本日、ともこさんはヤサグレている。
いつもは意識のたかいカラフルな朝食なのに、某牛丼チェーン店でガツガツと牛丼をかき込む。気持ちの良い食べっぷりですね、といったらにらまれた。自分でも余計なことをいってしまったと思った。
ともこさんのココロはくるくるとよくかわるので、まわりの人たちはよく振り回されている。でも振り回されたい人がともこさんのところによってくるので、今のところは問題ないみたいだ。それにはともこさんの来るもの拒まず去るもの追わずの精神もうまく影響していると思う。
そうやって自由にやりつつもまわりとうまくやっているともこさんをうらやましいと思うけど、自分がヤサグレた感をだす勇気なんてないのはわかっている。去るものに未練がましく執着し、来るものにはかんたんに手を出さない臆病なわたしには。さらさらとながれる小川のように生きてみたいと、本気で思っているのにわたしのココロの歯車はギシギシと音をたてうまく噛み合ってくれない。カラフルな朝食にしてみても、牛丼をかき込んでみても、所詮は他人の人生だ。
わたしのさがしているものは何処にあるのですか?
「そんなものあるわけないじゃない」ともこさんはヤサグレながらいう。あると思ってがんばって、その途中でみんな死んじゃうのよ。だから気楽にいきなさいよ、どうせ見つかりっこないんだから。
ともこさんはますますヤサグレている。
そんなのはいやだよぅそんなのはずるいよぅ、と駄々をこねたくなった。そしてともこさんのヤサグレもわたしの駄々もおなじようなものなのかもしれないと思った。
たぶんそうやって自分をわかっていくしかないのだろうと思う。わかったさきになにがあるのでもないんだけど。ちょっとはヤサグレも駄々っ子もかわいく見えるようになるのかもしれない。
2/12/2025, 6:08:30 AM