『どうすればいいの?』
「どうすればいいの?」
子供の頃、私がそう尋ねるとお祖母ちゃんは決まって、
「まずは自分で考えてみようね。」と言った。
両親が共働きで、私は物心のつかない頃から近所に住む父方のお祖母ちゃんの家に預けられていた。
ちょっと知恵のいるおもちゃも。
余り理解出来ていない宿題も。
聞いてもすぐに教えてくれる事はなかった。
まずは自分で考えてみて。
自分でやってみて。
それでも分からなかったら教えてくれたり、一緒に考えてくれた。
そのおかげか、私はどうしたらいいんだろう…?と悩んだり、選択したりする時にまずは自分で考えて、行動する様になった。
これが勉強にはとても役立って、学生時代は上位の成績をキープ出来たし、希望の大学にも進学出来た。
そして就職も決まって、社会人としても順調な人生だった…そう、順調なはずだった。
日々仕事に追われ、朝から晩まで働いていたある日、急にプツンと糸が切れたかの様に私の体は重くなり、仕事へ行けなくなった。
頑張ろうと思っても頑張れない。
どうやら心が疲れてしまったらしい。
私は仕事を辞め、現在無職。
家に居ると肩身が狭く、お祖母ちゃんの家に居候中だ。
毎日、ただただ縁側に座って空をボーっと眺めている。
どうすれば良かったんだろう?
これで良かったの?
これから先私はまた働けるのか…。
このまま何もせずに生きていていいの?
限りなくある時間が私を落ち込ませる日々。
「どうすればいいんだろう…。」
独り言の様に縁側で呟けば、背後で物音がして、お祖母ちゃんがそこに居た事に気づく。
しまった!
『考えなさい。』って言われる…!
厳しい言葉が飛んでくると構えていた私に、
「人は毎日どうしたらいいのかという選択を知らず知らずの内に何万回としているって話があってね。」とお祖母ちゃんが優しく声を発する。
「えっ?」
「今、瑞穂が生きてるって事はその選択で最善を選んできたからだよ。だから今こうしてここにいるのも、いっぱい頭と心と体を使って最善の選択をした証し。ゆっくり休んでから、また一緒に考えればいい。大丈夫よ。」
お祖母ちゃんは静かにそう言って、縁側に座る私の横に腰掛ける。
「うん…。」
ああ、そうか、これで良かったんだ…。
私の為に私は最善を選択した。
心にジンワリとお祖母ちゃんの言葉が沁みて、目の前が涙で歪む。
いつまでも泣き止まない私の隣で、お祖母ちゃんはいつまでも私の背中を撫でてくれていた。
『宝物』
今日、私は決意した。
今まで集めてきたこの同人誌と単行本に別れを告げる事を。
「あかつき先生の…いや、でも、捨てるしかないんだ!」
高校生の頃からファンのあかつき先生の同人誌を涙しながら平積みし、ビニール紐でしばる。
中学生の頃に友達にBL漫画を読ませてもらってハマってしまった沼。
以降、イベントで同人誌を購入したり、本屋で好みの商業誌を物色したり、少しずつ集めてきた。
どの本も大切な一冊であり、宝物だ。
部屋の3分の2を支配するBL漫画達…至福…。
でもこのままじゃダメなのだ。
一般的にこの趣味は受け入れられ難い事は知っている。
だから社会人になってから一般女性の姿形を模倣し、腐女子を隠しつつ会社の中でも過ごしてきた。
このままこっそりひっそり、BL漫画と共に歳を重ねていけばいいと考えていた。
でも出会ってしまったのだ…。
「あ、こんにちは!佐々さん。」
まずは第一弾としばった本を両手に持ち近所のゴミ収集場所へ向かっていると声をかけられた。
「ひ、平岩さん!」
私がBL漫画達とお別れすることを決意した理由の男性。
「佐々さん、この辺りに住まわれているんですね。」
1年前、転職してウチの会社にやってきた平岩さん。
いつも人当たりがよく、物事にもよく気づく彼は仕事も出来て、あっという間に会社に馴染んだ。
会社で一人になりがちな私にも声をかけてくれる。
そんな彼に好意を持つのに時間はかからなかった。
そしてなぜか全く疑問で仕方がないのだけれど、平岩さんに「付き合ってもらえませんか?」と数ヶ月前に言われたばかり。
嬉しくて発狂ものだったが、付き合い始めて1か月後、「今度お家にお邪魔してもいいですか?」の言葉に心臓が凍りつきそうになった。
ウチには私にとっては宝物だが、一般的には受けが悪いであろう漫画たちがいる。
家へお招きする為に、そしてやましい気持ちなく彼とお付き合いする為に私は決意した訳だ。
「佐々さん、その本って…。」
ヤバい!バレる!!
