鏡の中の自分。
節目ってやつがある。きっかけとか、区切りとか、境目とも言う。鏡に映る自分を見て、そうならなきゃなって感じるのは、いつも決まってそういう日。
私は、女である自分が嫌いだった。隣の芝生は青いとばかりに、男性という形と色と態度と立場と、他にも沢山のものに嫉妬した。
僕は、自分をどうしても認めることが出来なかった。思うような成果や、力や、感情を得られず、燻っていくだけの日々。これ以上無いという位の、拷問にも思えた。
自分の特徴が、自分を呼称する要素の一つが、親に決められた名前が、基準とされる正解が嫌で、嫌でイヤでいやで、仕方なかった。
これは、思春期って奴なのだろうか。そんな一言に収めていいシロモノなのだろうか。
自分の意思の成長を、芳しくも喜ばしくも思いながら、それでも逆らいたいと願ってしまう。
やりたい事がある。見たい世界と未来がある。
叶える夢を見るくらいには、環境も用意がある。
あとは、決意の継続と、努力とかいう果てしない劇物だけ。
一度違えた道だけど、願うのは自由だ。
持つもの持って、鏡へ向かおう。
永遠に。
永遠のゼロ。一生を百として、永遠になってしまった人は、ゼロになってしまうのか。
変わらない世界は無いよって、虐められる私にあなたは言う。変わろうとする努力やら決意やら力が足りなくて、ただ自分の守るのはナンセンスだと笑う。
いつも呟く僕に、意味無いよって笑う君。その意味を持たない媒体が、だんだん民意みたいに思えてきて、思考力やら感情やらを包まれてしまったのは、いったい誰だっただろう。
永遠に変わらない事なんて、確かに無い。
でも、永遠に、良い方に、前向きに、夢の様に、子供の様に、無垢に、稚拙に変わっていくなんて、所詮大人の妄想でしかない。今を気に入らない人達が、幾ら現状を嘆いたって、声を出したって、伝える相手を間違えていたらどうしようもない。
そりゃ楽しいよな。好き勝手、身勝手でも、降り掛かる罵倒の相手は虚像の自分なんだから。
楽に生きたい。楽に生きよう。
でも、自由と無法の違いに気づいているか。
永遠に。
この世にまだ残りたいのならば、顔を上に。
愛言葉。
愛の籠った言葉ほど、強く意味を持つのは何故だろうか。
決して僕が言われた訳では無い。愛してるだの、好きだだの直接的でも間接的でも、自分が自分に期待していないのだから当たり前だ。言葉に甘えたいだなんて、考えてはいない。
私は分かっている。あの人達が放つ言葉は、ここに居る全てのファンに吐かれた嘘だ。トキメキもドキドキも、勘違いしては恥ずかしいって。
自分の中で自己完結をするのに慣れてしまったのは、一体いつからだっただろうか。
誰かからの、自分の受けた言葉が、信用出来なくなったのは何がきっかけだったんだろうか。
聴きたくない。どうせ変わらない。壁を建設しはじめたのは、いつからだったのか。
でも、そんな高尚で高層に重なった壁を壊される様な瞬間は、一生に一度の大切なきっかけである。
これが生まれ代わりと言うのだろう。
欲しいままに。愛のままに。混沌のままに。
愛の言葉を。
ココロオドル。
何かで心躍る事が有るだろうか。何かで心を埋め尽くされることが有るだろうか。
私は最近言われた、若い女性は扱いにくいと。若い女性の私を目の前にして言ったあいつは、更に続けた。あれ?自分でも分かってくれてた?
僕は最近言われた。打ち込んでいたスポーツの、休日大会に出るのに、私生活を優先し過ぎじゃないかと。黄金時代を知ってる自分達では、考えられない行動で、甘えてない?たるんでない?
こんなにココロオドル日は、今までに無い。
この、目の前の相手を、どんな風に妄想で殺してやろうかと。どれだけイタぶっても、笑っていられる。何故ならこう続けるからだ。
ハラスメントになってないよね?
自分の中に残虐さが無いとは思っていない。けれど、普段働く良心とか、体裁とか、抑制なんかが全て取っ払われる様な感覚。
ココロオドル。
心 折れる。
自分が、踊る人形の様に、すり減っていく。
これが、社会人になるという事?
過ぎた日を想う。
人を想う。過去を想う。土地を想う。未来を想う。沢山の、心からの想いで、何か少しは変化があるのか。
私は考えていた。過去の失態と後悔、失った友と自分。全て自らの行いから派生した事柄だけども、思い出すのも辛く、教訓な日々。
僕は分かっていた。あの日のあの時間、あの人があんな事をしでかすことを。止められたかもしれない。でも、僕には無理だった。
過去への想いには必ず、興奮と後悔が紛れ込む。綺麗に形を隠しても、憎らしいほどに突き刺さってくる。色恋でもいい、学校生活でもいい、仕事でもいいが、まず間違いのない衝撃的な記憶だ。
幸せになりたい。でも、今すぐは手に入らないだろう。
だから、私は、過ぎた日を想う。
今からの未来より、過去の記憶の方が不変で確実だから。
面白みは無いが、安心が欲しいのだ。
これが過去への願い。