まって
そう言って、あの時、自分自身を抱き締めれば良かった。
ボクはいつもそうだった。
いつもひとりぼっちだから寂しい、
泣き虫なくせに涙を堪えて、
人の頼り方も分からない、
甘え方だって知らない、
ボクは夜、ベランダから外を眺めてはいつも泣いていた。
ボクは何度も呼吸する場所に手をかけた、
ボクは何度もボーッとした、
ボクは何度も見ちゃいけない世界を見た。
そんなボクは、幸せだったのかな?
今も夜、寝れない時は外を窓から眺めては思う事。
あの時、誰かに止められたら。
あの時、誰かに助けを求めれたら。
あの時、誰かに相談していたら。
ボクは、本当のボクを認めれたのだろうか?
そう思う前に、ボクはきっと、ボクにこう言うだろう。
「まって」
それは、最悪な嫌な言葉にも、最高な救いの言葉にも聞こえる。
この言葉がある、ない、とでボクはどんな未来だったのかな?
今も夜は、朝になる為に時間が進む。
朝が来たら昼が来て、
昼が来たら夕方になって、
夕方になったら夜になる。
そうしたらまた、夜は朝になる。
ボクもそうやって、生きてきた。
不思議だなぁ。
今も泣き虫だなぁ、ボクは。
そうやって時間は過ぎていく。
時間は待ってくれない。
けど、ボクは、ボク自身は待つことはできる。
そうやって、人生はできてるんだなぁと感じる。
不思議だよねぇ。
今もボクは、この待ってくれない夜を過ごす。
終わりのある、朝を迎える為に。
優しい嘘
ボクは優しい人ではない。
少なくとも、ボクはそう思っている。
そんなボクは嘘をつくのが平気な人だ。
それは、自分を守る為、人を傷つけない為。
なんて言葉も嘘かもしれない。
意味の無い嘘は、本当に意味は無い。
そんなボクは優しくもないし嘘はつく。
ボクは優しい嘘ができる人だろうか?
だなんて、思う時は多かった。
優しければ人を傷つけない、自分も傷つけず守れる。
優しければ人を愛せる、自分も愛せる。
優しければ言葉は嘘でも本当でも愛される。
やっぱり、ボクは優しい人ではない。
そんな選択が出来ないからこそ、本当の事も優しい嘘も言えない、けど、それで後悔する事はボクは感じない。
優しくなくても、人として生きていければ何とかなる。
ボクは自分を人、として見ていないが、ボクとしては見ている。
必ず優しくなきゃいけない訳ではないし、人として生きなきゃいけないのは、個人の考えであり、ボクの考えにはなかった。
けど、そんなボクでも、こんな嘘をついた。
「ごめんなさい」
「ありがとう」
「大丈夫だよ」
ボクがボクを傷つけない言葉、人を傷つけない言葉。
たまに本心からではない、誰かを守る事が出来る言葉。
これを、ボクはふと思い返せば、
これは「優しい嘘」なのかもしれない。
なんだ、ボクって優しいのかも?
って思うが、そんな優しいと思われるボクをボクが受け入れられない時点て、優しくはない。
優しいって言葉は、不思議だ。
時と場合によって受け入れられないものであり、
それを受け入れて安心して、心地よくするものでもある。
涙を流す事も、怒り狂う事も、満面な笑みになる事も、沢山ある。
優しい嘘は、人を傷つけない、かもしれない。
かも、だから傷つけることもある。
だって、それは生きてるから。
生きてたら、傷つくことも絶対にある。
だから、
ボクは本当に意味の無い嘘をつく変人だなぁ、と笑ってしまう。
ボクはまた、人と会う。
ボクはまた、自分と会う。
その時、出てくる言葉や行動には、優しさはあるのか?
そもそも、優しさなんて必要なのか?
優しいって、なんなんだろう?
優しい嘘を、ボクは改めてどう思うのか?
