差し込んでくる光で目が覚めた。
部屋を見回して思い出す。
私はあの手を振り払ったんだった。
傷付いた様な顔をしたあの子。
できることならあの日常に戻りたかった。
でも、汚れた手できれいな彼女の手を取るなんてできなくて。陽だまりのように暖かなあの場所に、影を落とすような私が立つなんて、できなくて。
暗く重い雲が、頬を伝った涙を洗い流していった。
「俺の好きな色?うーん。白、かなぁ。」
彼がそう言っていたのを今でも憶えている。
理由はどんな色にもなれるから、らしい。
彼は黒が好きなんだと思っていたから、その話を聞いたときは飛び上がるほど嬉しかった。
白は私の色だったから。彼の好きな色を纏っている私は彼の隣に立つのに相応しいと思った。
でも、駄目なんだよ。白は何かと混ざったら絶対に元の色には戻れないんだよ。
彼はそれでもいいと言っていた。違う。私が許せないの。あなたの隣に立つのは真っ白な羽を持った者じゃないと許せない。
私の羽はどんどん濁っていく。やがて私の羽が真っ黒に染まり切ったとき、笑いながら彼は言った。
「やっと、堕ちてきてくれた。」
目を開くと、今にも溢れそうな涙をたたえたあなたがいた。
「――――!」
「――――!」
言葉を聴き取れない。手のひらに視線を落とすと僅かに透け始めているのがわかった。彼と目があった瞬間、数え切れないほどの思い出が鮮明に蘇った。
砂浜で花火をしながらはしゃいだこと。
人が埋まるほど積もった雪に飛び込んだこと。
初めて行った遊園地で誕生日を祝ってもらったこと。
どれも、あなたがいなければ絶対に経験できなかったことだ。あなたがいなければ、私はあの家で外の世界を知ることなく生を終えていただろう。だから。
「ありがとう。」
最後にこれだけは伝えたかった。私はうまく笑えているだろうか。最後の力を振り絞って彼の涙を拭い、泣かないで、と伝える。あぁ、もう、時間だ。
「愛してる。」
そう言って彼女は俺の目の前で泡になった。
あとどれぐらい、僕のままでいられるんだろう。
日が経つにつれ、僕の知らない記憶が増えていく。
出席した覚えのない授業、友達との覚えのない約束。
そうやってどんどん知らない記憶が増えていった。
最初は病院に行った。でも原因はわからなかった。
どんな病気なのか、対処法はないのか、と調べるうちに、
状況は悪い方へと進んでいった。
使った覚えのない大金、友達の非難の目。
最も頭に焼き付いている真っ赤な視界。
僕が、知らない僕になっていく。
落ちていく。意識が、落ちていく。
精一杯藻掻くけれど、僕はどんどん落ちていく。
もう一人の僕が笑みを浮かべながら僕を見下ろす。
暗くなっていく意識の中で、やけにはっきりと、
あいつの声だけが響いた。
「次はどれだけはやく上がって来られるんだろうなぁ?」
一年前と聞いて思い出すのはあの日の絶望。
わかっていても本当に来るなんて思わなかった。
あの日から私はどこか不安定な人間になった気がする。
以前の自分と同じようで違う。
どこへ行ってもあなたがいない。
なにをしても褒めてくれない。
励ましや慰めの言葉だって、私の心にぽっかりと空いた穴を埋めることなんてできやしない。
なにをしても虚しいの。なにをしてもあなたが頭をよぎって悲しくなるの。どうして私も連れてってくれなかったの。話したいことだって、行きたい場所だってたくさん、たくさんあったのに。
一年前のあの日から、自分でもわかるぐらいに自分の健康に無頓着になった。生きている意味がわからなくなった。あなたがいれば叱ってくれたんだろう。そんな、考えても意味のないことを、一年前からずっと考えてる。一年経っても苦しみ続けてる。会いたいよ。少しでいいから。
会いたい。