようになったんです。でも、それが母にバレちゃったんです。母は世間体を気にする人なので、凄い剣幕で怒鳴られました。『なんでそんな事するんだ!』って言われて、久しぶりに母に平手打ちされましたよ。あはは。そこに父が帰ってきて、父にも深夜に出歩いたことがバレて。素面の父にもボコボコにされて、このザマです。頭に血が登ってたみたいであんなに気をつけてたのに顔も殴られて。痛かったなー。身体も見ます?凄いですよ。2時間くらい前かな?、ようやく父の気が済んだみたいで、開放されたんですけど身体が思うように動かなくって。そこから母がヒステリック起こしながら1時間くらい説教してきて。さっき身体が動くようになったんで、黙って家出てきちゃいました。
どのくらいの時間、話を聞いていただろうか。長いような短いような話を終えたアサヒは、諦めたような顔をして笑った。
お互いの詳しい話なんてしたことがなかったのに、初めて聞く話がこんななんて思ってもいなかった。
「あー、お疲れ様」
やっぱりなんて言ったらいいのかわからなくて、取り敢えず労りの言葉をかけてみた。
「僕こそこんな話聞かせてしまって、すいません」
その瞳は変わらず暗く陰っている。
こいつも逃げてきたのか。アサヒの話を自分の中で飲み下す内に、ふとそう思った。確かに俺は暴力を受けたわけじゃないけど、親から逃げてここに来たのは同じだった。
「ずっと夜だったら、俺達は逃げ続けられるのにな」
何ともクサいセリフだとは自分でもわかっていたが、口から出ていったものはなかったことには出来ない。ただ、自分がかけられる言葉はこれで精一杯だ。
「そうですね」
アサヒは空を見上げてブランコを漕いでいる。
「僕達は夜に生かされているのに、おかしいですよね」
やっぱりなんて言ったらいいのかわからない。俺はこういうのは苦手だ。
「僕、明日病院と警察に行こうと思うんです」
きっとこの怪我じゃ、『転んだだけ』なんてことにはならないでしょう?自嘲気味に笑ったアサヒはさっきとは違う明るい声をしている。
「学校行く振りして、病院行って、警察に行って、あの家から逃げるんです」
一言一言確かめるようなそれは、まるでアサヒが自分に言い聞かせるようだった。
「いつか、暗い夜じゃなくて、明日を楽しみに出来るような夜を、僕は過ごします」
あの夜を最後にアサヒとは会わなくなった。あれからも深夜徘徊は辞めなかったけど、公園にアサヒが来ることはなかった。
俺は高校卒業後直ぐに就職して家を出た。仕事で疲れて狭いアパートに帰って泥のように眠る日々。
仕事は大変だったけど、就職という大義名分を得て家を出ることが出来たから、深夜徘徊もほとんどしなくなっている。
久しぶりに夜中に外に出て、空を見上げて昔のことを思い出した。
「サツキさん」
舌足らずな声が聞こえた気がして後ろを振り返る。
後ろには、いつまでも変わることのない夜が広がっていた。
#03 『泥中で舞う』
私がまだ初等学校に通っていた頃、バレエを習っていた。バレエはお母さんが子供の時の憧れだったらしい。母子家庭で貧乏だったのに、決して安くない月謝を払って私は約4年間バレエを習った。
上手く踊れるとお母さんが喜んでくれるから、一生懸命練習したのを憶えている。暮らしていたアパートは小さくて狭くてとても練習できたものじゃなかったから、いつも近所の河川敷で練習していた。勿論通りすがりの人にジロジロ見られるし、同級生に会った時なんて生きた心地がしなかった。それでも、いつも疲れた顔をしているお母さんを笑顔にさせたくて、毎日のように踊っていた。
一度だけ、踊っている時に話しかけられたことがあった。それは自分よりずっと小さな女の子だった。
『おねぇちゃん、チョウチョみたい!』
そう言って手を振ってくれた名も知らぬ女の子。
それまでの努力が報われた気がして、心の底から嬉しくて、人は声から忘れていくと言うけれど、あの声だけは、一生忘れられる気がしない。大切な思い出だ。
あの子を見つけたのは凍えるような寒さの冬の日だった。もうすぐ、雪が降る頃だった。
彼女は薄汚れた白いシャツを着て、裸足のままで、美しく舞い踊っていた。誰にも見向きされないのに、懸命に踊っていた。思わず立ち止まって見入ってしまう。
