羽根のような軽るさの白い和毛を、両の掌で包み込んだあの日。
全身の毛をホワホワに逆立てながら、テーブルの上でピャーピャーと鳴いていた君。
皿に入れてやったカリカリをガツガツ食べ、すやすや眠り、思わず笑ってしまったくらい立派なモノをひねり出した君。
庭に飛び出て鳥を追っかける君を、裸足で追いかけたこともあった。
風呂に豪快にダイブして、ブクブク沈んでいく君の首根っこを、慌てて掴んで救出したこともあった。
一つ、年を取るたびに大人になっていく君に、少しだけ寂しくなる。
寝ている時間が多くなった君と一緒に寝そべり、そっと平たい背を撫ぜた。
ほんのりと冷たい滑らかな背を何往復かすると、君は全身を目一杯伸ばして、腹を上にしながら丸まってゴロゴロと喉を鳴らした。
両腕いっぱいに育った、ずっしりと重い君を抱きしめるたびに思い出す。
あの日、掌に感じた、小さいながらも力強い温もりと生命の鼓動を。
テーマ「My Heart」
今を生きるのが辛い者。
病み、或いは老いて、死ぬのが恐ろしい者。
きょう生まれてくる子、懸命に明日を生きようとする者。
人殺し、詐欺師、盗人、障害者、善人、老いも若きも男も女も。
全ての人間を一瞬にして死に至らしめるほどの、絶対の力が欲しかった。
痛みも苦しみも安らぎもない、今際の涙を流す暇も与えぬような圧倒的な力が。
誰にも理解されないだろう。
全てを終わらせることができる、そんな力が欲しかったんだ。
テーマ「ないものねだり」
目の前には、まっさらなキャンバス。
かれこれ2時間、この忌々しい白とにらめっこをしていた。
右手に持った鉛筆を上げては下ろし、また上げては下ろしの、完全に無駄な2時間である。
それもこれも全て、このキャンバスが悪いと私は確信していた。
大体からしてサイズが大き過ぎる、「ちょっと大きいかな?」なんて呑気に電車に揺られて帰ってきたがF20は流石に邪魔だった。
膝の上に立てて持っていたが、電車の外からソレを見たら、足だけの幽霊かと一瞬ギョッとして、隣の車両に移動するだろう。
実際、最寄り駅て降りるまで、誰一人乗ってこなかった。
そのF20のキャンバスを自宅の趣味部屋の壁に立て掛けて、「やっぱデカすぎたかー」と苦笑いしたのが2ヶ月前のこと。
年末年始の忙しなさに感けていたら、気付けば、あと数日で4月に入る頃だった。
下絵はとうに出来ていて、後はソレをキャンバスに描き写していくだけなのだが、なかなか踏ん切りがつかない。
昔から、何も描かれていないところに黒で線を引く行為に、何故だか罪悪感が湧くのだ。
我ながら難儀なことだ、とキャンバスに向かって鉛筆を高速連打するのであった。
テーマ「好きじゃないのに」
よこなぐりの雨を旅館の窓から睨めつけて、ため息を一つ。
ずっと前から、具体的に言うと183日前から楽しみにして、綿密なる計画を立てて指折り数えて本当に楽しみにしていた旅行なのに。
あいにくの雨。ありえないくらい土砂降り。
時折、吹きつけてくる風に薄い窓ガラスがピシピシと鳴る。
山の天気は変わりやすいと云うが、山々を削る薄墨色の雲を見る限り、暫くは止みそうにない。
怨みがましく畳の上を這って座椅子に戻れば、読んでいた文庫本を閉じて君がクスクスと笑った。
しょうがないよ、と差し出された菓子を不貞腐れながらモシャモシャとかじる。
再び本を読みだした君の膝を枕にし、唸り声のような風雨をBGMにして、壁掛け時計の振り子が左右にゆらゆら揺れるのをぼんやりと眺めた。
肩を揺すられ、ハッと目が覚める。
旅館の白い布団から這い出て、そのままヨタヨタと窓辺へ。
キラキラと光る湖面が目にうつる。
安堵の溜息一つ、傍らで怪訝そうに立ち尽くす君に、おはようのハグをした。
テーマ「ところにより雨」
誕生日には、プリンを作る。
たまごと砂糖、牛乳に少量の香料を混ぜて、お鍋でじっくり湯煎。
できたてホヤホヤの熱いプリンにカラメルソースをかけて、スプーンで薄く掬って食べる。
口の中でトロリととろける、甘くて少しほろ苦い味に「また一つ、年をとった」と口が綻んだ。
おやつにと買っておいたデニッシュにプリンをたっぷり乗っけて頬張る。
太るよと幻聴が聞こえたが気にしない、今日はめでたい日なのだから。
追いカラメルソース、嗚呼なんて良い響きだろうか。
溢れないように少しだけ上を向いて口に運ぶ。
毎年、誕生日には母がプリンを作ってくれた。
台所で母と二人ならんで、鍋の火を見ていた。
でも、今年は自分で作った。
母の手つきを声を匂いを思い出しながら、じっくりと丁寧に。
何で誕生日にプリンなのかは知らないし、母の作るような味にはならなかった。
「わあ、プリンつくったの?やったー!」
ソファに寝っ転がっていた母が、鍋の中のプリンを見るやいなや小躍りをし出す。
その母の喜ぶ様を見て悟った。
テーマ「特別な存在」