これはとある星のとある異星人達の会話記録である。
「好きと嫌いの間って何だろう。」
「無関心。要は関心が無いって事かね?」
「いや、それはなんか違う気がするな。」
「関心が無いって事は裏を返せば結局のところ興味自体はあるって事だよね?
関心が無いとか言いつつ見てはいる訳だから。」
「いや無いでしょ、というかどうしてそうなる。」
「なら好きって事は興味がある(関心がある)って事だし、嫌いって事も結局は興味ある(関心がある)って事じゃない。」
「何じゃそりゃ、何だその論法は。」
「結局皆、興味がある(関心がある)に帰結するじゃないか。」
「ならないよ!なってたまるか!!」
「なら、どうなるんだろう。」
「どうなんだろうね。結局好きとか嫌いとか言っても何だかんだダラダラと関係は続いていくし人生も続いていくし、大体そんなものだと思うよ。」
「そんなもんかねぇ。」
さて、あなたはどう思いますか?
「間」
街は今日も賑やかである。
若者は派手なファッションを着こなし、
くたびれ疲れた様な表情を浮かべるサラリーマンらしき人やあどけない表情を浮かべ母親らしき人物と一緒に買い物に行く子どもの姿がそこにはあった。
此処はあらゆる人々を受け入れる「街」
あらゆる世代の人間を受け入れ時には癒し、
そして時には諍いを起こす。
それが街。
今日もあらゆる人々の人生が生き通い、交叉し、
そして通り過ぎていく。
「ねぇ、聞いてよ〜。昨日さぁ•••」
「ていうか、それ本当?」
あらゆる言葉が街を覆いそして広がり続ける。
「お母さん、今日は公園に行かないの?」
「今日はお友達が来る約束だったでしょ。」
「はぁーい。」
子どもは友達と約束をしていたらしく不満気に母親に答えていた。
「はいっ、はいっ、わかりました。では今からそちらに伺いますので、はいっ」
若いサラリーマンらしき男性は携帯電話の先で取引先と連絡を取りどうやらこれから向かう様だ。
「ワンっワンっワンっ」
「あぁ〜、待ってよペロちゃーん、置いてかないで〜」
ペロちゃんと呼ばれた小型犬は飼い主らしき若い女性を引っ張って何処かへ向かっている様だった。
「ねぇ、明日のテストちゃんと勉強した?」
「全然っ、もはや完全に諦めてる。」
塾帰りの小学生らしき二人組はそう言って公園の前を通り過ぎていった。
「おや、こんにちは。今日もいい天気ですね。今日も公園の花を植えに来られたのですか?」
「えぇ、こうしているとなんだか元気が出てくるので。」
公園のボランティアとして活動している人々は会話に花を咲かせていた。
「君、いつも此処にいるけど何か悩みでもあるの?」
警察のお兄さんは小学生らしき少年に声をかけていた。
「•••」
少年は何も答えない。答えたくなかったのだろう。
恐らく家庭で居場所を見出すことができなくて此処に来たのだろう。
「ならさ、答えなくてもいいよ。いつでも話し相手になってあげるからね。」
そういうと警察のお兄さんはニコリと笑顔を見せ、
その場を立ち去った。
それでも少年はそこから一歩も動こうとしなかった。
ある男性は空を仰ぎ見て、こう呟いた。
「この街はあらゆる人々を飲み込み続け、そしてあらゆる人間達を受け入れ続ける。
それがこの街だ。」
此処は「街」。
あらゆる人間を受け入れ続ける街。
街は決して眠りはしない。
「街は眠らない」
「やりたい事かぁ、やっぱり日々是好日に過ごせればそれだけで十分かな?」
そう言って彼女はにこりと微笑みまるで悪戯っ子の様だった。
彼女と出会ったのは今から三年前の事だ。
たまたま行き付けの喫茶店で珈琲を一人でじっくりと堪能していたところ、相席しても良いかと聞かれ承諾した事がきっかけである。
「シンプルイズベスト!かな。なんか無駄に過ごしたくないっていうか、一日一日を大切に過ごしたいんだよね。」
私はそっと手元にあった珈琲に口を付け、無言で彼女の話をただただ耳を傾けていた。
彼女はとにかく前向きで明るい。
まるで太陽の様な子だ。
「じゃあ、今貴方のやりたい事って何かある?」
そう聞くと興味津々にこちらに顔を向けた。
珈琲をじっくりと堪能していたのに。
「ん、そうだね。まぁなんだ。君と同じくのんびり生きていければそれでいいよ。」
実際そう答えるしかなかった。
私は今までの人生でのんびり出来た試しがなかったからである。
「なぁんだ、私とおんなじかぁ。」
彼女はそう言って何処か不満気な表情でそっぽを向いた。
本心では彼女と一緒にいてとても楽しく感じている。
本当はこれからもずっと一緒にいたい。
だけど、そうなる事はほぼ不可能である。
と言うのももう直ぐ別れを告げなければならないからだ。
転勤。
こればかりはどうしようも出来ない。
それをいつどのタイミングで切り出すかは今の私には判断が出来ない。
「それでさ、これからどうするの?」
「そうだね、『旅』とかしてみたいかな。色んなところを巡ってね。」
「ふーん。」
興味がなさそうである。
「ところでさ」いざ話を切り出そうとすると彼女は私の言葉を遮りいきなりこう呟いた。
「いつになったらはっきり言ってくれるの?」
「えっ?」
まさか転勤の件がバレている?