そんなひたすら考えてても意味の無い嘘に虜になってるボクは今日も息をするように嘘をつく。
幸せとは
それは目に見えて、目に見えない。
これは触れられて、触れられない。
こんな音を感じ、音が聞こえない。
そして匂いを嗅ぎ、匂いがしない。
そんな味があり、味が無い。
ボクにとって、幸せは五感で感じるもの、だと思っている。
美味しいご飯を食べる時、ふと思った。
ボクはその時、風邪を引いたから匂いがしなかった。
だから、五感の中にある嗅覚がない状態で食事をすると、
不思議な事が起きた。
それは、美味しいご飯を食べた、という記憶が残りづらくなった。
味は美味しいし、見た目は美味しそうだし、料理から聞こえる美味しそうな音、触って感じる美味しさ、それはあったのに、嗅覚が無いだけで全く記憶に残らなかった。
それは何故?と思ったボクは凄く考えた。
その結果、ボクの中で理解したのは、美味しいご飯は五感で堪能するからこそ、記憶の中に残るんだ。と感じた。
例えば、モナカのバニラアイスを食べるとして。
カラカラなモナカと冷たくて溶けたアイスを手で感じて、
見た目は薄茶のお菓子の間に挟まる薄黄色のアイスクリーム、
パクッと食べた時に聞こえるモナカの砕ける音とアイスを含む音、
ふわっとした甘い味がするバニラと、
少し無味だが優しい味がするモナカを舌で感じ、
そして、甘いバニラの香りと、優しいお菓子の匂いを感じる。
こうすることによって、
頭の中でパズルみたいに組み立てて完成して、
完成したパズルを綺麗で美しい額縁に入れて飾る。
そうすると、記憶として残る。のだとボクは思った。
食べてる時や、記憶として残ってる時、また食べないな、と思う時や、誰かにその話をする時、それはきっと、幸せな気がする。
美味しいご飯を食べれば幸せだし、それなら記憶として残ってる時も幸せだろうし、また食べたいな、と思うのも美味しかった幸せとして思い出してるし、誰かにその話をして、美味しいというのを共有する事も、幸せなのだと感じる。
幸せとは、五感で感じる事だと、ボクは思う。
ああ、こんな話をしてたらバニラアイス食べたくなっちゃった。
美味しそうだなぁ、食べたいなぁ、美味しかったんだよなぁ。
うん、明日、食べよう。
イルミネーション
冬になると街中は星のように輝く。
ボクは幼い頃からいろんな場所のイルミネーションを見ていた。
暗い夜が嫌いなボクでも、冬の夜は明るく美しく見えた。
真っ暗闇の何も見えない、静かで何か出てきそうな夜。
お化けやら虫やら人やらがひょっこり現れても気づかないぐらい静かで真っ暗闇の夜が嫌いだった。
そんなボクでも、イルミネーションがされている夜は好きだった。
昼間は普通の飾りなのに、夜になると輝き出す。
まるで魔法の世界に居るみたいな気持ちになるから、年齢的に大人になった今でも苦手な夜は、イルミネーションのお陰で好きだった。
けど、イルミネーションは冬だけじゃないと思っている。
夏、そう、ホタルだ。
ボクはたまたま仲の良い人達とホタルを見に行く機会があった。
夏らしく中途半端な暗さの夜道、夏だから暑いから汗は止まらない。それに虫が嫌いなボクは、虫を見に行ってどうするんだろうか?と思いながら、ホタルがいる場所に着くと、そんな事を考えてたのを忘れるぐらい、美しかった。
ふよふよ光は飛び、
まるで流れ星が目の前で見えているように、
綺麗に輝き、命を感じさせる光り方、暗い場所だからこそ鮮明に見える美しさは、ボクは一瞬で虜になった。
この美しさを動画に撮りたい、と思っても中々撮れない。
最新スマホのはずなのに、何故なんだ?と思いつつ、
この時に見た景色は自分の頭の中にしっかり入れた。
光というのは、
本当にどんなものも魅了させる美しさがあるのを感じた。
それが季節関係なく感じれるのは、
とても良いものだとボクは思った。
ボクはまた、様々な光を見るのだろう。
それが太陽でも、月でも、星でも、電気でも、ホタルでも。
この地球には様々な光がある。
明日は、どんなイルミネーションという光が見れるかな?
部屋の片隅で
ボクは埃の気持ちになりたい。
と、言われても困るだろう。
埃は部屋の片隅で、ポツン、といる。
部屋の掃除をいくらしても絶対にいる埃には頭を悩ませる。
最近は放置しがちだが、掃除しないとな。と思った。
そんなボクは埃になってみたい。
埃はポツンといる、そう、ボクはポツンとその場に居てみたい。
何もせず、ボーっと天井と床を眺めて、汚くてふわふわした体で、人間に白い目で見られながら、掃除されるまで、部屋の片隅で居座ってみたい。
そもそも埃はどんな気持ちでそこにいるんだろうか?
もしかしたら、早く掃除されたいのか?
あるいは、人間と結婚したいのか?
うーん、それとも、部屋と一体化したいのか?
いや、または、ただ何も考えずにその場にいるだけかもしれない。
埃って、生きるの大変そうだが、楽そうだと思う。
だって、いつの間にかそこに居られるし、
いつの間にか掃除されている。
気づいたら埃としての人生は始まり、終わるんだろうな。
なんて思うと、更にボクは掃除してない埃を見て、
どんな気持ちかを考えたくなる。
埃って、どんな気持ちで住んでいる人間を見ているんだろうか?
もしかしたら、憎んでるかもしれないし、微笑ましく思っているかもしれない。あるいは、同じ種類として見られているかもしれない?なんて、無限に考える頭の中は埃のことでいっぱいだ。
いつの間にか考えが増える辺りは、ボクは埃かもしれない。
と、思い、一人で笑顔になるボクを変人だと思うのは正解だ。
ああ、部屋の片隅で埃になってみたい。