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1/4/2026, 3:30:58 PM

幸せとは。

安心できる家があり、それなりの食事にありつけ、身体を労わって眠ることができる事。
私は分からない。給料に不満は無い。仕事内容も苦痛は無いし、人間関係も不可ではない。それなのに、何となく辛い。それはきっと残業の多さと、それに伴う心身の乱れが原因だ。なのに、現在続く道路は、逸れることを許してくれない。
僕は苦しい。どうせどれだけやってもそこまで大きく変わらない事を、その時間が過ぎるまでは永遠に優先しなければいけない。長いし、怖いし、確実性はどれだけ頑張っても100と言いきれない、煮え切らない状態での放置。みんな隣にはいるけど、それぞれ歩く歩幅も、道も、好みも違う。
緊張状態ってのは不思議だ。
それが仕事であっても、受験勉強であっても、会議でも、発表会でも、移動でも、自習でも。何かが頭の中から離れない状態ってのは、一定的に確実に疲弊が伴う。
これがどれだけ自分の好きな事であっても、個人趣味の時間と、業務学習中という状況定義の違いだけである程度の差が生じる。
幸せ、なんて、ただ個人の感情を形式的に伝えやする為にできたちっぽけな表現だ。
だけどきっと、心からほっとする瞬間ってのが、人間には欠かせない幸福的要素だと提起し、幸せってモノを目指してみたいと思った。

12/15/2025, 10:32:56 PM

明日への光。

明日を生きてるって当然の事。仮定でも、死んでるなんて、考えにも及ばない。
私は考える。例えば明日、明後日でも、何か今より進化してる事があるのかと。でも、その為の努力をする気力はいつも一瞬だし、遂々堕落してしまう。
僕は文字を書く。決心が固まる感じがするし、見返すことのできる目標になるから。でも、僕一人での決意なんて、風化も鈍化も軟化も、とっても簡単で単純なものだった。
いつも、目の前の楽に溺れる。
それは自分の中の欲に負けているとも言える。
でも、自分の欲はそんなモノではないと、確かに理解している。
僕は天才になりたい。称えられ、褒められ、妬まれる様な存在になりたい。
私は持つもので在りたい。お金も、知識も、経験も、権力も、夢も、何もかもを持ち合わせたい。
そう考える自分とは裏腹に、何者かなる事への執着は、決して常に光らない。ただ常に、その場所で燻るばかり。
だけど、だから、だからこそ、欲は快楽にしてしまおう。自分の欲はあまりに眩しいはずだから。

12/6/2025, 2:18:02 AM

きらめく街並み。

街が輝くのか、人が輝くのか、ただライトが光っているなけなのか。
僕の手は小さい。他人と比べると幼く、未発達に見えてしまう。ただ身体が小さいと言うだけで、不便な事が沢山ある。それを逆手に取るのは卑怯というモノだ。
私は足が大きい。外反母趾とかいう更に厄介な特徴も持つこの足は、厄介だと匙を投げたくなる程不便で痛みを伴うモノだった。礼服に制服に、合わせる洋服が滑稽に見えるほど、選択肢は少ない。
いつも羨ましかった。
そこに居る人が、通りが、景色が。写す背景の明るさが妬ましく、サクッと軽快で凄みのある音が心臓に響く。
確かに、笑顔で隣を歩くのは大変だと思う。恋人やら、友達やらと旧知とは限らない。
でも、それでも、隣を歩く人を見つけるのはもっと難しい。
この笑顔は行き場を失い、ただ頬が煌めいている。

12/4/2025, 3:34:39 PM

秘密の手紙。

10年後の自分へ、秘密の手紙を書きます。
私は、いつも思い描くのです。ああしたい、こうなりたい、まだできるはずだと。だけど、現実の私は動かないし、頭も使わずダラダラ過ごしています。情けないけど、断ち切れない。そんな私です。
僕はいつも迷うのです。この言葉を吐くか吐かないか、手を出すか出さないか。この選択で相手の評価が変わると分かっているけど、どちらにしても自分に利点が無いと納得できない。最近は特に意地汚いのです。
悩みが増え、身体が痛み鈍り、声が掠れ、目が悪くなりました。あの子供の頃の軽やかさや、素直さが、思い出せなくなって参りました。
この事象を年齢の積み重ねという現象だけで語るには、何とも腑抜けた言い訳に聴こえます。
声を荒げましょう。無茶に意地を持ちましょう。
お前は、まだ、今、若いのです。
そのモヤモヤを晴らせるのは今しか無いのです。
今から10年の時がかかるなら、1日でも惜しいのです。
死ぬ気で、やりたい事で、死になさい。
秘密の手紙なんてのは、思い出した時にでも見て、笑えれば十分です。

12/1/2025, 2:55:46 PM

凍てつく星空。

ここは日本。全世界、宇宙に数多く存在する生命の住める、ただの一つの土地。
僕は日本人だ。お辞儀も感謝も習慣だし、神も仏も適度に信じている。それが例え日本に住んでいるからだとしても、国の外に出向いた時の僕の行動は、何らいつもと変わらないだろう。
私は仕事をしている。お金を貰って生きていくためだ。だけど、その目的が行動の全てでは無い。困っている人が居たら手伝うし、声を掛けたり、代役を務めたりする事もある。ありがとうも、良くやったも、頼もしいも、私の原動力になり得る。ただ、その逆は無い。
私たちは、人が良いんだと思う。謙虚で慎ましく懐が深い。受け入れる姿勢ができている。
でもそれが、将来、この先の先の子孫にとって、最良の土台になる事と、イコールにはならない。
混じり合うためには、互いの一歩が必要で、譲るのではなく、進むという一歩で、種も言葉も習慣すらも越えられる。
「譲らない」も、混じり合う為の手段なのだ。
ただ寒さに震える雪の日に、雪すら降らないこの土地に、凍てつくだけの毎日に、星は見つかるだろうか。
まず初めに、この土地の言葉を理解して貰おう。
だってきっと綺麗だから。

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