届かないのに。
いつも思っていること。本心。それはとても重いもの。
ただ手を伸ばせば、ただ手が返ってくると思っていた。僕の細く長く弱く脆そうに見える腕と手は、どこかの誰かにとってとても羨ましいものだった。
背中から脇、肩、首、頭と眉間。ただただ降り積もっていく疲れは、私にとって当たり前だった。
誰かの願望や羨望や切望や希望が、自身にとっての絶望や退屈や後悔だったりするから、簡単に1を1と呼ぶことに抵抗を感じる。それが私の頭の中。
毎日、起きて、食べて、出して、生きて、寝る。サイクル自体が嫌になる事は無く、その事に疑問を抱こうが、どつやったって生きていく為に必要であるからして、必ず実施する営みである。
何一つ、誰にも、自分にも届かない。
この決められたルールと理想。
妬ましく、悩ましく、疎ましく、気持ちが悪い願い。
届かなくて、良かった。
届こうが、良かった。
軌跡。
歩いた後に、必ずできるもの。でもそこは砂漠のように脆い場所。
私はただ歳をとる。何もなさずに、何にもならずに、何の気なしに死んでいく。その予想とか妄想とか想像とか感覚が、日に日に強くなり、弱っていく。
僕は毎日続ける。好きでもあり、努力でもある。惰性でもあり、苦痛でもある。そんな中でもただ続いているという事実に、救われたりする事がある。
足元の何か脆い場所、液体の溜まる暗がり、踏み倒される草花に虫。
なんとか跡の残るような道を、辿りやすいように魅せながら歩く。
それが善となり悪とされ、光として闇を持つ。表裏一体というように、ただ歩くだけでは物足りないのが、人というもの。
何の気なしに、その、選ばれた道はできあがる。
あとはただ間違えず、その道の上か、後ろか、脇を歩くだけで良い。
100の確率で残るのは、必ず残そうと歩くものの足跡のみである。
さて、我が足元は、道の上だろうか。
我が道は、そこにあるのだろうか。
影絵。
踏み絵って言葉を聞いて、それは自分には結構簡単な物だと思ってしまった。
僕には信念がない。揺るぎない正義とか、確実な善なんて存在を信じていないし、信用も出来ない。だから良くも悪くも無感情で行動する事ができる。
私は文字が嫌いだ。堅苦しさと肩肘の張ったよそよそしさを感じるし、違う国では伝わらない。その点、絵をアップすると皆に反応を貰えるし、国境なんて軽く超えてしまう出会いもある。
毎日、固執するものや執着するものが増える度に後悔する。あぁ、また無くすと怖いものが増えてしまった。
友達に家族、ペットに推しなんて増えた日には、無くすものの恐怖と確率が何倍にも増していく。
誰かを裏切ると、誰かを助けられる。
何かを見捨てれば、何かを守れる。
そんな選択の繰り返しに、もう疲れてしまっている自分がいる。
一時、感情を捻じ曲げて、嘘をついて、それに従ったとして、今後立ち直ることが出来ないくらいには、すでにダメージを抱えている。
表に写す信念が、影の形を保てなくなる頃に、きっと心は壊れるんだろう。
真っ黒な影に、輪郭を欲している。
静かな情熱。
霞んでも、しんしんと残るその心は、常に発熱している。
私は風邪を引く。歳を重ねる毎に回数は増え、治りも遅くなっていくこの身体。不便だが、使い方を学んで、扱いに馴染みを感じている。
僕はスマホを見る。段々と近づく画面は、視力の悪化を表す良き指標であるが、そんなものを気にも止めず日々を続ける。
毎日の淡々と訪れる起床、食事、就寝。欲が溢れてしまう前に発散し、心が壊れる前に浄化する習慣を、何度繰り返しただろうか。
静かに。ただ静かにその時を待つ。
誰かに幸福だと認めて貰えるその時まで、静かに静かに待つ。
たかが幸せ。
だけど、不幸や絶不調は嫌だ。嫌いだ。
クルクルと思考を巡らすこの脳みそは、いついかなる時も不毛な考えを巡らせている。
ただ、淡々と、単純に、名活に、素朴に、粗暴に、特別に、情熱を燃やしている。
遠くの声。
いつか聞き届けなきゃいけない声ってのが、存在している。
僕はいつも思う。この声が出なくなったら、目が見えなくなったら、手が動かなくなったら、死んでしまうのだろうかと。でもきっと、僕はその時まだ生きているし、生きるしか無かったりするのだろうと。
私は爪を飾る。髪を編んで、服を選んで、肌をピカピカに毛繕う。変な言葉を話そうが、奇声をあげようが、それが君に刺されば良いと満足している。その満足感が生き甲斐なのだ。
今、この怠惰に、でも単純に過ごしている時間が、ずっと続けば良いと思っている。過去のわだかまりも、未来の破壊も全て自分とは平行線な他人事でしかない。
どこかの国のどこかの街が沈んでいようと、どこかの村のどこかの川が濁っていようと、一切の関係を自分中心に考える事など不可能だ。
この、醜いと失笑される魂が、年月を重ねる毎に肥大化している。
あの、小さな頃に、無垢に嘆いた悲しみは、もう今は、聴こえないのか。
あぁ、そうか。既に、耳は死んでいるのか。