本日、ともこさんはヤサグレている。
いつもは意識のたかいカラフルな朝食なのに、某牛丼チェーン店でガツガツと牛丼をかき込む。気持ちの良い食べっぷりですね、といったらにらまれた。自分でも余計なことをいってしまったと思った。
ともこさんのココロはくるくるとよくかわるので、まわりの人たちはよく振り回されている。でも振り回されたい人がともこさんのところによってくるので、今のところは問題ないみたいだ。それにはともこさんの来るもの拒まず去るもの追わずの精神もうまく影響していると思う。
そうやって自由にやりつつもまわりとうまくやっているともこさんをうらやましいと思うけど、自分がヤサグレた感をだす勇気なんてないのはわかっている。去るものに未練がましく執着し、来るものにはかんたんに手を出さない臆病なわたしには。さらさらとながれる小川のように生きてみたいと、本気で思っているのにわたしのココロの歯車はギシギシと音をたてうまく噛み合ってくれない。カラフルな朝食にしてみても、牛丼をかき込んでみても、所詮は他人の人生だ。
わたしのさがしているものは何処にあるのですか?
「そんなものあるわけないじゃない」ともこさんはヤサグレながらいう。あると思ってがんばって、その途中でみんな死んじゃうのよ。だから気楽にいきなさいよ、どうせ見つかりっこないんだから。
ともこさんはますますヤサグレている。
そんなのはいやだよぅそんなのはずるいよぅ、と駄々をこねたくなった。そしてともこさんのヤサグレもわたしの駄々もおなじようなものなのかもしれないと思った。
たぶんそうやって自分をわかっていくしかないのだろうと思う。わかったさきになにがあるのでもないんだけど。ちょっとはヤサグレも駄々っ子もかわいく見えるようになるのかもしれない。
グルグルまわる羅針盤
風見鶏みたいに
ルーレット盤みたいに
頭の折れたカカシが 斜めに突き刺さる夜に
どこへでもいってしまえと 線路を突き進む
砂利を踏みつける足が 自分の影を踏みつける
のびる影 のびる足
行きようのない 未来
生きようのない からだ
バラバラになる世界 断片になりはてた記憶
こわれた保険のセールスマンの声が
耳のおくで とおざかる
うさんくせぇせかいに さよならだ
わたしは羅針盤をすてた
無意識の泉から湧き出た
いまだ理由のつかない感情が
涙腺をつたってあふれだす
なぜあなたは泣いているの
なぜわたしは泣いているの
泣いても どうにもならぬというのに
泣いても なにも変わらぬというのに
泣くことで 何かを消化しているのかもしれない
と、想う
よく分からぬぐにゃぐにゃしたものを
見える世界で消化し損なったものを
見えない世界で ゆっくり溶かすみたいに
だれかが流し損なった涙を
ひっそりとだれかが流している
そんな透明な涙が この世にはある
だれかがだれかを呼ぶ声がする
水平線の 地平線の そのまた向こう側から
波と波の間の 束の間の夢のような
きみのなめらかな腰の曲線を 指でなぞる
淡いクリーム色の唇は 大事なことばを
ぎゅっとしまい込んでいるみたいだ
そして曇りのない漆黒の眼は ぼくを水底の階段へと誘う
おちてゆく 雫
白く光る きみの指とぼくの指
絡まりあって 輪郭をなくし
うすぼんやりと 闇に呑まれる
虫たちは 沈黙のうちに気配を殺す
水気を含んだものが 足元から這いあがる
きみは 腐った人形になり
ぼくは 荒削りな石像になる
だれかがだれかを呼んでいる
切実に 言葉のない世界で
年をとるにつれ、一年という時間は短くなっていくらしい。
単調で刺激のない生活になるからとか、代謝が悪くなるからだとか言われているが、個人的には40歳を過ぎると人生の折り返し地点を過ぎて、残りの時間を考えるようになるからだと思う。
若い頃は自分が死ぬことなど真剣に考えないが、いざそういうことを考えはじめると、なんと人生の短いことか。
わたしだって若い頃は「アァ、シニタイワ」なんてことを考えたりした事もあったが、その時はあくまでしばらくは死なない事が前提にあったから死をちょっと美化していた所もないではない。ところが今は、年々迫りくる老化を実感しながら、死にたくないのに死ななければならない現実に毎日のように直面させられる。
そしてあわてて色々なことに手を出した挙げ句、年の瀬はあっという間にやってくるのである。
メメント•モリ (死をわすれるな)
忘れたくても 忘れられない