ぼたん丸

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11/20/2023, 1:27:54 PM

「捨てちゃうの?」

あどけない声に振り返れば、そこには幼い自分。
目の前のもの全てに目を輝かせて、好きなものを小さな腕いっぱいに抱え込んでいた頃の、無垢な子供。
薄汚い心も世の中の理不尽も、何も知らなかった頃の、馬鹿な、子供。

「捨てるよ。」

幼い自分から目を背けて、手にしていたものをゴミ袋に放り込む。

「もういらないから。」

ずっと集めていたキャラクターのカード、キラキラしたガラスの破片、何が描いてあるのかもわからない絵、友人に貰った手紙、まぁるいビー玉、ボロボロのぬいぐるみ。
全部全部、大切に仕舞っておいたものばかり。

「大切なものじゃないの?」
「……大切だよ。」

好きだから集めて、大切だから仕舞っておいた。
誰に見せるでもない、自慢するでもない。
ただ、自分の手の中にあるのが嬉しかった。

「でも、捨てないと。」

日記帳をゴミ袋に押し込む。
拙い字で綴られた頁が、ぐしゃりとシワを作った。

「捨てないと、『大人』になれないんだよ。」
「……ふぅん。」

幼い自分が、ゴミ袋の中を覗き込んだ。
せっかく捨てた色んなものを、また引っ張り出しては眺めている。

「変なの。大切なもの捨てなきゃいけないなら、僕大人になんなくていいよ。」
「……なんなきゃいけないんだよ、大人に。」

幾ら望んでいなくとも、否応なしに時間は進んでいく。
子供のままでいたいと願っても、社会はそれを許容しない。
そうして皆、子供の頃の大切なものに蓋をして、ゴミ袋に放り込んで、全部捨て去って大人になるのだ。
それが、社会の『当たり前』なのだから。

「ねぇ、捨てるなら僕にちょうだい。」
「……ぇ、」

幼い自分が取り出した、ほつれたクマのぬいぐるみ。
いつ貰ったのかもわからない、大切なもの。
本当に、大切だったもの。

「だって、いらないんでしょ?なら、僕がもらってもいいよね?」
「ぇ、あ、まって、」

色んなものを詰め込んだゴミ袋を、幼い自分が持ち上げる。
半透明の袋の中は、きらきらと色鮮やかに輝いている。

「捨てるんなら、僕がもらうよ。じゃあね。」

きらきら、きらきら。
幼い自分が持ち去っていくゴミ袋から、光がこぼれ落ちて尾を引いた。
光はどんどん遠くなり、小さくなっていく。

「待って!!」

伸ばした手は届かずに、光は闇に呑まれて消える。
後に残ったのは、空っぽな心だけ。

「……まって。」

本当に、大切だったんだよ。


[宝物]

11/19/2023, 3:42:31 PM

火を灯す。
床も壁も、隙間が無いほどに敷き詰められたキャンドルに。
一つ一つ、小さな生命の火を灯す。

君はそれを、一つずつ消していく。
僕が灯したキャンドルを、乱暴に、握り潰すように。
僕が火を灯す度に君が消していくから、いつまで経ってもキャンドルはいっぱいにならない。

「どうして消すの。」

僕は尋ねた。
せっかく灯した生命の火なのに、どうしてそれを消してしまうのか。
君は、小さな火で酷い火傷になった手のひらを僕に見せた。

「少し触っただけで、こうなる。」
「だったら、消さないで。」
「できない。だって、」

君は、火傷した手で僕の手を指さした。

「お前は、自分の手が燃えてることに気づいてない。」

言われてやっと、気がついた。
キャンドルに生命の火を灯すたびに、僕の手にも火がついていたこと。
増えすぎたキャンドルが、僕自身を焼いていたこと。
今までずっと気がつかなかつた。

「キャンドルが、増えすぎた。お前の手まで燃えるほど。」

キャンドルは、小さな灯りをちろちろと揺らしている。
今まで大切に守ってきた灯りが、急に冷たく、重いものに感じた。

「だから、減らさないと。」

君は笑って、キャンドルを一つ踏み砕いた。


***

そうして、全世界に拡散した一つの感染症によって、多くのキャンドルの灯りが消えた。


[キャンドル]

11/18/2023, 11:56:22 AM

全部全部、連れていこう。
鞄に詰めて、ポケットに押し込んで、両の腕にも山ほど抱えて。

どれもこれも、捨てることができなかった。
片付けようとはしてみたけれど、どうにも手が止まってしまった。
片付けられないのなら、いっそ全部持っていこう。
無くさないように、落とさないように、忘れないように。