平岩さんに手元の本を指さされて、私は慌てて自分の背後に本を隠す。
「こ、これはですね、処分しようと思って。」
「捨てちゃうんですか、僕の描いた本…。」
「……。」
一瞬何を言われているのか理解が出来なかった。
「それ、僕の描いた漫画です。正確には姉が原作で、絵を描かされていて…。」
「えっ!?ひ、ひら、平岩さん、あか、あかつき先生…えっ?えっと…エエッ!?」
平岩さんと手に持っているしばられた本たちを交互に見ながら私は叫ぶ。
「イベントブースには姉が出ていて、僕は時々客側として、こっそり売れ行き見に行ってたりしてたんですけど…転職した会社で新刊出す度に購入してくれていた人がいて驚きました。」
「し、知ってらっしゃった!?」
黒歴史を抹消しようと試みていたのに、すでに知られていたとは…。
「一度、姉に『あかつき先生の漫画は私の宝物です!』って言ってる佐々さんを見たことがあって、すごく嬉しくて…。」
照れた様に笑う平岩さんを呆然と見つめる。
「でも本…捨てちゃうって事はもう宝物じゃなくなりました?」
眉を下げ、少し悲しそうな表情で平岩さんが聞いてくる。
「ち、違うんです!これは一般市民の平岩さんに知られてはいけないと思ってっ!捨てません!ずっとずっと私の宝物です!!」
「一般市民って…。」
クツクツと笑いながら平岩さんが私の言葉に反応する。
「大丈夫です。姉のおかげで一般市民より知識と理解はあると思います。佐々さんのその趣味含めて僕が好きになった佐々さんです。」
平岩さんがニコリと微笑んで言った。
その後、私の部屋には刷り上がったばかりのあかつき先生の同人誌が並べられるようになった。
『キャンドル』
「ただいまより新郎新婦のお二人が、熱い愛の炎がともったトーチをもってキャンドルサービスに皆様のテーブルを回ります。」
結婚式の司会者の言葉で、会場が暗くなる。
友人である新婦の茜と新郎の大木先輩がスポットライトを浴びながらこちらへ歩いてくる。
茜と大木先輩とは高校で知り合った。
大木先輩はサッカー部のキャプテンで、私と茜はマネージャー。
茜とは同じクラスで、そもそもサッカー部のマネージャーを一緒にしようよ!と誘ってくれたのも茜だ。
私とは正反対の性格で明るくて活発で行動力もある茜。
『大木先輩が好き。』
彼女にそう教えてもらった時、私は「そーなんだ…応援してるね!」と言うのがやっとだった。
大木先輩に話しかける姿とか、
大木先輩を追う視線とか、
茜は恋する女の子だった。
それから茜は大木先輩に積極的にアプローチして、付き合う事になったのは私達が高2の秋。
そして今日6年の交際を実らせ、結婚式を迎えた。
「今日はありがと!」
私達高校サッカー部の仲良かったメンバーのテーブルのキャンドルに灯を点す二人。
あかりをゲストテーブルに灯していくキャンドルサービスは、「みなさまに幸福が訪れますように」と願いを込め、感謝の気持ちをゲストに伝える意味があるらしい。
「茜、キレイ…おめでとう。」
「遥、ありがとう!」
スポットライトの明かりに照らされてキラキラした茜の笑顔が眩しい。
茜と大木先輩は一礼して、次のテーブルへと背を向けて歩いていく。
…大好きだったよ、茜。
これからもずっと、幸せでいてね。
私はキャンドルの灯を見ながら、叶うことのない自分の恋とお別れをした。
『たくさんの思い出』
体育館から微かに聞こえてくる子ども達の校歌を歌う声とピアノ。
校歌を聞くのも今日が最後。
少子化の影響で、町内にある4校の小学校が4月から合併し、1つになる。
この学校は合併した後、廃校となる予定。
もしかしたら地域でなんらかの形で利用出来るように市長さんや市議会議員さんが働きかけてくれるかもしれないけれど、おそらく子ども達の笑い声を毎日聞くことは出来なくなる。
時には煩いわね…と思ったこともあった。
けれど、やっぱり児童達は可愛い。
ここには熱があったり、頭が痛かったり、お腹が痛かったり…そんな子ども達がよく訪れた。
時々鼻血が出た、怪我をした…なんて子も来たなぁ。
保護者さんが迎えに来るまで、ベッドで横になってもらってもらうこともあった。
時代が変わっていくにつれて、体の不調だけでなく、心が不調でこの場所で休んでいく子も増えた。
どちらにしても元気のない子ども達を見ているのは悲しいものだ。
よく熱を出していたタケルくん。
教室にたくさんいると心が辛くなってしまうキヨカちゃん。
わんぱくでケガの多いフミくん。
皆、新しい学校へ行ったら大丈夫かしら?