スラリと伸びる手足は力を入れなくても折れてしまいそうなほど細い。ご飯を満足に食べれていないのか。よく見てみれば彼女の足元には錆びた缶がポツリと置いてある。踊って物乞いをしているらしい。
そういえば、彼女の着る白いシャツは最近まで近くの河川敷に住み着いていた家なし子達が揃いで着ていたものだった気がする。3丁目のオグラのおばさんがボロボロの服を着ている子ども達を見て作ってあげたという噂を聞いたことがある。最近はその十数人いた家なし子も見なくなっていた。
少しだけ恵んであげようかと鞄の中のお財布に手を伸ばす。相変わらず景気が良くないし、稼ぎの良い仕事をしているわけではないから沢山はあげれないけど。せめて今日と明日くらいは食べられるように。缶に少しばかりの硬貨を入れるとカランと音がなった。顔を上げると彼女がこちらを見つめている。
「少しだけだけど、頑張ってね」
咄嗟にそう言った。彼女は深く、深く頭を下げた。
「ありがとう、ございます」
綺麗なアルトの声は、少しだけ濡れているように思えた。
それから何度も彼女に会った。彼女は雪が降ろうが変わらず踊り続けていた。私は会う度にお金を恵んだ。自分のご飯が危うい時だってあったけど、私には風が凌げる家があるだけ彼女よりましだと思って晩ご飯を食べずにお金をあげたこともあった。
彼女は『これで新しい服が買える』と泣いて喜んでいた。そして、深く深くお辞儀をして、また美しく踊るのだ。
春が来た。そして、私の人生に大きな転機が訪れた。かの大都市キリサメへの移動だ。実質的な昇進と言っても過言ではない。冬の間にキリサメから視察が来て私の仕事を評価してくれたのだ。素直に嬉しかった。来週にはこんな地方都市を出て大都会で働く。同僚との間で話していた夢物語が目の前の現実にあると思うと踊りだしてしまいそうだ。
履き古したブーツの音を立てて帰る道、今日も変わらず彼女は踊っていた。もう少しで彼女に会えなくなると思うとどこか寂しかった。
「あれ、」
彼女はいつもと少し違っていた。変わらない白いシャツ。元々薄汚れていたそれは、泥に塗れていて酷く動きにくそうだった。
「服、大丈夫?」
思わず声をかけた。自分の声は思ったよりも小さくて、気付かなかった彼女は踊り続けている。
今日も真っ直ぐに伸びる細い手足。クルリと回ってその場で飛ぶ。その姿は、最近暖かくなってきて見るようになったモンシロチョウに重なって見えた。ついこの前見た、泥に羽が塗れて、それでも懸命に空を飛ぼうとしていたモンシロチョウに。汚れた服で踊る彼女は、よく、似ていた。
「ねぇ、私の家、来ない?」
気付けば口から飛び出していた。今度はお腹から声が出て、よく響いた。彼女の動きが止まりこちらを見た。
「私の家、来ない?」
もう一度言った。自分から言ったその言葉は意外と重みがある気がした。
名前も知らない少女だ。過去に何があって物乞いをしているのかとかなんて1ミリも知らない。知っているのは、彼女の踊りがとても美しくて、綺麗なアルトの声を持っているくらい。
「私と一緒に、暮らさない?」
彼女の未来が見たくなった。泥に塗れたモンシロチョウではなくて、純白を誇りながら舞う、美しいモンシロチョウを、見たくなった。
#02 『幸運を。』
「今日の授業では“リマインテージ”について扱う。」
先生の言葉に心がドキリと音をたてた。
「リマインテージとは簡単に言えば魔力が刻まれた特殊な魔道具のことを言う。」
汗ばむ手の平を膝の上でギュッと握った。
「リマインテージが最初に創られたのは約500年前、魔術史での夕幻時代の頃になる」
ただ教科書を見ながら先生の話を聞くのはなんだか落ち着かなくて、ペンをクルクルと回してみる。やっぱり落ち着かなくて、寮のふかふかベッドに思いを馳せる。
「エリーナ、授業に集中しろ!」
あ、怒られた……。
私の家は由緒正しき魔術師の家系、の分家だ。それこそ本家は夕幻時代の前から続いてる家。分家ではあったけど本家との仲は悪くなくて(寧ろ魔術師の中では仲が良い方だ)、私は幼い頃から本家のお屋敷に行っては本家の子といっしょに遊んでいた。お屋敷には面白い物がいっぱいあった。あちこちに飾られた魔生動物の素材や魔生植物のドライフラワー、空飛ぶカトラリーに開ける度に中の部屋が変わる扉だって!
