「泡になりたい」わけではないけれど
この想いが叶わないくらいなら
彼女のように泡になっても構わない
/8/6『泡になりたい』
「戻ってきちゃいました」
「なんで居るんだよ」
てっきり成仏したと思っていたテツジを見たタイキの口端が、ひくひくと動いた。
「僕だって分かりませんよ。こないだナスに乗ってあちらへ行ったと思ったんですがねぇ」
「……乗ったのかよ?」
「分かりません」
去年亡くなったテツジに、幽霊の見える彼が会ったのは、今年の夏だった。
それから何度かテツジに会いに来たタイキだったが、彼と会うのが最後だと、お盆に盛大な別れをしたはずだった。だが盆を過ぎた今、なぜか彼はここにいる。
「さっき戻ったって言ったんですけど、実際「戻った」感覚ないんですよねー。お別れした記憶はあるんですけど」
「なんだよ?気づいたらここにいましたってか?」
「そうですね」
タイキのツッコミに頷くテツジに、タイキは次の言葉を無くしてしまった。
彼がここにいる現象がまったく分からないからだ。イヤなものの気配も何もない。ただ普通の人間と同じようにここにいる。ひとつだけ違うのは、彼が他の誰にも見えていないこと。
「何かあるんでしょうね。ここに残る何かが。あっはは、僕地縛霊になっちゃいました」
タイキが頭を悩ませていると言うのに、テツジはあっけらかんと笑った。
(このままでいいはずがないのに、こいつに会えるのは素直に嬉しいし、けど何とかしないといけないし!)
タイキは頭を抱えてくるくると思考を巡らせる。が、良案が何も思い浮かばない。幽霊がこのまま現世に留まっていていいはずがないのだ。どうにかしないといけないことだけは無知のタイキでも理解していた。
「まあ、僕が消えるまで、また仲良くしてください、タイキくん」
タイキの心中を知る由もなく、にっこりとテツジが微笑んだ。
/8/5『ただいま、夏』
「りーちゃん、ここにいた」
屋根の上に上ると、響希(ひびき)の探し人がいた。
田舎に住んでいる従兄の理人(りひと)は、何かあるとこうして屋根の上で膝を抱えている。
「……」
理人はちらりと一瞥をくれただけで、何も言わない。
普段から無口な理人だが、こうなると更に言葉を発さなくなる。
だが響希は意にも介さず、カラカランと高い音を立てる手の中のものを一つ、理人に差し出した。
「はい、りーちゃん。こっそりもってきたよ」
響希が指に挟んでいた翡翠色の瓶を、理人は何も言わずじっと見るが、「落ちちゃうから早く」と促されると無言で受け取った。
「冷蔵庫に入ってなかったから、冷えてなくておいしくないかもしれないけど……」
苦笑を漏らしながら、響希は手元に残ったラムネ瓶の封を開けた。
「えい!」
ぽんっ、と小気味いい音と共に瓶の中に落ちるビー玉。
炭酸が噴き出さなかったことに、響希は嬉しそうにはにかんだ。
「へへへー、やった」
その間、理人は我関せずといった風に向こうの家々を見つめていた。だが響希は気にする風でもなく、ぬるいラムネをあおっていた。
「……残念だったね」
三口ほどラムネを飲んだ響希が、ぽつりと言った。
何が残念だったのか、無言の理人には痛いほどわかっていた。
「ひさちゃん、結婚するって、全然知らなかったよ。彼氏いた話も聞いたことなかったのにね」
理人は無言でいる。聞いているのかいないのか、ただまっすぐ前だけを見つめている。
「僕たち、そんなに仲良くなかったってことなのかな?あんなに一緒に遊んでたのにね」
「ひさちゃん、話してくれたっていいのにね」と響希が続けた。
ひさちゃんとは、二人より十個ほど歳の離れた従姉だった。
幼い頃は盆や正月など親戚で集まるたびに、二人や他の子どもたちの相手をしてくれる優しい女性だった。中でも二人とは仲が良く、友人関係の悩みも打ち明けてくれていたりと、それなりに信頼関係が築けていると思っていた。
だが所詮は小学生の子ども相手だったということか。彼女はいつの間にか結婚相手を見つけており、今回の集まりでそれを報告したのだった。
密かに想いを寄せていた理人はショックで、今こうして屋根の上に逃げてきた。中学2年になる来年、告白をしようと思っていた。
