「いつか戻るよ」
そんな無責任な言葉に私は微笑みと共に頷いた。
「適当なこと言わないで」「いつかっていつ?」泡のように膨らむ言葉を飲み込んだ。だって貴方が望む言葉ではないから。
その日から私の中心はなくなった。何のために動こうか?貴方が私を作っていたから、そんな貴方は無責任にも消えてしまったから。別に怒りは湧いてこない。この感情はなんだろう、言葉にするとしたら「無」だ。本当に何もない。辺り一面真っ白で片付いている。濃霧に包まれている。四方を越えられない壁が隔たっている。
貴方を待つために生きている。貴方が帰ってくるとこを信じている自分が段々萎れているのをみて見ぬふりをして自分を欺き続けている。
朝はやはりリールが一番。これが無くては固形化してしまう。蝋を見つめて外に飛び出すのが貴方の子供。朝食を足で摘みながら私は、はなりと考えた。ジェニーはロンドン…ラザニアはブリテン…カザールはカナリアン…。
待っている、まっている。いつかはいつ来ますか。いつとは何ですか。いつかはいつが来るんですよね。そうですか?そうですよね。貴方はそういった。私に。
―――――ひゅるるるる。
風がなびく。お昼時。太陽は1日で最も高い高度に位置するため暖かくなる時間帯。だが今は冬の為、暖かさは何も感じない。冷たい風に肌が切られるような思いだ。…でも嫌いじゃない。
初めはドキドキしてたことも今ではなんにも感じない。もう呆れてしまった。自分のことがどうでも良くなってきたのだ。何をそこまでして苦しむのか。ここまで来てはもう何も思いつかない。今までにあった幾つもの由々しき出来事も呼吸と同然の生物の摂理にすら思えている。
何で屋上の鍵を閉めないのだろう。こんな生徒がいることはネットニュースやらで良く目にするはずだ。そこまで気がいかないのだろうか。さっきまで晴天の如く寒々としていた空模様に少し雲が見えてきた。
……正直言うと少し怖い。それよりも現実が怖い。でも自分から命を投げ出す行為には想像を遥かに超える意味がある。今にでも死にたい。誰かが殺してくれたら良いのに、でもあいにく私は底まで恨まれては無いみたいだ。
決心がつかないから。曇り始めた空を見ていた。何で私がこんなこと悩まなきゃ行けないんだよ。悪いのはアイツらじゃん?
ムシャクシャして、じっとしていられなくなった。立って、ギリギリの位置に立ってみる。この高さから降りれば――開放、解放される。
風でスカートが後ろに靡く。――やっぱり辞めておこうか。家族の顔がよぎるから。この状況がいつまでも続くわけじゃない、終わりは来るはず、きっと、いつか…。
思い切って落ちてしまえば…!でもそんな判断も出来ない弱い人間だから。でも死なないって決めたわけじゃない。しんどかったらいつでも降りれるんだから。
やはり、止めた。踵を返して入口へと向かおうとする。
が、進まなかった。
―――ひゅるるるる――。
視界が青く染まり、急降下を始めた。
落ちていく。世界がスローモーションに見えた。絶望?いや、これも違う。…透明だ。落ちている、という事実のみを脳が反復し、処理できずにいる。
「…アタシの最期、呆気ねえなあ……。」
「夫婦」とは。どんな条件を満たせばよいのだろうか。
勿論、戸籍上は夫婦であろう。しかし、心理的には「フウフ」でしか無い。ただの名称であり、それ以上の意味は含まない。
夫の存在価値は私にとって、何も無い。でもお金が無いから。何も出来ない。今の私は非力だ。
お金と言ってもそこまでの大金ではない。高校生で暴力沙汰を起こして退学させられて、親のコネで働いているだけ会社だから。給料もたかが知れている。
ああ、そうだ。妊娠中、突き倒された時もあったな。何が原因だったかな。思い出せないぐらい、ささいな事だったんだろう。
長女が生まれて間もない頃、子供を置いて出ていけと言われたこともあった。その長女は今、中学生だ。よく、こんな家で立派に育ってくれた。でも人と上手く話せないのが悩みらしい。何を言えば共感できるのか、怒らないのか、退屈しないのか……そんなことを考えていると中々言葉がでないそうだ。
ああ、長男も生まれた。あの子は底なしに明るい、かと思えば意外に気を使っていたりする。アイツは長女には話しかけない、でも長男には話しかける。長男はまだ小学5年生。自分よりも下の立場。自分が見下せる存在。そして、明る性格からか話の相手をしてくれるからだろう。アイツのストレスで胃を痛めたこともあったな。
