「ふしぎ、……なんでだろう」
病院のベッドの上、ぼんやりと天井を眺めていた君が口を開く。
「いつ死んでもいいって、ずっと、思ってた」
点滴の落ちていく音が聞こえる程、静かな病室で私は君が再び何か言うのを静かに待った。
「でもさっき、あの時ね、「死にたくないな」って」
包帯をグルグル巻きにされた君の右手が、暫しシーツの上を彷徨ってから、緩慢と持ち上げられていき、煌々とした天井の照明を翳す。
「「生きたい」って思ったんだ」
力尽きて落ちきる前に、君の手を掴みとって、両の掌で優しく握りしめた。
まるで縋るように。
「死なれては困りますよ、……今夜のディナーのキャンセル料、そっち持ちですからね」
置いてかないで、独りにしないで。
そんな思いをひた隠すように微笑んで、君の包帯塗れの右手に額を寄せた。
テーマ「あなたがいたから」
雲一つない青空を見上げていると、無数の白い玉がピュンピュンと飛び交っているのが見える。
ブルーフィールド内視現象というらしい。
青空の妖精とも呼ばれている。
なんだ、幽霊とか魂とかじゃないのか。
ちょっとガッカリ。
でも、妖精かあ、なんてメルヘンな名前。
ヒリヒリする目をギュッと瞑ってから、真っ青な空をヒラヒラ舞っている妖精を振り仰ぐ。
テーマ「落下」
我が家を十数年間支えてくれていた洗濯機が故障した。
どうやらモーター付近がイカれてしまったらしい。
水で満たされた洗濯槽は一ミリも動かず、内部からキイキイと金属が擦れるような音がした。
慌てて近所の電器屋に連絡すると、今日の午後に見に来てくれるという。
運が良い。
……いや、洗濯槽が壊れてるから良くはないか。
ジュボボ、と少しずつ水位の低下していく洗濯槽に手を突っ込んで、洗剤で滑る洗濯物を一つずつ捕まえ。
ビチョビチョの衣類を詰めたランドリーバッグを手にして、自宅近くのコインランドリーまで急な坂道を歩いていく。
テーマ「未来」
何時ぞや私を嵌めたタヌキが車に轢かれて死んでいた。
目が痛くなりそうな青白い街灯の下、黒い毛で覆われた細い四肢を突っ張らせて。
愚かなやつだ。
アスファルトの上に血反吐を吐き散らし息絶えたタヌキの目を覗き込む。
「私達のように生きれば良いものを」
最後まで野生に拘るだなんて、実に愚か。
鼻を擽る懐かしい血の匂いに、思わず口端から垂れた涎を白いハンカチで拭う。
嗚呼、いけないいけない、今の私は唯の人間なのだから。
革靴に包まれた足先でタヌキの死骸を側溝に落とすと、靴にこびり付いた汚れを拭いたハンカチも同様に側溝に投げ捨てた。
テーマ「1年前」
「こんなものを寝る前に読んでるから妙な夢を見るんですよ」
こんなものと、リビングのテーブルの上でバンバン叩かれていた本二冊を、君の手が離れた一瞬のスキをついて奪還。
そのまま寝室に逃げこもうとしたが、椅子の脚にスリッパが引っ掛かってしまいコケてしまった。
無様……、なんて羞恥心が湧き上がる前に両肘を交互に動かしてリビングの床を匍匐前進。
しかし、片足が君に捕まってしまいアザラシ狩りに遭った仔アザラシのようにズルズルと引きずられる。
「ぎゃあぁっ、いやー、ママー!」
「誰が、誰のママだって?」
持ち上げられた足を捻られ、床を転がされて力尽きた私の腕から君が本をもぎ取った。
「ほら、明日読めばいいでしょう?」
とっとと寝ましょう、と本棚の適当な段に無造作に仕舞われた二冊を閉まりつつあるリビングのドアから、君に羽交い締めにされながら見つめた。
ドグラ・マグラ……。
テーマ「好きな本」