その想いを知っていた2つ下の響希も、彼を追いかけてここにきた。
ず、と鼻をすする音がした。
響希は、その音が何を現すかを見て見ぬふりをして、ラムネをあおった。
「貸して。開けたげる。僕、今日、開けるの上手いんだ」
響希は理人の手からラムネ瓶を取ると、ぽんっとまたビー玉を落とした。
そして何も言わず鼻をすする理人の手に瓶を戻した。
/8/4『ぬるい炭酸と無口な君』
僕は今、海を前にしている。
もう夕方だというのに、日中の暑さを吸い取ったように砂浜は少し温かい。
僕の手には、小瓶が握られていた。ちょうど手の平に収まりきらない、手の中から少し顔を出すくらいの大きさの瓶だ。
「本当によかったの?」
誰に言うでもなく呟く。
いや、本当は問いかける相手はいた。
姿はもう見えないけれど。
「届くかわからないよ? それでもいいの?」
瓶を握る手に力がこもった。
自分でも今からする行動が良いものだとは思わないからだ。
「でも、きみの遺言だものね。ちゃんと守るよ」
手の中の瓶を改めて見た。
コルクの閉まった瓶の中には、灰色がかった白い粉と、白い紙が入っている。
君の遺灰と、君が最後に世界に宛てた手紙だ。
病弱だった君は、遺灰を海にまいてと遺言を残した。
それも遠くの海がいいから、海を旅したいからと、こうして瓶のボトルに自分だったものを詰めて。
中の手紙には、もしどこかの陸にたどり着いた時用にこう書いてあるらしい。
『こんにちは。どうか、私の夢を叶えてください。あなたのいるところから、中の灰をまいて』と。
道中で中身が出なかった時は、たどり着いた先の住人に遺灰をまいてもらおうという魂胆らしかった。
他にも色々書いてあるらしいが、詳細は教えてくれなかった。
「よっ」
僕は意を決して瓶を投げた。
瓶は数メートル先の水面に落ち、ゆらゆらと揺らめきながら沖に流れていった。
ずっとベンチだったけど、野球をやっててよかったなと僕は、初めて思った。
(君の願いがどこかで叶いますように)
瓶の行方は波のみぞ知る。
/8/3『波にさらわれた手紙』
「おや、タイキくん。君、こんなとこまで来たんですか」
「いけないかよ」
セミの鳴き声が響き渡る公園にある自動販売機の前のベンチ。
突然背後に現れたにもかかわらず、テツジは男が誰なのかを当ててみせた。
ベンチに座るテツジの背後に、その男――タイキはぶっきらぼうに返事をした。
伏せていた目を開けたテツジは背後のタイキを振り返ることなく言った。
「いけなくはないです。ただ、君、こんなところに来る人じゃないでしょう?」
突然背後に立たれたにもかかわらず驚く様子もないテツジは、彼がここに来ることが分かっているようだった。
「俺がここに来るのが、そんなにおかしいかよ?」
「だってここ、何もないじゃないですか」
ふてくされたように言うタイキの言葉に苦笑を漏らしながら、テツジは公園を見渡した。
テツジの見渡した公園には、広い敷地の割に遊具は滑り台と砂場とブランコしかない。
「だから、ぼくに会いに来てくれたのかなって」
視線を前に向けたまま、テツジは呟いた。
タイキは何も言わない。
「嬉しいですよ。会いに来てくれて」
そこで初めて、テツジはタイキを振り返った。
タイキは、眉間にしわを寄せ、唇を噛んでいた。
「会いに来なきゃ、会えねぇじゃねえかよ……」
噛んだ唇を震わせて、タイキは言う。
「お前なら、ここにいそうだと思ったら、まんまとここにいやがる」
「……そうですね」
寂しい思いをさせてすみません、とテツジは俯いて言った。
「突然、死にやがって……!」
耐えきれなくなったかのように、タイキの両目から涙が溢れた。
夏休み真っ只中だったあの日。バレーの部活で集まった体育館に、集合時間になってもテツジが来ないことをみんなで心配していたとき、悪いニュースが飛び込んできた。交通事故でテツジが亡くなったと。朝から騒然としたことを、タイキは今も鮮明に覚えている。もちろんその日の部活はなくなった。
「それは……ごめんなさい。ぼくだって死ぬつもりはなかったんです」