出ていけ、と怒鳴られたことも何度もある。どれもささいなキッカケ。異常極まりない。アイツの母親、父親にも相談した。娘が泣きながら当時の出来事を語った。母親はその間爪をいじっていた。カスめが。父親は、あまり関わりたくはなさそうだった。アンタらの息子だろうが。
これから少しずつなんとかしていく、とは言われたが何もなかった。助けてくれる人は誰も居ない。
ここには書ききれないほどのことがたくさんあった。なのにアイツは平気な顔してこの家に住んでいる。
アイツがいなければ普通の家なのに。アイツのせいで全てが台無しだ。お願いだから、お金を置いてこの場を立ち去って。
透明な冷たい空気。体を中から冷やしてくような。
少しの肌寒さが心地良い季節になった。
ベンチに座ってボーっとするのもなんだから、歩きながら考え事をする。……あの言葉になんと答えようかと。
真剣
貴方は泣かない。強いから、少なくとも私の前では。私が信用されないとかされてるとか、そんな話じゃなくて。あの子は無自覚に扉を閉めてしまう。透明で誰にも見れない。本人でも。
河原に行こうって誘ったのは私。伝えたいことがあったから。ロマンチストな雰囲気に身を任せたかったから。
…貴方、彼氏と別れたんだったよね。そりゃあ夕日が似合うわけだよ。
ふわりと生ぬるい風が髪を揺らす。長い貴方の髪は波となり、黄昏に溶け込んだ。綺麗だ。このまま時間を止めてしまいたい。…でもそうしたら想いは届かない。でも、それで良いかもって。ちょっと怯えてる、貴方の言葉を恐れる自分がいる。
なかなか話を切り出せない。貴方は私が話し出すのをゆっくり待ってくれてる。私たちは黙って夕日を見つめた。
綺麗な横顔。いや、正面も綺麗だよ?アホ毛の先っちょから爪先のテッペンまで全てを愛せる自信しかない。だから、さぁ、あの〜…私にしちゃいなよ。貴方を1番理解して、大切に思ってるから。今までの相手のことなんて幸せ過ぎて忘れさせちゃうよ!
…なんて言えるはずはない。そもそも私は張り合えてもいないだろうし。…何で呼び出しちゃったんだろう。今さら後悔してるよ…。
どうしよう…なんて思っていると貴方が口を開いた。
「私も話したいことあってさ。相談、いいかな?別れた彼から寄りを戻そうって言われてるの。相談乗ってくれよ〜私の大大大親友〜!」
…そっか。そうだよね。親友、それだよね。あの男ね?あーね。あ〜…うん。……うん。
分かってたよ。分かってたじゃん。あ、なんか言わないと、返事、動け、。
「あの人ね。そうなんだ〜!いいんじゃない?いい人そうだったし。」
「…振ったのって向こうから?いや違うか。こっちからか!」
「寄りを戻すのか〜。まさかアンタがそんなこと言い出すなんてね〜。別れたときはもう、浴びるほど飲んでさ。愚痴を聞く身にもなってよね〜。はは、ははは………。」
思わず口をつぐんでしまう。どうしてよ。どうしてそんな悲しい顔をするの。私だってしたいよ。伝えてもいいの?この想い。貴方は受け止めてくれーーーーーー。
「…ねえ。あんたと同じ、気持ち、だから。あんたはどうなのよ。言葉にしてよ。アタシが気づかないとでも思ってた?気づいとるわ!言葉で伝えてよ。安心させてよ!あんな男より私のほうがいいでしょう?って言ってよ!待ってたのに!呼び出されたとき、嬉しくて!こんなにオシャレしてきたのにさ!気づいてよ!この鈍感め!馬鹿!アホ!意気地なし!」
声を上げて泣く彼女。メイクが取れて顔がぐじゃぐじゃ。…気づいてなかった。オシャレなんて。緊張でそれどころじゃなかったんだから。
「好きです。付き合って下さい。」
彼女の手を取り、真っ直ぐ目を見つめる。
「そんなの勿論以外にあるわけないじゃんか〜!!!」
そう言ってわんわん泣いてる。そんな姿も愛らしくてしょうがない。夕日に照らされて夕日よりも輝く涙。どんな宝石よりも美しくて、どんな画伯でも描き表せない。
そっと背中に手を添る。…視界がぼやけてきた。頬につうと涙がつだい、やがて増えて止まらなくなった。
ありがとう。大好き。そんな思いでいっぱいで2人で枯れるまで泣いて、笑った。これからよろしくねって。