ニャア、と黒猫が鳴いた。
少女の足にじゃれつく子猫は、前足で飛んできた蝶を追いかけている。
少女は気にもたれかかり、本をひざの上に置いて船を漕いでいた。
時折カクン、と首が揺れる。
子猫が少女のひざの上に乗った。
蝶を追いかけた前足が止まり、動きが止まる。
子猫が見上げた先に、木の葉の間から太陽の光が漏れていた。
陽光が目に入ったのか、ナァン、と子猫が鳴いた。
「どうしたの?」
その声に起こされたように、少女が目を覚ました。
「何か面白いものでも見つけた?」
少女は前足を上げたままの子猫の頭を撫でた。
そしてひとつあくびをすると、ひざの上の本を手に取った。
「先生の宿題を済ませなくちゃね」
そして子猫を抱きかかえると、ぽつりと呟いた。
木漏れ日に照らされた読みかけのページを開いて。
/11/16『木漏れ日の跡』
「明日も一緒にコーヒーを飲もうね」
とてもささやかな、毎日を共に送るための約束
明日は必ずくるわけじゃない
このマグカップが明日も2つ並んでいるとは限らない
だから約束はささいなことを
毎日でも叶えられるように
明日も一緒にコーヒーを飲めるように
/11/15『ささやかな約束』
『天使様にお祈りを』
僕たちの村は、毎朝毎晩、天使様にお祈りをしていた。
村の中心にある天使様の像の前に跪き、その日の村の平和を願い、感謝を捧げるのだ。
天使様にお祈りを捧げるようになって幾百年か経ったある日。
村のみんながいつものように朝の祈りを捧げていると、ぺっと音がした。
音のした方を見ると、見知らぬ男が不機嫌そうに立っていた。
そして誰かが喚いた。
「天使様になんてことを!」
その声で一斉に天使像に視線が集まった。見れば天使様の腰布の辺りに、唾を吐きかけられた跡があったのだ。
「汚らわしい!」
「天罰が当たるぞ!」
村人は口々に怒りの声を上げた。
犯人は決まっている。あの見知らぬ男だ。村人が男を捕まえんと周囲を見回すも、男の姿はどこにもなかった。
その日の昼間は村総出で天使様を磨く作業に費やされた。
天使様に無礼を働いたお詫びの意味も込めて、村のみんながひと磨きずつ交代で天使様を拭いていった。
その晩、いつもの祈りの時間になって、村の人達が集まった。だが様子がいつもと違う。天使様の像付近が騒がしかった。
「こいつ!今朝はなんてことを!」
「離せ!ここから離れろ!みんな死ぬぞ!」
人垣で埋もれてよく見えなかったが、聞こえてくる声から察するに、どうやら今朝の男を捕まえたようだった。
そして男は、みなに「村を出ていけ、さもなくばみな死ぬぞ」といったことを言葉を変えながら、ずっと喚いていた。
村人たちは男の言葉を誰も信じていなかった。
見知らぬ男より、何百年もずっと守ってくださっていた天使像の方を信じるなんて至極当たり前の話だった。
男は檻に入れられていたが、3日目の晩、忽然と姿を消していた。
男の話が真実だと知るのはそれから半年後。
例年にない雨が続いた。村は雨によって増水した近くの川にのみ込まれ壊滅状態になった。
僕は奇跡的に生き残った。
突然頭に響いた声に従った結果だった。
その声が言った。
数年後に森の奥にある祠に一人で入ること。過去の村を救うこと。その際に天使の像を壊すこと。
声は淡々とそれだけを告げ、疑問を投げかける僕の声には何も答えず、言い終わるなり以降は何も聞こえなくなった。
何も分からないままだったが、お告げの中で1つだけ分かったことがある。
(そうか、あれは僕だったんだ)
見知らぬ男、あれは僕自身だったのだ。
あの時の僕は天使像を壊せずにいたが、どうなったのだろうか。
(それは今からわかることか)
祠の前に佇む僕は深呼吸をして足を踏み出した。
今から僕は村を救いに行く。何の意味もない信仰を壊すために。
/11/14『祈りの果て』
ふと立ち止まった時に、どこを向いているのか分からなくなった。
そもそも、今立っているのか?上がっているのか?落ちているのか?
