月が凪ぐ夜

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10/28/2023, 11:49:43 AM

決して開けてはならない扉があった。いつからそこにあるのか、何故開けてはならないのか、一切の疑問をものともせず、その扉は静かに佇んでいる。
ただ時折、漏れ聞こえる声が僕の心のなにかを揺らす。かすかに聞こえてくる嗚咽は時が経つごとに少しずつ、少しずつ大きくなっていく。
そうしてその声が鮮明になっていくにつれ、それがまとう感情が見えてくる。
胸を刺すような切なさと、凍りつくような寂寥の響き。身を切るような叫びは、聞く側の心さえも引き裂くような痛みを感じさせた。
差し出した手が冷たく、無機質な縁へと触れる。吸い付くような木の感触に少しだけ心が戸惑う。
―――開けて、いいのだろうか?
声はまだ言葉で届かない。けれど哀切を訴えるその声が、本当にそれだけを訴えているのだろうか。
扉に触れて張りついたように離れない手は、自らの意思で扉を開けることを待っている。ほんの少し力を入れるだけで、扉はいとも簡単に開くだろう。

開けてしまえ。という誘惑に、
開けないで。と何かが引き止める。

時間の経過がわからないまま、どのくらいをそのままでいただろう。いつの間にか嗚咽は消えてなくなり、しんと静まった暗闇に扉とともに残された。それでも僕はその場を離れられず、扉に手を捕らわれたまま立ち尽くしていた。
ぽろりと、頬に一雫の涙が落ちる。
そして次の瞬間に僕はその涙の意味を知った。

認めて欲しかったのだ。目を背けず向かい合って欲しかった。たとえ自ら閉じ込めたものだとしても、自分の本当の想いを無かったことにしてほしくなかった。
認めたくなかったのだ。自分の中にある醜い感情を知りたくなかったんだ。君に抱くこの想いが君にばれないように、僕は必死にそれを隠していたのだから。

この扉は僕の心。そして聞こえた嗚咽は僕の泣き声。
心の奥底に閉じ込めた、君への想い。それは決して日の目を見せぬと誓った―――恋心。



決して開けてはならない扉があった。
暗がりの中で静かに佇む僕の心の禁足域。
君へと溢れる想いを留めて、いつでも僕はその扉の手の届くところから離れられない。
開けてしまえと言う本能に、開けないでと理性が抗う。それは永遠に続くのだろう。
僕が君を愛する限り…。


【暗がりの中で】

10/27/2023, 1:57:12 PM

光が反射する硝子のティーポットで、ゆらゆらと踊る茶葉を眺めましょう。軽やかな足取りで舞う彼らは、ゆっくりとそのベルガモットの香りを醸し出す。でも踊り過ぎたら疲れてしまうから、砂時計をきちんと傾けてあげてね。
豊かな水色には温かさがあるでしょう。けれどね、冷えた氷にきらりと煌めくさざなみは、また違う顔を覗かせてくれるの。

細いグラスにマドラーをさして、いつもならこのままあなたにあげるアイスティー。
今日はちょっぴりいたずらをしましょうか。

そこに甘い甘いはちみつを入れましょう。
甘すぎては紅茶の味が拗ねてしまうから、ハニーディッパーでほんのひとさじを落としてあげて。
そしてほんの少し大人のジンを入れてみよう。
おすすめはジュネヴァだけれど、君にはまだ早いかしら? 大人の階段はゆっくり登って来てね。
そうして最後に爽やかなオレンジを添えてみて。
ほら、これがロイヤルアールグレイ。

大人になったあなたにあげる、私からの誕生日プレゼント。紅茶が好きなあなたにぴったりでしょう。




けれども僕は、もう紅茶を飲めない。
僕は君が入れてくれた紅茶が好きだったから。君の紅茶しか飲みたくなかったから。
そして僕は紅茶の香りに君を思い出し、二度と紅茶を飲むことはなかった…。


【紅茶の香り】

10/26/2023, 11:27:37 AM

私が誰かに愛の言葉を紡ぐのなら、
きっとそれは【あの人】しかいない。

好きも、大好きも、他の言葉なら、
誰にでも、いくらでもあげる。
だけど「愛してる」だけは…あげられない。

愛とはなにか。…愛とはどういう意味か。
その境界線を私は明確に定めている。

たとえ私を見ることがないとしても、
たとえ二度と会うことが叶わなくても、
たとえその隣に他の誰かがいたとしても、
たとえ…あの人によく似た小さな子どもを、その腕に抱いていたとしても。

あの人が幸せであればそれでいい。
それが私にとっての愛だから。
私はあの人の幸せを愛しています。

それが私の「愛言葉」。


【愛言葉】

10/25/2023, 12:15:05 PM

君と僕は友達だった。
そして僕は君に恋をして、
君と僕は恋人になった。

たくさんの時間を共有して、
たくさんの好きを君にあげて、
たくさんの思い出を作った。

そして…
いつしか僕と君はすれ違い、
僕と君は友達に戻った。

それでも僕らは変わらずにいるのだと、
隣で笑い合う関係がいつまでも続くのだと、
―――そう、思っていた。

君がほかのだれかをアイスルマデハ…

僕ではない誰かに想いを寄せて、
君が好きの言葉を小さく囁く。
君の幸せそうな顔を眺めて、
僕は静かに嗚咽を漏らす。

友達でいいなんて…本当は思っていなかった。
けれどその「友達」という二文字だけが、
僕らを繋ぐ唯一のものだったから。

僕は今でも、君の友達を続けている…。


【友達】

10/24/2023, 2:47:25 PM

その背中を追いかけることなどもうできはしない。
私を過去にして進む君に、私は枷にしかならないから…。
できることならば君の隣を歩いていたかった。広いこの世界の中で、数多い人々の中で、折り重なった想いがあったというのに。確かに君と心から笑いあった瞬間があったというのに。
私は、君を一番にはできなかった…。
大切だった。
好きだった。
愛していた。
だけどそれ以上に、私はどうしても【あの人】を忘れることはできなかった。

「行かないで」
なんて言う資格が私にはない。
もとより私自身が、過去から一歩も動いていなかったのだから。


【行かないで】

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