泣き顔に驚いたテツジが体ごと振り返る。
「わかってるよ……!」
タイキは悔しさと悲しさを滲ませながら涙を止めようとしているが、あれ以来の再会ということもあり、涙が止まらずにいた。
タイキは覚えている。
ボールを追い掛けて車に轢かれそうになった子どもを庇ったというのに、棺桶に入ったあのキレイな彼の顔を。
今にも動き出しそうなくらいなのに、ピクリとも動かないテツジの姿を。
泣き続けるタイキが少し落ち着くのを待ってから、テツジは前に向き直り言った。
「君がユーレイ見えるタチだって聞いててよかったですよ。だからこうして会えましたし」
「もしかして待ってやがったのかよ?」
ぐす、と鼻を鳴らしてタイキが尋ねた。
ちょうど1年前。事故の起こる少し前のこと。部活の合宿で肝試しをしようと企画が持ち上った時に、あまりにもタイキが怖がるのでテツジが尋ねたのだった。「そんなに怖がるなんて何かあるんですか」と。そのときタイキは、実は幽霊が見えると打ち明けていたのだ。
それをテツジは覚えていて、この公園にいたのだという。
「いえ、そんなつもりは……。ただもしかしたらって思ったら、いつのまにかここに居ちゃったんですよ」
ぼく、地縛霊になっちゃったんですかね、なんて冗談を言うテツジの足先は透けていた。
「地縛霊でも、いいんじゃねぇの?俺が会いに来てやるよ」
鼻をこすりながらタイキが言った。
「ふふ、でもあまりよろしくはないんですよね。どうします?お盆を過ぎてもいたら?」
「そんときゃそんときだろ」
タイキは、からかうように言うテツジを見て、ようやく笑顔を見せた。
蝉の声が公園に響く。
/8/2『8月、君に会いたい』
太陽に反射した君の素肌が眩しくて
僕はいつも目を奪われてしまう
真っ赤になって黒くはならないと嘆く君は
それでも日除けをすることもなく
半袖からミニスカートから
惜しげもなく肌をさらしている
日の下にいるはずなのに
全然焼けない白い肌は
僕にはとても眩しくて
目のやり場に困ってしまう
/8/1『眩しくて』
ドクドクと脈打つ心臓は、まるで全力で走った後のようだった。
「どうしたの、そんな顔して。怖いよ?」
クラスメイトの佐々木さんが言う。
今日、彼女に誘われて、オカルト研究会の課外活動として夜の学校に集まった。
今は二手に分かれて学校の七不思議を解明中だった。
本当は僕は、今日ここに来たくなかった。オカルト研究会には名前を貸しているだけの幽霊部員だし、オカルトに興味もないからだ。
だが、少し気になっている佐々木さんが、夜の学校で一人になるのは危なっかしくて見ていられなかったから、つい誘いに乗ってしまった。
(ダメだ、耐えろ。耐えろ……!)
僕は後悔していた。
とある教室で佐々木さんと二人きり。ドキドキしている。
心音が上がっていく。
(彼女に、見られたくないな……)
でもそれは、淡い恋のせいではなかった。
僕たちのいる2階の教室の窓の外に、大きな満月がぽっかりと浮かんでいたからだ。
グルグルと喉の奥が鳴る。
(あぁ、どうしよう……。止められない)
必死に堪えるも、僕の体には動物特有の硬い毛が生え、爪が鋭くなり始めた。
「大上くん?どうしたの?」
僕の異変に気付いた彼女が声をかけてくれるが、僕にはそれに答える余裕はもうない。
耳が獣の大きなものに変貌し、顔が変形していく。ズキズキと変形に伴い痛みが僕を襲う。
「キ、キャァァァァ!!」
暗がりであればよかったものの、満月の今日は、教室に隠れる影や場所などない。
佐々木さんは、狼男に変身した僕を見て、悲鳴を上げて教室を飛び出していってしまった。
あとには、ぽつねんと狼になった僕だけが佇んでいた。
/7/31『熱い鼓動』
「ねぇ、結婚しよ?」
「いま、いう……っ?」
愛しくて愛しくて、愛しすぎるから。
思った瞬間に言ったタイミングは、君とひとつになった時だった。
「タイミングを考えてよ!」
「だって、今(あのとき)だと思ったし」
終わった後に余韻も何もなく、君に頭を叩かれた。
「で、返事は?」
「こんなこと許してる時点でわかるでしょ!考えてよね!」
/7/30『タイミング』