遠い約束。
ありのままと言う解釈に、疑問と祝福を贈りたい。
私が犯した些細な罪は、もう既に終わった遠い過去でしかない。それが受け入れられない限りは、永遠に続くしがらみとも言える。後悔は自分の中にあり続けるが、それは他人に影響を与える理由にはならない。
僕が信じた未来は、もう来ないらしい。順風満帆な人生も、争いの無い人生も、苦しみを笑えない人生も、何も求める事は出来ないらしい。事実を羅列しても、理想を計算しても、得られないという未来は変えられない。
このままを愛する事が出来ない性分を、自分が持っていないと理解している。
ただ生きている事に楽しみを覚え、その日のうちに無価値に感じるこの性分を、一生愛していきたいと思う。
自分に課した約束を、自分が壊すことに生きがいを感じる。
遠くにあるものが、近くに寄り続ける度に、約束の瓦解を感じる。
これが、自分と認められるか。
認める事を、永遠の決意としたい。
ひらり。
擬音の美しさに、心打たれる日もある。
私はいつも布団で寝る。家に帰り、お風呂に入り、布団に入る。その過程で様々な欲望に足を取られつつ、最終的にたんたんと布団に入る。飛び込む訳でも、気絶する訳でもない。ただ、たんたんと、確実に定位置へ還る。
僕は朝起きると電気を付ける。朝日も昇っているし、特段暗いわけではない。でも、電灯に明かりを灯す事で、朝だと認識する。ぴかぴかと光る電灯は少し目に障るが、一日の始まりを感じる為には不可欠なものだ。
ただ、毎日起きて、寝て、起きて、寝る。その全ての行動を、少しの努力で擬音にする事かできる。
ふらり、ころり、とろり、はらり、ひらり。
なんだか心地の良い音の数々。
どくどく、ぽつぽつ、ゆらゆら、ぼきぼき。
なんだか癖になる音と感じられる。
全て受け入れている事が少し不思議に思えるくらい、親しみが飽和している。
気にしない。気にならない。
そんな日常に、日々キュンとする。
隠された手紙。
隠された事に意味を持たせている文章がある。誰か一人だけにしか伝わらない手紙がある。
私は最近本を読まない。嫌いでも、苦手でも、読みたくない訳でもない。ただ、少し面倒と、ただそれだけの事。テレビを観たり、ネットを見たり、暇を潰す時間は山ほど設けるのに、本を開くという行為がこれ程面倒に感じてしまうのも、1つの病とすら感じる。
僕は子供になり切れない。歳をとり、只々無常になっていくこの生活に、輝きとやらを与えられるのは、子供のような感性だと思う。面白い、楽しい、美味しい、嬉しい。素直に表に出せる程、無邪気でも世間知らずでも無くなってしまった自分に、鬱々とした何かを感じる。
文面に起こす、その行為自体はもの凄く簡単なモノだ。今は紙とペンを用意しなくとも、文字を記録し発信する事が出来る時代。
とてもとても簡単な事なのだ。
でも、誰か一人に向けた想いを、文字にしたため贈るのは、何故だかとても緊張する。
何が違って、何が変わるのか。
手紙という媒体に、縋り付く想いでもあるのか。
明日に向かって歩く、でも、
ただ毎日歩けている。止まらず止められず生きている。
息をするだけで、水を飲むだけで、睡眠を取るだけで、まだ生きていられる。幸い、その全てを奪われるような状況下に、直ぐに陥る可能性が無い。この事に感謝と感動を覚えられる感覚を、持ち合わせていたいと思う。
私はいつもお風呂につかる。シャワーだけで済まさず、お湯に浸かる。血行が良くなるし、思考の循環が良くなるから、とても有意義だと思っている。
僕はお風呂が嫌いだ。ただただ過ごした一日にさえ、付きまとってくるストーカー。こんなに面倒なのに、自分から歩み寄らないといけない。とても厄介で、嫌いな隣人。
明日を迎えるために、今日に区切りを付ける。それすらたぶん、明日に向かって歩いていると、そういう事になるんだと思う。
けど、別にいつものソレを踏まなくたって、明日にはなっている。
地に足つけてとか、1歩ずつ踏みしめてとかじゃなく、身を任せて浮遊してもいいはずだ。
でも、明日に乗ってみるでも。
手を繋いで。
手を繋いで、また繋いで。繰り返す度に〝輪〟が広がるってさ。
私は声を出せなかった。思ったし、考えたし、初動と計画は完ぺきだった。だけど、ただ声が出なかった。友達を100人作りたいなんて思わないし、1人だけの親友を恥ずかしがったりしない。
僕の手は少し短かった。ぽっちゃりで、チビで、いじられキャラ。そんな自分が憎くても、愛さないといけない現実。まだ僕には重すぎる課題で、大きすぎる問題だった。
自分と他人の 意見の乖離なんてモノは、無い方がオカシイくらいに、当たり前のもの。
自分の思考がいくらマイノリティでも、多数に合わせれば友達が出来る。だから、順応する。
でもそれで、空気は軽くなり、息が楽になるのか。
少数意見を無げにする事が前提なら、多数に見えるソレは、その生物の本質なのだろうか。
今まで幾度も手を繋いで、群れてきた人類が、徐々にその繋ぐ手の無機質さに気づいてきている。
手を繋いで、顔を見て笑おう。
ここまでして、やっと、人が繋がる。