進んでいるのか戻っているのかも分からずに、歩くことが怖くなって立ち止まった。
周囲は闇に包まれている。
光はない。目印もない。
進む方向が分からなくなった。
そこで気付いた。
自分は迷路に迷い込んでしまった。
自身も見えない真っ暗な中だというのに、ぼんやりと浮かんで見える道は何差路にも見えた。
どこに進めばいい?
どこへ向かえばいい?
どの道を選べば正解なのか。
思考だけがんじがらめになって、その場でうずくまった。
そんな心中を誰に見せるでもなく、僕らは毎日を生きている。
/11/13『心の迷路』
トポトポと液体が注がれる。
紅い蜜色をした少し濃いめの紅茶。
アールグレイの香りが部屋を満たす。
ソーサーの近くにはクッキーの入った小皿が並べられていた。
「お嬢様、お茶の準備が出来ましたよ」
「まあ、セバスチャン。ありがとう」
同じ声が会話をしている。
「今日のお菓子は特別にデパートから取り寄せたものです」
「あの美味しいクッキーね。楽しみだわ」
「ティーカップも合わせてお気に入りのものを揃えました」
「あの小花柄ね。セバスチャンは私のことを何でもお見通しね」
午後3時。
1人で会話をしながらティータイムの準備をする。
先日購入した美味しそうなクッキーを食べるために、お気に入りのティーカップを添えて。
今日はスカートを履いていないから、付けっぱなしのエプロンをスカートに見立てて裾をつまみ、恭しく椅子に座った。
「さぁ、冷めないうちにお茶をどうぞ。ありがとう、セバスチャン」
席についた私は、また1人でやりとりをして、ティーカップに口をつけた。
/11/12『ティーカップ』
『ねぇ、今日もそっち行っていい?』
寂しがりの女の子から来たメール。
俺は一も二もなく『いいよ』と返信した。
寂しがりの女の子は、俺の家に泊まる代わりに自分を提供する。
俺はしょうがないなといった風に彼女を抱き、その寂しさを埋めてあげていた。
金も友情もない、ただの寂しさを埋めてあげるだけの行為。
そんな関係が続いて一年が経った頃。
いつからか、寂しがりの女の子から連絡が来なくなっていた。
それに気づいたのは、クリスマスの曲が街に流れ始める12月のある日だった。
最近連絡が来ないなと思っていたが、そのことに気付き苛つきにも似た感情を覚えた時に自覚した。
寂しがりだったのは、俺のほうだったのか。
/11/10『寂しくて』
「これ以上はこちらに入ってこないで」
少し深い会話をすると出てくる、私の心の境界線ちゃん。
深堀りしようと話される会話はちくちくと心の扉をノックする。
私はそれ以上聞かれたくなくて曖昧な返事をするが、相手が納得して引いてくれることは半々。
今日も曖昧に濁して顔だけ笑いながらなんとか逃げ道を探す。
境界線ちゃんは懸命に両手を広げて立っている。
/11/9『心の境界線』
僕には透明な羽根が見える。
君の背中に生えている透明な羽根。
僕だけにしか見えない羽根。
いやもしかしたら、他にも見えてる人がいるかもしれない。
そう思ってもらえるのはやぶさかではないけれど、出来れば他の人には見えてほしくないな。
天使のような彼女に映える透明な羽根。
/11/8『透明な羽根』
ふー、と静かに誰かが息をついた。
ゆらゆらと息に合わせて揺れる灯火。
「ちょっと、消さないでよ!?」
誰かの語気を強めた言葉が飛ぶ。
その言葉に合わせるように、火はまたゆらりと揺れた。
「あんただって!」
別の女が言う。
「まあまあ、言い合いしてても始まらないでしょ。ほら、するなら早くしましょう」
また別の女が言う。
彼女たちは、教室の机の上で一枚の紙を囲んでいた。中心に灯火の点いたロウソクを立てて。
おまじないをするために囲んだ用紙。
誰かが誰かから聞いたという、質問に答えてくれる、はたまた願いを叶えてくれるというおまじない。
大人に言わせれば、それは降霊術だとかオカルトの一部だとかくだらないと一蹴するするものだったが、彼女たちはいたって真剣だった。
「じゃあ、いくよ」
そんな方法は聞いていなかったのに、みな自然と手を繋いだ。
「ハンモクさま、ハンモクさま、お越しください。お越しくださったら、ロウソクの火を一度揺らしてください」
/12/7『灯火を囲んで』