箱庭メリィ

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8/20/2023, 7:10:59 PM

日曜日の午前10時。
今日も彼はいる。

市民図書館のワークスペース。
窓際に面した長机に仕切りがしてあるゾーンの奥から3番目。
そこが彼の定位置だ。

駐輪場から玄関入口に移動する際に見える、そのスペースの彼の姿を認めるのが最近のブームだった。
教室ではしていないのに、ここで勉強する時はかけている細いフレームのメガネ。
切れ長な瞳の彼の横顔を引き立てる、その姿を見るのが私は好きだ。

なんとはなしに集まっていた日曜日の午前10時。
ワークスペースの長机、奥から2番目の席が私の定位置だった。
いつからか、一緒に勉強するようになっていた。
きっかけは、たまたま私が早起きして図書館に来た日だった気がする。
その日、いつもの席の隣に見覚えのある姿があったのだ。
移動すればよかったものを、私は自分の定位置をずらしたくなくて、隣りに座った。
私も彼も、互いに存在には気付いていた。
だが言葉を交わすこともなく、その日はお互いにどこかもぞもぞと得体のしれないもどかしさを感じながら勉強を終えた。

次は彼の番だった。
昼過ぎに彼が私の隣にやってきた。その日ももぞもぞを感じながら過ごした。
それを何回か繰り返してわかった。
彼も私も、自分の定位置を変える気はないらしい。

ある時に私から声をかけてみた。
「おはよう。いつもこの席だね」
「おはよう。お前こそ」
そこから、二人の勉強会は始まった。

日曜日の午前10時。いつもの席にて。
待ち合わせをしているわけではなかったが、いつの間にかその時間になった。
挨拶だけして、それぞれの勉強に向かう。たまに教え合う。
ただのクラスメイト。特別仲がいいわけでもない。
でも、私はこの図書館の時間が好きだった。
特別でもないけれど、ガラスケースに入れたくなるような大切な時間だった。


だけど明後日。
私は引っ越しをする。父の急な転勤が決まってしまったのだ。
もうすぐ夏休みも明け、この夏の思い出話をしながら徐々に修学旅行や文化祭などのイベントの決め事に盛り上がるホームルームを、私は迎えられない。
ホームルームで、各イベントが彼と同じ班になれば、ここで話してたみたいに教室でも話せるようになったかもしれないのに、私はその頃には教室にいない。

彼のことは、そういう意味で好きではなかった。
ただ、同じ時間を過ごすのがとても心地よかった。
寂しさと運命に抗えない自分の虚しさが心を掻く。

彼とここで過ごすのも、今日が最後だ。
だから、別れの言葉の前に最後のあいさつを――。

「おはよう」


/『さよならを言う前に』8/20






くだらない思い出
もやもやする思考
甘いだけの優しさ
理性で止めた怒り
言い返せなかった言葉たち
流したいのに堰(せ)き止めてしまった涙

ぜんぶぜんぶ捨てたいのに。
それも私だからと、崖っぷちにしがみつく手指のように
それらは私から離れてくれない


/8/17『いつまでも捨てられないもの』






ああ 今日はどんな指揮者が奏でているのかな?

優雅に かと思ったら烈しく
可憐に かと思ったら怒涛に

音の大小だってお手のものだね
えーと、なんだったっけな?

クレッシェンドとデクレッシェンドだっけ?

昔音楽の授業で習ったよね

ああ 今はアンダンテかな?
う〜ん なかなかいい具合だけど そうだね
出来ればえーと そう カルマートで!
カルマートで頼むよ

決してモレンドにはならないようにね

……付け焼き刃だけど、意味合ってるのかな?
教育番組で見た単語を並べてみたが
ちっとも気を紛らわせられなかったな

枕で頭を覆い 耳を塞ぐが
指揮者はタクトを置いてくれない

お願いだ
彼の中の指揮者よ
彼のいびきを止めておくれ
わたしを眠らせておくれ


/8/12『君の奏でる音楽』

8/20/2023, 6:46:28 AM

今にも泣き出しそうな、と表現されそうな真っ黒な空。
降り出さない内に早く温かいお家へ帰らなきゃ。
そこには出迎えてくれる人がきっと待っている。
だから早く帰ろう。

でも、どこに――?

