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3/3/2025, 4:26:35 PM

ひらり。

擬音の美しさに、心打たれる日もある。
私はいつも布団で寝る。家に帰り、お風呂に入り、布団に入る。その過程で様々な欲望に足を取られつつ、最終的にたんたんと布団に入る。飛び込む訳でも、気絶する訳でもない。ただ、たんたんと、確実に定位置へ還る。
僕は朝起きると電気を付ける。朝日も昇っているし、特段暗いわけではない。でも、電灯に明かりを灯す事で、朝だと認識する。ぴかぴかと光る電灯は少し目に障るが、一日の始まりを感じる為には不可欠なものだ。
ただ、毎日起きて、寝て、起きて、寝る。その全ての行動を、少しの努力で擬音にする事かできる。
ふらり、ころり、とろり、はらり、ひらり。
なんだか心地の良い音の数々。
どくどく、ぽつぽつ、ゆらゆら、ぼきぼき。
なんだか癖になる音と感じられる。
全て受け入れている事が少し不思議に思えるくらい、親しみが飽和している。
気にしない。気にならない。
そんな日常に、日々キュンとする。

2/2/2025, 1:30:39 PM

隠された手紙。

隠された事に意味を持たせている文章がある。誰か一人だけにしか伝わらない手紙がある。
私は最近本を読まない。嫌いでも、苦手でも、読みたくない訳でもない。ただ、少し面倒と、ただそれだけの事。テレビを観たり、ネットを見たり、暇を潰す時間は山ほど設けるのに、本を開くという行為がこれ程面倒に感じてしまうのも、1つの病とすら感じる。
僕は子供になり切れない。歳をとり、只々無常になっていくこの生活に、輝きとやらを与えられるのは、子供のような感性だと思う。面白い、楽しい、美味しい、嬉しい。素直に表に出せる程、無邪気でも世間知らずでも無くなってしまった自分に、鬱々とした何かを感じる。
文面に起こす、その行為自体はもの凄く簡単なモノだ。今は紙とペンを用意しなくとも、文字を記録し発信する事が出来る時代。
とてもとても簡単な事なのだ。
でも、誰か一人に向けた想いを、文字にしたため贈るのは、何故だかとても緊張する。
何が違って、何が変わるのか。
手紙という媒体に、縋り付く想いでもあるのか。

1/20/2025, 2:07:38 PM

明日に向かって歩く、でも、

ただ毎日歩けている。止まらず止められず生きている。
息をするだけで、水を飲むだけで、睡眠を取るだけで、まだ生きていられる。幸い、その全てを奪われるような状況下に、直ぐに陥る可能性が無い。この事に感謝と感動を覚えられる感覚を、持ち合わせていたいと思う。
私はいつもお風呂につかる。シャワーだけで済まさず、お湯に浸かる。血行が良くなるし、思考の循環が良くなるから、とても有意義だと思っている。
僕はお風呂が嫌いだ。ただただ過ごした一日にさえ、付きまとってくるストーカー。こんなに面倒なのに、自分から歩み寄らないといけない。とても厄介で、嫌いな隣人。
明日を迎えるために、今日に区切りを付ける。それすらたぶん、明日に向かって歩いていると、そういう事になるんだと思う。
けど、別にいつものソレを踏まなくたって、明日にはなっている。
地に足つけてとか、1歩ずつ踏みしめてとかじゃなく、身を任せて浮遊してもいいはずだ。
でも、明日に乗ってみるでも。

12/9/2024, 4:02:38 PM

手を繋いで。

手を繋いで、また繋いで。繰り返す度に〝輪〟が広がるってさ。
私は声を出せなかった。思ったし、考えたし、初動と計画は完ぺきだった。だけど、ただ声が出なかった。友達を100人作りたいなんて思わないし、1人だけの親友を恥ずかしがったりしない。
僕の手は少し短かった。ぽっちゃりで、チビで、いじられキャラ。そんな自分が憎くても、愛さないといけない現実。まだ僕には重すぎる課題で、大きすぎる問題だった。
自分と他人の 意見の乖離なんてモノは、無い方がオカシイくらいに、当たり前のもの。
自分の思考がいくらマイノリティでも、多数に合わせれば友達が出来る。だから、順応する。
でもそれで、空気は軽くなり、息が楽になるのか。
少数意見を無げにする事が前提なら、多数に見えるソレは、その生物の本質なのだろうか。
今まで幾度も手を繋いで、群れてきた人類が、徐々にその繋ぐ手の無機質さに気づいてきている。
手を繋いで、顔を見て笑おう。
ここまでして、やっと、人が繋がる。

12/2/2024, 4:20:16 PM

光と闇の狭間で。

光が見えるのは風が吹くおかげ。闇が増えるのは嵐を望むせい。なら狭間と信じ込むこの場所は、そんなに都合のいい実家なのだろうか。
僕は思っていた。狼はひとりで寂しくて、豚さんにちょっかいを掛けたのかなって。生存競争とか本能とか、今日日騒がれる欲求の善し悪しを知らなかったあの日の僕は、ただ単純に自分と重ねた。
私は涙を流した。ヘラヘラ笑って躱して、足元を見ないようにしている日々では無く、感動モノとか言って括られる映画のワンシーンでも無い。テレビで流れてきたオリンピックの映像で、一発だった。
都合のいいモノは大切なものになり、悪いものは排除の対象になる。一度認められなくなった価値観とか種別を、全て悪と決めつけてしまう。
そこには会話も、対話も無い。
曇り空は嫌いだ。晴れやかに綺麗にして、全ての人と共有したい。共有出来ないモノ達は、もはや死んでも構わない。
光を望むこと、闇を選ぶこと。
天候を操る事ができない様に、これを求め、憂うのはやめた方が良い。
どちらを超えても愛せる者が居る所。そこがきっと狭間で、最後の崖なのだ。

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