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12/9/2024, 4:02:38 PM

手を繋いで。

手を繋いで、また繋いで。繰り返す度に〝輪〟が広がるってさ。
私は声を出せなかった。思ったし、考えたし、初動と計画は完ぺきだった。だけど、ただ声が出なかった。友達を100人作りたいなんて思わないし、1人だけの親友を恥ずかしがったりしない。
僕の手は少し短かった。ぽっちゃりで、チビで、いじられキャラ。そんな自分が憎くても、愛さないといけない現実。まだ僕には重すぎる課題で、大きすぎる問題だった。
自分と他人の 意見の乖離なんてモノは、無い方がオカシイくらいに、当たり前のもの。
自分の思考がいくらマイノリティでも、多数に合わせれば友達が出来る。だから、順応する。
でもそれで、空気は軽くなり、息が楽になるのか。
少数意見を無げにする事が前提なら、多数に見えるソレは、その生物の本質なのだろうか。
今まで幾度も手を繋いで、群れてきた人類が、徐々にその繋ぐ手の無機質さに気づいてきている。
手を繋いで、顔を見て笑おう。
ここまでして、やっと、人が繋がる。

12/2/2024, 4:20:16 PM

光と闇の狭間で。

光が見えるのは風が吹くおかげ。闇が増えるのは嵐を望むせい。なら狭間と信じ込むこの場所は、そんなに都合のいい実家なのだろうか。
僕は思っていた。狼はひとりで寂しくて、豚さんにちょっかいを掛けたのかなって。生存競争とか本能とか、今日日騒がれる欲求の善し悪しを知らなかったあの日の僕は、ただ単純に自分と重ねた。
私は涙を流した。ヘラヘラ笑って躱して、足元を見ないようにしている日々では無く、感動モノとか言って括られる映画のワンシーンでも無い。テレビで流れてきたオリンピックの映像で、一発だった。
都合のいいモノは大切なものになり、悪いものは排除の対象になる。一度認められなくなった価値観とか種別を、全て悪と決めつけてしまう。
そこには会話も、対話も無い。
曇り空は嫌いだ。晴れやかに綺麗にして、全ての人と共有したい。共有出来ないモノ達は、もはや死んでも構わない。
光を望むこと、闇を選ぶこと。
天候を操る事ができない様に、これを求め、憂うのはやめた方が良い。
どちらを超えても愛せる者が居る所。そこがきっと狭間で、最後の崖なのだ。

11/26/2024, 2:57:22 PM

微熱。

多分もう、随分前から続いていたんだと思う。
僕はただ毎日をおもしろ楽しく生きている。辛いこともあるし、嫌な人も居るけど、自分が影響できる範囲の生活。何か大きな渦に巻かれていても、自分に被害が無いと気づきすら出来ない微熱。
私はただ眺めている。羅列される文章や考えや言葉。偏見なのか一般論なのか、常識なのか無知なのか。広げられるテーブルに向き合った途端に、目を背けたくなるような敵意と、過保護に防衛する保護者が前へ出る。
日々に疲れた時だけ、その微熱に当てられた様に見える。歪んだ空間と抜けていく足場、争う人間と嘲笑う人間、無に徹する空間。
この文章を書く今こそが、少し微熱を含んだ瞬間なのかもしれない。
辛い。休みたい。好きにしたい。
好きも分からなくなった今の自分で、正解とか正しいとかいう大層なモノは見つかりっこない。
だから、微熱なんて気にしない方が良い。
それが賢いのだとも思う。
でも、それでも、どんなに関係の無い微熱でも、それを風邪として治す方法を探してみたいと思った。

11/3/2024, 3:20:57 PM

鏡の中の自分。

節目ってやつがある。きっかけとか、区切りとか、境目とも言う。鏡に映る自分を見て、そうならなきゃなって感じるのは、いつも決まってそういう日。
私は、女である自分が嫌いだった。隣の芝生は青いとばかりに、男性という形と色と態度と立場と、他にも沢山のものに嫉妬した。
僕は、自分をどうしても認めることが出来なかった。思うような成果や、力や、感情を得られず、燻っていくだけの日々。これ以上無いという位の、拷問にも思えた。
自分の特徴が、自分を呼称する要素の一つが、親に決められた名前が、基準とされる正解が嫌で、嫌でイヤでいやで、仕方なかった。
これは、思春期って奴なのだろうか。そんな一言に収めていいシロモノなのだろうか。
自分の意思の成長を、芳しくも喜ばしくも思いながら、それでも逆らいたいと願ってしまう。
やりたい事がある。見たい世界と未来がある。
叶える夢を見るくらいには、環境も用意がある。
あとは、決意の継続と、努力とかいう果てしない劇物だけ。
一度違えた道だけど、願うのは自由だ。
持つもの持って、鏡へ向かおう。

11/2/2024, 1:42:17 AM

永遠に。

永遠のゼロ。一生を百として、永遠になってしまった人は、ゼロになってしまうのか。
変わらない世界は無いよって、虐められる私にあなたは言う。変わろうとする努力やら決意やら力が足りなくて、ただ自分の守るのはナンセンスだと笑う。
いつも呟く僕に、意味無いよって笑う君。その意味を持たない媒体が、だんだん民意みたいに思えてきて、思考力やら感情やらを包まれてしまったのは、いったい誰だっただろう。
永遠に変わらない事なんて、確かに無い。
でも、永遠に、良い方に、前向きに、夢の様に、子供の様に、無垢に、稚拙に変わっていくなんて、所詮大人の妄想でしかない。今を気に入らない人達が、幾ら現状を嘆いたって、声を出したって、伝える相手を間違えていたらどうしようもない。
そりゃ楽しいよな。好き勝手、身勝手でも、降り掛かる罵倒の相手は虚像の自分なんだから。
楽に生きたい。楽に生きよう。
でも、自由と無法の違いに気づいているか。
永遠に。
この世にまだ残りたいのならば、顔を上に。

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