絢辻 夕陽

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岐路とは小さな分かれ道の連続体である。
繰り返し繰り返し岐路に立たされる度に辟易するかもしれないが、それでも岐路は岐路である。
何れにせよ選択せねばなるまい。
その岐路が例え一時的に誤った岐路であろうが案外、クルリと元の位置に舞い戻ってきてしまうかもしれない。
そもそも正しい岐路とはあるのだろうか。
周り回ってそれを繰り返すのが岐路なのかもしれない。

「人生とは岐路の連続である。」とはよく言ったものである。
小さい頃から人生は岐路の連続である事にある年齢で気付けたのならその人の生涯の岐路は案外幸せなのかもしれない。
人は人生の岐路について、重大な局面に立たされた時に限って初めて気付くのだから。

普段の何気ない行動、例えば「喉が乾いたから水を飲む」という行動や「今日はどんな服を着て出掛けようか」という事も岐路なのかもしれない。

だが人によっては偶々そこにいたから、もしくはその岐路しか選択肢が無かったという人もまたいるのも事実である。
そして周り道の岐路こそが正しい場合もあったりするから厄介である。

「急がば回れ。」 「石橋を叩いて渡る。」


そう言った言葉もまた事実かもしれないが、案外人生という岐路はどうにでもなるらしい。
よくできた道である。

どうにもならない時は仕方がないかもしれないがある程度は妥協してそのまま突き進んでみるという手段もまた岐路の一つである。
時には一本道から二本道に、時には何叉路にも分かれた複雑な道というのが岐路である。

あなたはこれまでの岐路を自分なりに納得した上で辿り、これからもある程度は選べると果たして言えるだろうか。

一つだけ確実に言えるのはその岐路は最終的には一本の道に繋がっていると言えるだろう。
そしてそのたどり着いた一本道の最後の岐路に立った時あなたはこれまでの岐路を振り返り、本当に幸せだったと言えるだろうか。

「人生とは」

6/8/2024, 10:59:10 AM