なんでもあるお屋敷の中でも特に好きだったのは倉庫だった。いろんな物が乱雑に詰め込まれた倉庫はお屋敷の中をギュッと凝縮したみたいでとびきり楽しかったのを憶えている。独りでに喋るパペット人形に自分じゃない誰かが写る鏡、デタラメしか書けない日記帳なんてのもあった。勿論何にもならないガラクタだったけど、まだ幼くてなかなか魔術に触れさせてくれなかったからか倉庫の中は私にとって宝箱みたいだった。
私がそんな中から見つけ出したのは一本の万年筆だった。細かいキズが付いて使い古された万年筆。キズだらけだったけど、小さい頃の私にはそれがとてつもなくカッコよくて、特別に見えて、コッソリとポケットに入れて倉庫から持ち出したんだ。
「リマインテージ、かぁ……」
考えていたことがそのまま口から出て慌てて手で抑えた。危ない、同室のサンドラに聞かれてたら変に見られるところだった。
リマインテージ。すごーく昔に作られた特殊な魔道具。それを作る技術は第一次魔術大戦の時に消失してしまったらしい。私はこの万年筆がリマインテージではないかと疑っていた。
この万年筆は特別だった。この万年筆で文章を書くと、絶対最後に『Good luck.』と締めくくってしまうのだ。数式を解いてるときも、魔術式を書いているときも、日記を書いているときも手紙を書いているときだって。最初は私の思い通りに動くのに最後の最後で勝手に動いて『Good luck.』と書いてしまう。数式の最後に書かれた『Good luck.』なんて、ちょーダサかった。誰にも見せなかったけど、一人でずーっと笑えた。今だって思い出し笑いができるくらい、ダサかった。
そんな『Good luck.』という言葉にも、この万年筆にも、なにか思いが込められているかもしれない。そんな事を授業が終わってから考えていた。リマインテージには、その道具の使用者の思いが、魔力が、今の技術じゃ再現できないくらい深く刻まれているらしい。もし、この万年筆がリマインテージだったとしたら、これを使っていた人はきっと『Good luck.』の言葉に強く強く思いを乗せていたんだと思う。ただの一本の万年筆が長い年月をかけても忘れられないくらい、強く。
手紙でも書いていたんだろうか。ふと、そう思った。家族か、友人か、恋人か、誰かはわかんないけど、とても大きな何かに向かって行く人がいて、その人に手紙を送っていたとしたら。『Good luck.』で締めるのは、とてもぴったりなんじゃないか。だったらきっと、この万年筆の持ち主にとって、手紙の受取主はとても大切な人だったんだろう──────
「……ナ!……ーナ!エリーナ!こっちに戻ってきて!」
「うわっ!?びっくりしたぁ。何か用?サンドラ」
「ずっと呼びかけてるのに気付かないんだから。もう夕飯の時間よ」
「え、もう!?」
どうやら考え事をしすぎて時間を忘れてしまっていたらしい。夕飯は寮のみんなで食べるから、遅れると寮長に怒られちゃう。
「サンドラ、速くいこう!」
「遅れてたのはエリーナのほうでしょ!?」
──────。
「エリーナ・アシュリー二等魔術師。貴様はエルドンムンドに配属だ」
ついに、来てしまった。最近物騒になって、いろいろな所で戦火が広がり始めている。一応は魔術師だし、教会勤めだからいつかは指令がやって来ると思っていた。でも、こんなにも早いとは思わなかった。
エルドンムンドは現在時点での最前線だ。すでにそこで何人かの先輩達が、同級生達が、戦い亡くなっているのを知っている。そして、次は私の番らしい。
サンドラは元気だろうか。魔術学校時代は勝ち気で実践魔法の授業が大好きだったけど、いつの間にか彼女は古代魔術研究者の道に進んでいた。進路が決まった時、同級生たちにに「お前ら逆だろ!」と言われて笑われたのを憶えている。彼女は今魔術大学校で古代魔術の研究に勤しんでいるはずだ。なかなかに優秀だし、前線に送られることは余っ程のことがない限りないはずだ。
手紙を書こう。もう、いつ死ぬかわからないのだから。エルドンムンドに配属されたから、きっと生きていても終戦までは彼女には会えない。
教会付きの寮に戻って便箋を取り出す。どのペンで書くか悩んで、机の引き出しの奥に仕舞っていた古い万年筆を選んだ。この万年筆が、私の思いをサンドラに届けてくれる気がした。
Dear Sandra
────────
────────
────Good luck.
