ひどい顔。
君はそう言って、私を抱きしめた。
頭を、背を撫でる、君の温かな手。
その労るような優しい手つきに、キツく閉じた目蓋の縁から溢れた涙が流れ落ちていく。
甘い花の香りのする君の首筋に顔を埋めて、君の背にそっと腕を回した。
テーマ「向かい合わせ」
あの子の慟哭が聞こえる。
あの子には何も遺されていなかった。
財産も家も、家族も。
親の無償の愛すらも与えられなかった。
空っぽの、憐れな子供だった。
誰にも顧みられず、他者に助けを求めることもせずに、あの子は生きた。
友も伴侶もなく、ずっと独りきりで。
あの子の心は小さな子供の時のまま、寄る辺なく小さく蹲っていたあの時から止まったままだった。
あの子の慟哭が聞こえる。
誰か、僕を愛して、と。
テーマ「やるせない気持ち」
キラキラとオレンジ色に光る波打ち際をフルオーダーの革靴を濡らさないように気をつけながら歩く。
気まぐれな君とのドライブは、いつもこちらをハラハラドキドキさせてくれる。
今日だって、夜にパーティーがあると言っていた筈なのに、街から大分遠いビーチに連れてこられたようだ。
全身に染みついたであろう潮の臭いを取る為にシャワーを浴びて、髪をセットして服も着替えなければいけないから、一度家に戻らないと……。
間に合うかな、と腕時計に気を取られて足元への注意が疎かになった一瞬。
あっという間もなく膝下まで一気に波が来て、革靴が海水に浸かった。やってしまった。
溜め息一つ、後ろを振り向けば、両の人差し指に自分の靴を引っ掛けた君がニヤニヤと大股で歩いてくる。
……何だかムカついたので、寄り添ってきた君の耳朶をガリっと齧ってやった。ざまあみろ。
テーマ「海へ」
君と暮らすようになってから、朝昼晩三食キチンと食事をするようになった。
時間ギリギリまで寝て、飲まず食わずで身支度を整えて家を出ることもあった自分が。
まだ青っぽい朝日を浴びながら、こんがりと焼けたトーストにバターをカリリと音をたてながら塗り拡げる。
じんわりと蕩けていくバターを一瞥、あむっと口を大きく開けてトーストにかぶりついた。
バターの旨味と塩気がトーストの甘みと混ざり合って、小麦の香ばしい薫りが鼻に抜けていく。
幸せ。緩んだ頬をそのままに食べ進めていけば、向いに座る君がほんのりと笑みを浮かべていた。
なあに、と君に聞けば、同じようにトーストをひと噛りしつつ君は笑う。
「ただのトーストなのにさ、幸せそうに食うなあと思って」
そう言ってサクサクとトーストを食べる君。
……気付いてないようだけどさ、君だって。
今、とっても幸せそうな顔してるよ。
ヒョイっと口に入れたトーストの一欠をコンポタで流し込んでから笑って言ってやる。
「だって、幸せだもの」
君と食べる食事は、何だって美味しく感じるから。
この時が、これからもずーっと続けばいい。
そう思ってる、絶対に言わないけどね。
テーマ「裏返し」
小さい頃は、様々な生き物に憧れた。
大きくて色とりどりの美しい鳥。
深海を揺蕩うクジラやサメ。
高山に住まうしなやかな体躯のユキヒョウ。
ネコ、馬、竜、いくらでも思い浮かべることが出来た。
鳥のように空を飛んでみたいと思ったこともある。
切り立った岩山を、深い深い谷底を、荒々しく羽撃いて、風を蹴散らしながら飛んでみたい、と強く。
今は、別の生き物を羨む気持ちは欠片も無く。
それを少しだけ寂しく思う自分がいた。
テーマ「鳥のように」