時計の針。
時計はいつも一定で、簡潔で、完璧で。その音を刻む針は、とても魅力的だった。
僕は昔から嫌いだった。僕だけの部屋で、僕の意志とは別に、ただただ音を鳴らす時計が、鬱陶しかった。僕の世界が静けさに包まれれば包まれる程、その秒針の音は大きくなり、醜くも滑稽にも意地汚く鳴り続ける。
私は「大きな古時計」という曲が、大好きだった。母の拙い音程と少しくぐもったあの声を思いだすと、今でも懐かしくなる。沢山の人が大切に聴き継いできた、歌い継いできた音楽の中でも、私だけの子守唄。
チクタク チクタク。
日々の何でもないモノに、密かに思い出が隠れている。ほんの少しの、記憶でも、思い出と、懐かしそうに顔を緩める人を見るのは、いっとうの幸せにも感じられる。
常に進む事が時には、大きな負担や厄介、切迫や落胆を生む。
だけど、僕が。私が止まってしまった今、時計の示す時間だけは、どの事象にも貪欲に精確に確実に刑の執行を告げる。
正直、ありがたい。
だって停滞から抜け出すなんて、一番怖いんだから。
お気に入りの時計で、文字盤をデコって、針を尖らせよう。丁寧に、研いで、飾って、手に持って。
心のどこかに、吊るして魅せよう。
溢れる気持ち。
ここはどこか。分かっている人は、どれだけ居るのか。
私は声が聴こえる。眼鏡をかければ目も見えるし、鼻も効き、味覚もある。痛覚もあるし、感情も無感情も持っている。そんな私が今生きているのは何故で、なんの理由があるのか。分からない。
僕はいつも伝える。親への鬱陶しさも、友への嫉妬も、異性への期待も。憧れの人なんていなくても、声を大にして叫べる。けど、持てる権利を全て行使しても尚、持っていない物への渇望がある。いつも飢えている。
人間は不思議だ。きっと比べられるはずもない存在と、よく価値を比べたがる。空を飛べる鳥とも、海に沈める魚とも、地中を這えるモグラとも、個体の違う他人とも。比較対象にすら上がれない自分を主軸に、妄想し期待し落胆する。
分からない。これはとても大きな不安だ。
飢え。これはとても大きな欲だ。
分からない事に興味を持った今日日、それは大きな飢えになる。
ただ足りない事への飢えもあるだろう。
だけど、幾ら祈っても願っても縋っても辿り着けない只の未知は、どれ程美味なのだろうか。
今生きているという事実だけが全てで、その複雑化させた理由に足元を掬われないように。
壊れないでいよう。
あなたに届けたい。
どっかの誰が向いてた事を、その誰かが属する2分の1に当てはめて、勝手に役割付けた。
それの片方が社会で、片方が家庭での労働。
各個人の向き不向きや不満が、共有されにくかった時代では、現行維持の方がみな基本楽だから、その様に流され、育てられ、学んだ。
学習能力の高さ、識字率の高さが付随して、固定観念という物は年をとる程強くなる。
その時代を作った時に、偶々立場が上だった一方。
物理的に力があり、顯示欲があり、声が大きく通りやすかった。
社会の仕組みを作ったのも、役割を細分化したのも、その役割の価値に上下を付けたのもその時の権力者。立場、力が上かつ、権力を持った人間が、その時その人に利益がある様に制度を整えた。
そしてそれを変更せず、再利用に留めているから、社会に大きな変化は無い。
それが安心かつ安定感がある現在。
特に大きな変化を嫌い、調和を求めがちな日本人は、現行制度に甘んじる事が1番の選択肢だった。
そこに漬け込む人、会社、国がいても、社会制度へ無知に探求心を閉ざした、謙虚で一般的な日本人には分からない。
この国の政治も、老若男女の在り方も、教育も、基盤となる物を歴史的と言えば聴こえはいいが、一昔前の時代に取り残された遺物を、捨てきれていないだけだ。その歪みは次第に顕になる。
革新、革命、ストライキ。
瞬間的な労力、お金のコスパも悪く、安心安全、結末の補償は無い。だからこそ、個人単位での変革は起きない。
起こすなら精々、会社、業種、組織、それこそ分類される2分の1の結束が必要だ。
通したい意地や意見、討論したい疑問点や疑念点や変更点があるのならば、やはりただの文字よりただの声だと思う。
生憎今は、意見の発信が簡単な社会だ。
その分埋もれてしまいやすいデメリットもある。
だけど、同じ考えの人が集まりやすく、複数集まり徒党を組めば、その声も大きくなる。
昔の権力者に近づこう。声を大きく、表題を大きく提示して、討論の場をもぎ取ろう。
草場の隅で、肩寄て、小突き合うのは無意味だ。
真剣に問題視するのであれば、善は急げと言う様に、手法を案じてみては如何か。
幸せとは。
安心できる家があり、それなりの食事にありつけ、身体を労わって眠ることができる事。
私は分からない。給料に不満は無い。仕事内容も苦痛は無いし、人間関係も不可ではない。それなのに、何となく辛い。それはきっと残業の多さと、それに伴う心身の乱れが原因だ。なのに、現在続く道路は、逸れることを許してくれない。
僕は苦しい。どうせどれだけやってもそこまで大きく変わらない事を、その時間が過ぎるまでは永遠に優先しなければいけない。長いし、怖いし、確実性はどれだけ頑張っても100と言いきれない、煮え切らない状態での放置。みんな隣にはいるけど、それぞれ歩く歩幅も、道も、好みも違う。
緊張状態ってのは不思議だ。
それが仕事であっても、受験勉強であっても、会議でも、発表会でも、移動でも、自習でも。何かが頭の中から離れない状態ってのは、一定的に確実に疲弊が伴う。
これがどれだけ自分の好きな事であっても、個人趣味の時間と、業務学習中という状況定義の違いだけである程度の差が生じる。
幸せ、なんて、ただ個人の感情を形式的に伝えやする為にできたちっぽけな表現だ。
だけどきっと、心からほっとする瞬間ってのが、人間には欠かせない幸福的要素だと提起し、幸せってモノを目指してみたいと思った。
明日への光。
明日を生きてるって当然の事。仮定でも、死んでるなんて、考えにも及ばない。
私は考える。例えば明日、明後日でも、何か今より進化してる事があるのかと。でも、その為の努力をする気力はいつも一瞬だし、遂々堕落してしまう。
僕は文字を書く。決心が固まる感じがするし、見返すことのできる目標になるから。でも、僕一人での決意なんて、風化も鈍化も軟化も、とっても簡単で単純なものだった。
いつも、目の前の楽に溺れる。
それは自分の中の欲に負けているとも言える。
でも、自分の欲はそんなモノではないと、確かに理解している。
僕は天才になりたい。称えられ、褒められ、妬まれる様な存在になりたい。
私は持つもので在りたい。お金も、知識も、経験も、権力も、夢も、何もかもを持ち合わせたい。
そう考える自分とは裏腹に、何者かなる事への執着は、決して常に光らない。ただ常に、その場所で燻るばかり。
だけど、だから、だからこそ、欲は快楽にしてしまおう。自分の欲はあまりに眩しいはずだから。