途中でいくつか転がっていくかもしれない。
僕はそれに気づかないかもしれない。
ころころ、ぽろぽろ、置いていかれてしまうかもしれない。

そんな時は、貴方が拾い上げてほしい。
返してくれようとしなくて構わない、僕は貴方の足を止めたくないから。
思い出そうとしてくれなくて構わない、僕は貴方の心を煩わせたくないから。

ただそっと拾い上げて、落としていったよ、莫迦な奴と笑っていてほしい。
そうしてどうか、心の隅に置いておいてほしい。
貴方にとっては、ただの過去の記憶かもしれない。
けれど僕にとっては、何よりも輝いて見える宝物だから。

いつかこの日が来ることは、出会ったときにわかっていた。
僕と貴方では、時間の流れが違うから。
僕は貴方に笑っていてほしい。
たとえそれが、顔をぐしゃぐしゃにした泣き笑いだったとしても。

ねぇ、僕の声が聞こえますか。
きっと貴方に僕の言葉は通じていないけれど、それでも僕は伝えたい。
貴方に出会えてよかった。
僕は世界で一番の幸せ者でした。

さぁ、もう行かなくちゃ。
止まることはできないから、全速力で走っていこう。
たくさんたくさんの宝物を、みんなみんな持っていこう。
走り出す前に、これだけは言わせてください。

「さよなら!!」

もう、僕は一人で大丈夫。

***

―――わんっ!!

あぁ、ちゃんと聞こえたよ。
お前の声は、届いているから。

「……さよなら。」

また会う時は、空の上で。


[たくさんの思い出]

11/16/2023, 3:36:30 PM

「ばいばい。」

君がこの言葉を使う時は、僕の前からいなくなる時。
通学路の別れ道で、偶然会った外出先で、はたまた電話の切り際で。
君の口がその四文字を紡げば、君と僕の距離は遠くなる。
それでもいつも、「ばいばい」の次には「またね」があった。
そうすれば、君はまた僕の前に現れる。
「ばいばい」は、僕に次の機会を与えてくれる呪文でもあった。
けれどもう、「またね」はない。

思えばいつも、「ばいばい」と言うのは君からだった。
僕は君と過ごす時間が過ぎ去ってしまうのが惜しくて、言い出せないでいた。
君は困ったように眉を下げて、鈴の転がるような声で、僕に別れを告げた。
僕は、また次があるからと、安心してそれを聞いていた。
「ばいばい」は、一時の別れでしかなかったから。

今度は僕から、言わなければならない。
君はもう二度と、僕に次を与えてはくれない。
その口で別れの言葉を紡ぐこともできない。
だから、僕から君に、最上の別れの言葉を贈ろう。

「……ばいばい。」

白い棺の中、花に埋もれて眠る君へ。
永遠の別れを、四文字の呪文で。


[はなればなれ]

11/15/2023, 12:31:22 PM

みゃおん。

小さな鳴き声に視線を上げれば、塀の上の子猫が此方を見下ろしている。
生まれてから大体二、三ヶ月程度か。
少し汚れた黒い毛並みに、星のように輝く金の瞳。
どうやら野良ではないようで、首に小さな鈴が括られていた。

「……何処の子?逃げてきたの。」

手を伸ばせば、逃げることなく擦り寄ってくる。
指先が鈴に触れて、ちりんと可愛らしい音がした。

「お前の飼い主、きっと探してるよ。」

そう言えば、反論するようにみゃおと鳴く。
苛立ったように首を振るその仕草に、見覚えがあった。

「……お前、あいつに似てる。」

此方の都合はお構いなし、考えなしで強引で、人の人生を散々狂わせて。
それでいて、呆気なく死んでしまったあいつに。
気に入らないことがあると、首を振って文句を言う、猫のようなあいつに。

みゃぁお。

嬉しそうに目を細めて、手の平に顔を擦り付ける姿が、あいつと重なって仕方ない。
あいつはもういないのに。
こんな小さな猫に、死んだ男を重ねて何になる。

「……ねぇ、お前。海行くの、好き?」

訊ねる声が震える。
あいつは海が好きだった。
何処までも、際限なく続く海の広さが好きなのだと。
そう言って笑うあいつが、好きだった。
確かに、好きだったのだ。

にゃあ。

「……ふ、はは。」

ゆらりと子猫の尻尾が揺れる。
思わずこぼれた笑い声、子猫の姿が涙で滲む。

「おまえ、わざわざ、あいにきたの。」

子猫は機嫌良さそうにもう一度、にゃあ、と鳴いた。


[子猫]

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