#01『世界を征服するまでは』
雪解けが始まった春の朝、日が昇りきる前に相変わらずのボロ家の中で朝飯を食べる。ぱさついて味のしない上に小さいパンと極限まで薄めた粉ミルク。あとはこの前配給所で貰ってきたチーズ。これでも朝食としてはご馳走の部類なのが嫌な所だ。腹いっぱい食べれてた3年前に戻りたい。切実に。
目の前に座るジンは今日も元気らしくニコニコと笑いながらパンを齧っている。栄養もクソをないような飯食って働いて、どこからその元気が出てくるのか疑問でしかない。
目があった。そりゃ、対面に座ってんだから目も合うけど、今、こちらを見てくるその明るい瞳はいつもと違う気がした。
「1年後、なにしてると思う?」
コイツは何を言っているんだろうか。明日の命すら危ういこの時代に1年後を考える余裕があるとは思えない。このクソみたいな生活が始まってはや3年。何度も死にかけてきたのにコイツはまだ未来を見ていられるらしい。
「死んでる」
「つまんね」
実際、死ぬ確率の方が1年後生きている確率よりよっぽど高い。明日と言わず今この瞬間死んでもおかしくないのだから。
「俺、1年後に山田Jrを締めて焼き鳥食うんだ」
ジンは真面目腐った顔で言った。どうやらコイツの中で先日卵から孵ったばかりの山田Jrの未来は決まっているらしい。確かに食用として育ててはいるが、ヒヨコのJrが焼き鳥になることまでは決めなくてもいい気がした。
「なあ、イチは1年後“生きてるとしたら”何してると思う?」
ジンがこっちを見てニヤリと笑う。どうやら俺の回答がお気に召さなかったらしい。逃がすつもりはないと言わんばかりの意地の悪い笑みだ。
「世界救って英雄になる」
「マジで?」
「嘘だよ」
嘘だ。こんなの冗談だ。厨二病の妄想だ。このクソをたいな世界救って英雄なんて。家なし親なし金なしの子供にできるわけない。ちょっと口に出してみただけ。それだけなのに。
「え、嘘なの?俺とイチだったらなれるくね?」
なんで、コイツはこんなに目をキラキラさせてんのかなぁ。
「なんなら世界平和超えて世界征服までいけるね」
そう言うとこっちに手を伸ばして端が欠けた俺のコップに残っていた一口分のミルクを飲み干した。
「おい、それ俺のなんだが」
人差し指にコップの取っ手を引っ掛けて笑う。コイツ、煽ってやがる。
「じゃ、やるか。世界征服」
やり返しに皿に残った最後のチーズの欠片を口に入り込んだ。配給で貰ってから少しずつ食べていたが、これが正真正銘最後のチーズだった。
「あ!俺のチ、ちょ、今、やるって言った!?」
「やるぞ」
「マジで!?」
「マジで」
たまにはこんなバカやったっていいだろう。なんせ3年間も抑圧された生活を送って来たんだから。
「世界征服で決定な!男に二言はねぇよな!」
世界征服なんて戯言、できるわけがない。コイツのことだから本当に計画立てて実行に移すんだろうけど、そもそも明日生きてるかどうかすら怪しい。
「世界征服と書いて、ゲームクリアと読む!」
「意味わかんねぇよ」
でも、とにかく今日一日は、楽しい日になりそうだ。