僕らは立ち止まれるのに、君はずっと進んでいる。
誰かに追われているわけでも、焦っているわけでもないのに、君は止めない。
変わらないそれだけが僕らには時にありがたく、時に疎ましく、時に恐ろしい。そんな感情を知らないで、ただただ刻む。
過去を振り返るのはいつだって僕らだ。
時間という君は、そういう概念があることを教えてくれた。
なのに回るこの星と一緒に進み続ける君は、その歩を静かに刻むだけ。
厄介だけど、頼りになる。
ずっとその足音を、自侭に、崩さず鳴らしてくれるから。
【足音】
電話を通じて夜もすがら過ごしたあの月の光を忘れない。
君と言葉を交わす感覚が、今も続いているから。
陽は寝ていても肌を熱らせる夜のなか、空いた窓からそよ風がカーテンを靡かせ、少しの清涼を浴びながら君と話していた。
他愛もないのに覚えている。何でもないような日が、本当の癒しかもしれない。
今日も月の光が煌めいている。
暗く、しんとした空でのんきに周っている。
気にしていなかったのに、なぜか目が離せない。
僕はまた、いつものダイヤルを静かにかけた。
【終わらない夏】
深い海の底。陽が朧げに差す世界。
人智では届かない領域のはずなのに、どこかから誰かが呼んでいる。
どこを見渡しても仄かに暗く、人の身では生きられない空間。
なのに声の主は姿なく、なのに声の色に棘はない。
なにとなく懐かしく、しかし呑まれてはいけない気がしてならない。
きっとそれは海よりも深い、この世ならざる場所を引き込もうとしているのか。
***
ここで産まれてからどれほどの年月が経ったのか。
悠久といっても、それほど豊かなものではない。
それもそのはず、この海の底は命の果てに似ている。
悠々と漂っていた彼らが行き着く場所。誰も訪れない墓所。
そんな底に私はいる。だからこそ、見知らぬ貴方がやって来た。
声をかけても気づかれない。何せ、私は姿を失っている。
だけど声はある。心に伝播する声はある。
だけど貴方は振り向かない。訝しく見渡している。
どうか気づいて私の心。遠い場所に置き去りにされた貴方の心。
もう一度、私に触れてほしい。
その瞬間から、貴方はもう迷わなくなるはずだから。
【届いて......】
両手で掬い上げたすべてが溢れてもなお残る柔らかな灯火。
これを小さな愛と呼ばずして何と称するか。
【小さな愛】
潤す空の香りが漂う長い刻。
身を濡らして俯くと、波紋が際限なく広がる水面が目に入る。
点々とした空の涙が打ち付ける表情は、陰り、湿っぽい。
それは一過性の恵み、一過性の愁情。鼻につくだけで、心まで萎れそうだった。
だが、それも長くはない。
隔てられていた一筋が差し、次第にその憂いは向こう側へと追いやった。
なおも尾を引く気持ちを込めてか、灰色の群れは最後の大粒を零した。
昇る景色を朧げに映し、そして水面に滴った。
波紋を大きく描いたあとの鏡は、清々しく青かった。
いずれの再来を過らせる残り香を跡に刻んで。
【雨の香り、涙の跡】