ぽつりと涙が頬を濡らした。


/『空模様』8/19

8/15/2023, 6:41:11 AM

坂道を転がる細いタイヤ。
スピードが出過ぎないように時折かかるブレーキ。
だけど早朝だから音が鳴らないようになるべく慎重に。
グリップを指先は赤い。
僕の鼻先も赤い。
首までずり落ちたマフラーは道に合わせてガタガタと尾ひれを揺らしていた。

早朝四時。
朝日が登る前に、君の家まで駆けていく。
某映画に触発されたんだろなんて揶揄はやめてほしい。少しだけその通りだけど。
吐く息は白く、僕の緊張がそのまま吸い込まれていくようだ。

もうすぐ君の家に着く。
あのポストを左に曲がれば、すぐだ。
まずは早朝に来たことを詫びて、それから朝日を見に行かないかと誘う。
道中は今度の球技大会や、試験勉強のことなんか話したりして。
それから――君に伝えたいことがあるんだ、って言う。


/『自転車に乗って』8/14

8/8/2023, 6:26:12 PM

ああ、可愛いあの子。

長い手足。
珠のような瞳。
絹織物のような肌。

どれもこれもが美しい。

わたしが手塩にかけて作った罠に、かかった子。

誰にも渡したくない。
そう、誰かに渡してしまうくらいなら。
誰かのもとへ飛び立ってしまうくらいなら――。

「わたしが食べてしまいましょう」


/『蝶よ花よ』8/8
  彼の密なんて吸わせない。





彼女はとても静かで、しとやかで綺麗な人だった。
そんな彼女と仲の良いわたしは、彼女が褒められると自分のことのように嬉しく、鼻が高かった。

勉強もでき、みなの和を乱さず、一歩引いているまさに“淑女”。
彼女は、周囲から月のような人だと言われていた。

けれど、わたしはどうしても周囲のその反応にだけは肯くことが出来なかった。
なぜなら、わたしには彼女が太陽のように感じられていたからだ。

わたしが誰かと話している時。特に男子と話している時。
そういった時は、だいたい彼女が他の誰かといる時なのだが、そうしてわたしが他の誰かと――彼女以外といる時。彼女は見てくるのだ。
じぃっと。彼女が話しているその人の影からじぃっとわたしを見つめてくるのだ。
それはもうじりじりと真夏の太陽のように。
木陰の隙間から涼むことを許さない陽光のように。

その瞳に射抜かれるとわたしは、ジュッとやけどをしたような気になる。
(誰が月下美人だ)
そして密かに恨むのだ。彼女を静かな月のようだと言った人を。
嘘だ。彼女は月の仮面をかぶった獰猛な太陽そのものだ。


/8/6『太陽』
 そんな彼女を嫌いになれない“わたし”も、星にはなれない。

8/6/2023, 6:54:22 AM

鐘の音が響き渡る。
たくさんの羽を休めていた鳥がその音に驚いて飛び立っていった。
リン、ゴーン。リーン、ゴーン。
部屋中に。耳に頭に響く。それもそのはず。鐘のすぐそばに間借りして暮らしているのだから。

はじめは心臓が止まりそうに、というか音が体中に響いて痛いほどだったが、もう慣れた。

おれの暮らしはここの手伝い。
朝の掃除、炊事、洗濯に家畜のエサやり。何でもする。
服を着替えながら、おれに似たような暮らしのプリンセスの話をつい先日聞いたことを思い出した。
(ああでも、あれはまだプリンセスじゃない頃だっけ?灰かぶってた時か)

羨ましいとは思わない。
おれには魔女の手助けなんていらないからだ。
誰かの手を借りて幸せを掴むくらいなら、おれはこの暮らしのままでいい。
幸せは、自分の手で掴んでこそだ。

靴紐を結んで、割れた鏡の破片で髪の毛の乱れを直した。

おれにとってこの鐘の音は、一日のはじまり。
早くここを出てやるという意志の再確認。
背中を押してくれる音だ。

「よっし、今日もやりますか!」


/8/5『鐘の音』

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