一つだけ。
一つってのは難しい。どうしても膨らんで、頭の中を這っている後悔を挙げるなら、納まりようのない数値だと思うから。
僕は後悔している。あの時、あの時分に、あんな事を考えて、流されて、心に置いて、声を上げてしまった自分に、今も後悔と猛省と失笑が止まない。
私は船の底をコレと言わんばかりに這いずって、海面へ逃げたい思いを許さない自分と、ただただ恥ずかしさと怒りを寄せる頭の中で、白旗を押し付けあっている。
ああ、あんな事を言わなければ、声に出していれば、考えなければ、考えていれば、感情を持たなければ、感情を読み取っていれば、表裏の全てを後悔として持ち続ける現在に巡ってはいなかったかもしれない。
口は災いの元、ひねくれるな、教訓を持て、人には優しくしろ、謝れる人になれ、これは誰かを慮った教えでは無いんだと思う。
これは自分を守る為の合言葉と、ただ一つ誓う。
謝りたい。
月夜。
この寒い時期に訪れるふとした温かさ。その一瞬から叩き出された瞬間の満月は、刺すように輝いていた。
毎日続く仕事に、学校に、休日に、現実。あと少しの辛抱さえ難しいと思えるほど、切羽詰まっている今日は、後どのくらいで終わるだろう。早く家に帰って、布団をかぶり、一人だけの世界で自分を隠したいと、本当に毎日考えている。
分かっている。明日は、久しぶりに会う友達とのデートだし、前から興味のあった小旅行、普段行かない図書館に行ったり、気持ちよく晴れた空とのピクニックが待っている。そんな明るく楽しげで満ち足りるような明日に、なんの感情も揺さぶられなくなったのは、いつからだろうか。
僕の壁掛けカレンダーは空っぽだ。誰かとの予定なんて、向こうから自ずとやって来る事は、まず無い。それでも良いはずなのだ。
寒々とした思考を巡らせては打ち消して、打ち消しきれずに打ち砕かれる。このふとした時間につい、寒さを求めて窓を開けてしまう。
月は綺麗だ。雲などない、カンペキな満月。
ただ、今はただ、そこにいる事に嫉妬する。
欲望。
怠惰に過ごしたいって、いつも思っている。できるだけ楽な様に、自分だけでも得をしたい。
私はいつも感じている。楽をするのってとても気持ちがいいって。一瞬の背徳感でも、数秒の娯楽でも、例えしっぺ返しにあったとしても、欲の満ちる気持ちの良いことが続けばいいって思ってる。君の歪んだ表情も、怒った声も、呆れた目線も、吐かれた罵倒も、軽蔑の目だって気にならないくらいには、図太い神経を持っているんだと思う。いや、持つしか無かったんだと思う。
自分の欲が見えるってのは面白くて、あなたの欲だって見えてしまう。今は楽をしたい時、今は優しくされたい時、今は黙って欲しい時、今は話したい時。あなたの感情は丸見えで、画面に吹き出しが浮かぶかのように鮮明な望みが湧いている。
私の欲望を叶えるより、君の欲望を叶えよう。その方が円滑で順調で円満な道を辿って、関係を構築できるから。
その代わり、私の欲望には蓋をかけよう。あなたにみせてしまう前に。そうやって生きていると、段々と欲望なんて分からなくなってくる。
欲望が欲しい。この欲には替え難い願望が、頭の中をいつも駆け巡っている。
列車に乗って。
旅に出たい時ってある。異国の地に赴き、思うままに流れて、未知の体験をしてみたい。
僕は時々、沈む様に寝る時がある。それは、疲れている時だったり、ストレスが溜まってたり、ただ単に眠い時なのかもしれない。そして、決まって妄想する。自分には無い完璧な妄想。理想。
私はいつも悩みを解決できずに、クヨクヨと起き上がっては転びに行く。あれ程誓った警告を、いとも簡単というように飛び越え、忘却したままに失言をする。あぁまた言ってしまった。思い描いた自分なんて、産まれてこの方会った事がない。
いっそ旅に出て、生まれ変わって、一から初めてみようじゃないかと、思わなくもない。
言葉の伝わらない、食も違う、服装も習慣も、礼儀作法なんてのもまるっきり違う場所。全く違う世界へ行って、自分は何がしたいのか。
少し、ほんの少し、思ってたのと違う。たったこれだけ、本当にちょっと違うだけで、もう別世界だって思う時もあるのに。
歪みがあればそれだけ躓く。その溝に、谷に、海峡に。でも時たま、そこに橋をかけて、電線を通し、列車を走らせ、そして乗車を試みる。
案外それだけで、国境だって越えられてしまう。
それにまだ、この勇気だけは落としていない。
遠くの街へ。
今まで見たことの無い、全く想像できない、無限のように広がる世界を夢見たいと、心から望むことがある。
私はこの1年、知らない場所、知らない人、行った事ないお店、知らない方言、寒さに暑さ、孤独に、四六時中共に過ごす仕事仲間、新しい人間関係に出会ってきた。あなたはそれを大変だと言うけれど、私にとっては只々興味のままに流れれば良いとこでしか無かった。
僕は今まで過ごしてきたこの街で、人を大切にして、仕事を大切にして、親も自分も兄弟も大切にして歩いた。見知ったあのスーパーも、あの道も、あの寒さも暑さも全て変わらない。君はそれを退屈と言うし、不変的で望ましいとも言う。
このまま、生きていていいのか。時々、ふとそう考える度に、不安になる。何も成していない自分に、自分は価値を感じられているのか。
遠くの街に、気の向くままに訪れるのは、案外簡単なのかもしれない。
同時に、見知ったあの街を思い出し少し寂しくなるのも、当然の感情なのだろう。