「──────。君のおかげで、息子の表情も明るくなった。本当の息子のように接してくれて、本当にありがとう」
「良かった……私にとって、血の繋がりなど関係のないことです。私は貴方と、彼にできることをしたまでですわ」
私の家族はいない。もう、ずっと前に亡くなってしまった。祖父母が教えてくれた伝承と秘密、両親が遺してくれた歌と杖、そして決して少なくはない写真の束。
おぼろげな記憶と彼らの存在を繋ぎ止めていた。
もしかしたら、家族というものに心の何処かで憧れていたのかもしれない。
そんな時に彼らは現れた。
戦に赴く自分の代わりに、どうかこの子を見てほしい、と。
幸せだった。三人で平和に暮らせると思っていたのに。
「ここから逃げ出して、何処かで幸せになってほしい」
「父を支えてくれて、僕を愛してくれてありがとう……お母さん」
灰骨の山は積もり、まだ若かった鮮血は廻り続ける。
────────────────────
「……どうして?」
その後に続く言葉はたくさんある。
だが、それすら思い出せなくなるのも時間の問題だ。現にアルバムや日記なしでは家族の事を思い出せなくなっている。
忘れてしまえばきっと楽になれる。
だが、彼らが生きていたことをはっきり証明できるのは自分しかいない。
無くなれば歴史の一部がまた欠け落ちる。
気配を感じて顔を上げる。
そこには彼が居た。
「すまない、心配になって来てしまった。ホットミルクを入れてきたが、飲めそうか?」
彼のそばに座れば、気持ちが軽くなる。
その理由はまだわからない。
ただ、彼の入れるホットミルクが美味しいのは確かだ。
「……いつか全てを打ち明ける時が来る。焦ることはない、私も彼を知っているのだから」
私の知らない夫の姿を彼は知っている。
不安定な記憶の中が、少しだけ固まった気がする。
お題
「たった一つの希望」
息子を殺した。
助けられなかった。
夫が遺してくれた最後の希望だったはずなのに、私は何もしてあげられなかった。
アレは母と祖母が言っていた力なのか。
冷たくなる息子は光として溶けていった。
見つかれば私は終わりだ。
ドアを叩く音がする。
行かなきゃ。
私の家族の分まで生きて、彼らに償いをしなければ。
『ある女の走り書き』
お題
「閉じられた日記」
船を漕ぐ。水面の桜染めを裁つように。
深い夜の中に彼の金糸が輝いている。
私と彼の間に言葉はなく、櫂と水の音だけが響く。
「……!」
今宵は満月。雲一つ無い空に輝く月は見物だろう。それが異国の地なら尚更だが──彼がカメラを構える気配はない。
『夜の海を渡り征く者は』
お題
「美しい」
一人の夜と寒さが身に沁みるこの季節。
布団に入るたびに虚無感に襲われ、疲れが取れなくなってきた。
「君がいてくれてよかった」
でも、今は違う。大好きな彼女と共に一緒にいることができて、本当に幸せだ。
毛布の中で抱き合って、足と指を絡ませたり、撫でたり……互いの体温で暖まったところで、彼女が先に寝てしまうまでがいつもの流れ。
誰にも見せない無防備なところを、私にだけ見せてくれる。
その事実で私は今日も生きていける。
『ある作家の走り書き』
お題
「ずっとこのまま」
「足元に気をつけて」
風に乗って漂う香りに誘われて足を踏み入れれば、一面に広がる無数の青に圧倒される。
「この青は、私の生涯の一つなんだ」
私の手を引きながら、彼はそう語る。
青いバラは自然に存在しない。青と言っても淡い色が主流な中で、宵のように深いこの青を咲かせるまでに、どれほどの時間を掛けたのだろう。
優しく包んでくれる彼の手には無数の傷があった。普段は手袋をしていて見ることはできないが、こうやって間近で見られるのは自分だけだと思うと、胸が熱くなる。
「君がいなければ、成し得ないことだった」
彼が立ち止まる。
「満足してくれたかな。君に合うように、深い青になるまで重ねてきたんだ」
淡い青は途中で咲いたものだろう。
段々と青に近付けていく過程との中に、彼の執念が垣間見える。
「これも見てくれないか」
彼が示した先に、黒い薔薇が咲いていた。特定の場所でしか咲くことがないため、青とは違った意味で珍しい色だ。
「あれは……虹?こっちはチェスみたい」
「そこまで見てくれたんだ。装飾もこだわったから、とても嬉しいよ」
ふにゃりと笑う彼に、思わず可愛いと口にしてしまった。あまりからかうんじゃない、と怒られてしまう。
「はぁ……全く、かわいいだなんて」
「えへへ」
「君には敵わないよ」
お題
「色とりどり」