いやまさかそんなはずはないだろう。
「私と一緒にいたいっていつ言ってくれるの?」
「えっ?」
私はその言葉に耳を疑った。
彼女はどうやら察していたらしい。
このままでは私が側からいなくなってしまう事を。
「君は本当に一緒にいてくれるのかい?」
「だってこれまでずっと一緒にいたんだもの。貴方とならどこにでも行きたいよ。」
そう言って彼女は頼んでいた珈琲のカップにそっと手をつけ口元へ運んだ。
「コーヒーブレイク」
「おはよう。もう朝だよ。」
そんな挨拶から私の朝は始まる。
窓からカーテン越しに木漏れ日の様に漏れる朝日を浴び、私は眼をそっと開いた。
朝食を済ませ新聞に目を通し毎朝今日一日どんな事をしようかと思案するのが私の日課である。
仕事であれば、今日はどの部分を如何にして優先的に効率よく業務を進めるか。
休日であれば、公園に行きひたすら物思いに耽ながら散歩をするという少し変わった癖がある。
つい、物思いに耽りすぎて公園を何周したか数えるのを忘れてしまう事もままある。
朝日を浴びながら一日の始まりにその日、何が起きるだろうかと考える事もある。
何が起きても大概はどうにでもなるので考えてもしょうがない事ではある。
起きた時は起きた時。何も起きない事には越した事はない。
「今日も一日幸せでありますように。」
そう願いながら私は軽やかな足取りで今日も目的地へ赴く。
朝日は眩しくもあらゆる人々や動植物達を優しく照らし、その温もりを感じさせながら今日という一日を目覚めさせる。
「一日の始まりに」
岐路とは小さな分かれ道の連続体である。
繰り返し繰り返し岐路に立たされる度に辟易するかもしれないが、それでも岐路は岐路である。
何れにせよ選択せねばなるまい。
その岐路が例え一時的に誤った岐路であろうが案外、クルリと元の位置に舞い戻ってきてしまうかもしれない。
そもそも正しい岐路とはあるのだろうか。
周り回ってそれを繰り返すのが岐路なのかもしれない。
「人生とは岐路の連続である。」とはよく言ったものである。
小さい頃から人生は岐路の連続である事にある年齢で気付けたのならその人の生涯の岐路は案外幸せなのかもしれない。
人は人生の岐路について、重大な局面に立たされた時に限って初めて気付くのだから。
普段の何気ない行動、例えば「喉が乾いたから水を飲む」という行動や「今日はどんな服を着て出掛けようか」という事も岐路なのかもしれない。
だが人によっては偶々そこにいたから、もしくはその岐路しか選択肢が無かったという人もまたいるのも事実である。
そして周り道の岐路こそが正しい場合もあったりするから厄介である。
「急がば回れ。」 「石橋を叩いて渡る。」
そう言った言葉もまた事実かもしれないが、案外人生という岐路はどうにでもなるらしい。
よくできた道である。
どうにもならない時は仕方がないかもしれないがある程度は妥協してそのまま突き進んでみるという手段もまた岐路の一つである。
時には一本道から二本道に、時には何叉路にも分かれた複雑な道というのが岐路である。
あなたはこれまでの岐路を自分なりに納得した上で辿り、これからもある程度は選べると果たして言えるだろうか。
一つだけ確実に言えるのはその岐路は最終的には一本の道に繋がっていると言えるだろう。
そしてそのたどり着いた一本道の最後の岐路に立った時あなたはこれまでの岐路を振り返り、本当に幸せだったと言えるだろうか。
「人生とは」