どうか健やかでありますように。
「失礼しまーす…。」
あらあら、キヨカちゃん。
体育館で苦しくなっちゃった?
ここのイスに座って休んで。
大丈夫よ、新しい学校の保健室にもキヨカちゃんの事伝えてあるから。
私がキヨカちゃんを迎えられるのも今日が最後だけど…寂しいけど…そうね、うん、もし地域利用されて機会があったら遊びに来てちょうだい。
子ども達とのたくさんの思い出をありがとう。
今日私は学校の保健室という役目を終える。
『冬になったら』
子どもの頃は冬になったら雪が降って雪遊びが出来るから冬が好きだった。
でも大人になった今は、雪が積もると雪掻きしなきゃ…と思うから余り冬が好きじゃない。
太平洋側か日本海側かと言われると若干日本海側寄りの私の住む町は、山間部な事もあって多い時では1メートル以上の雪が積もる。
だからこの町の子ども達は当たり前の様にスキーウェアを持っていて、雪が積もるとどんなに寒かろうがウェアを着て外へくり出す。
私も子どもの頃は、姉や隣の兄弟と一緒によく雪遊びをした。
「和弥!庭から出ちゃ駄目だよ!」
「うん!」
興奮気味に返事をして、私の横を甥の和弥が雪玉を転がしながら通り過ぎていく。
年末年始、結婚して県外に住む姉が帰省していて、私は今、甥の雪遊びを見守りながら雪掻きをしている。
雪が滅多に降らない土地に住む甥っ子は雪が相当嬉しいらしく、雪だるまを作るんだ!とウェアに身を包み、走り回る。
無邪気だなぁ…子どもは。
そんな事を思いながら雪掻きを進めていると、
「手伝おうか?」
と声を掛けられた。
「うわっ!ビックリした。高志か…。」
隣の家の高志がスノーダンプを持ってウチの庭に入ってきた。
「いいの?助かる。」
「おう。」
隣の家の高志は子どもの頃雪遊びも一緒にしていた幼なじみであり、同級生でもある。
大人になった今でも会えば話すし、見つければ声をかける、そんな仲だ。
「そーいえば、秋に植付した白菜どうなった?」
「おう、あれなかなかよく育ったぞ。雪の下になる前に収穫して保存した。」
お互い雪掻きをしながら、秋に高志が畑作業をしていた時の事を話題に出す。
まだ若いけれど畑作業が好きらしい高志は弱ってきた高志の祖父に代わり、昨年から敷地内の畑で野菜を育てている。
秋に畑にいる高志の姿を見つけて、絡みに行った時に白菜の植付けをしていたのだ。
あの時、私は長年付き合った彼氏と別れたばかりだった。
クリスマスも初詣も、冬の予定がなくなったと自虐的に高志に話したのだ。
『冬になったら、この白菜で一緒に鍋でもするか。』
高志にとってはなんでもない一言だったのかもしれない。
ただ私はこの冬を白菜と鍋を楽しみに迎える事が出来た。
たったそれだけだったけれど救われたのだ。
「あ、そうだ。萌、今日の雪掻きの祝いに今夜一緒に俺の白菜で鍋するか!」
スノーダンプを片手に、私の方を向いて満面の笑みの高志。
祝いって!誘い方下手くそか!
と心の中で突っ込んで、「いいよ!」と私も満面の笑みで返事をする。
私が少しドキドキしている事は秘密にしておう。