薄墨

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11/2/2025, 4:48:53 AM

冬はつとめて。
火を焚いた跡はなんだか寂しい。
凍える朝の空気の中で、黒々と焼け残った炭の上を、白い粉っぽい灰がばらばらと滑っている。

窓がうっすら開いていて、それで失敗を知った。
暴力的な眠気から覚めて、ぼんやりと痛い頭を抱えて、それから沈黙している七輪を眺める。
空気はしんと冷えていて、すっかり冬の香りが感じられる、凍える朝だということに、今更気づいた。

外は薄紫の静かな早朝を迎えている。
小鳥が何羽か囀っている。

ここに辿り着いたのは、昨日の深夜だった。
驚くほどうまくいかなかった高速の乗り換えも、途中のホームセンターや薬局ですんなりできなかった買い物も、でこぼこと狭くて、ガードレールのない高ストレスの山道も、面白いくらいにうまくいかない自分の人生の象徴のような気がして、昨日に限って言えば、全く気にならなかった。

なんてことはないつまらない人生だった。
よくある、両親の離婚から人生が暗転して、ちょっと頑張ってみたことがちょっとした不運でポシャって、それで根性のない私は嫌になって、何もかも中途半端にうまくいかなくて、そのあまりのうまくいかなさに、嫌気がさしたのだった。

それで昨日、ふと思いついて家を出て、地図帳で見て、なんとなく良さそうな写真の場所の山へ、車を走らせて、そうして昨夜、七輪を組み立てて、火をつけて、眠りについたのだった。

そして失敗した。
失敗して、凍える朝に目が覚めた時、頭に真っ先に浮かんだのは、なぜだか遠い昔に学校でやった、国語だかなんだかの授業で習った古文の一節だった。
冬はつとめて。

昨夜のような夜をもう一度過ごす気は起きなくて、残った炭と灰と七輪をまとめてゴミ袋に放り込み、鈍い身体を伸ばしてから、車のキーを回す。
静寂の中、駆動音がぽつんと響き、車内時計が時間を表示する。
それで、今が正真正銘の早朝だと知る。

僅かに開いた窓から、凍える朝がゆるやかに潜り込んでくる。
朝の冷たさが、肌に優しい。

冬はつとめて。
窓を閉めて、ハンドルを握る。
鳥のご機嫌な囀りが、聞こえてくる。

10/31/2025, 8:33:11 PM

光だけじゃ眩しすぎて影絵

太陽は影も作ると君は言い

横顔は陰影があるから美しい

影よりも光に誘われる初冬

10/30/2025, 2:01:33 PM

そして、猫は九回死に、犬は五回生きる。
なぜそうならねばならなかったかは、誰も知らない。
知っているものがいるとしたら、ただ1匹、蜃気楼かガラス細工のような町の大通りを駆け抜けていった、あの目の赤いネズミだけだ。

大通りは曲がりくねり、大きくうねって波打っている。
のっぺりとした町の建物は、遠近法で小さかったり、大きかったりして見える。
空は薄く靄がかかったようにくすんでいて、輪郭すら怪しい。
耳をつんざくような静けさが、小さな町を包んでいる。

何もいないけど、何かが生活していると確信する。
冷たい張り詰めた朝の空気が、蔓延している。

そして、猫は九回死に、犬は五回生きる。
そして、私はこの超現実に立ち尽くし、ネズミは1匹逃げていく。

道はうねり、町はくすんでいる。
そして、静けさが小さな町を包んでいる。

10/29/2025, 1:31:39 PM

食べちゃいたいほど愛してる。

tinyは可愛いほどちっちゃな、ちっぽけな、という意味らしい。
赤ちゃんとか、動物とか、そういうものに使う「ちっちゃい」みたいなニュアンスの言葉。
ならtiny loveというのは、小さく幼くてちっぽけな、可愛いものへの愛のことだと思うのだ。

そう。“食べちゃいたいほど愛してる。”

丸くて、柔らかくて、ちょこちょこと動いている。
口に入れたら一口で食べてしまえそうな小ささの生物が2匹。
これが弊社で開発された人工食糧生物の第一世代だ。

食糧問題は、年々深刻化している。
医学や薬学の発達による人口増加、気候変動や太陽の変化によってもたらされた気温や植生の変化などにより、この世界の食糧危機は、今や最優先事項として協議されるほどになっている。

そんな人類の存亡がかかった危機的状況を打破するために研究され始めたのが、人工食糧という可能性だ。
できるだけ少ない資源、そしてできるだけ複雑すぎない条件下で、効率良く増産できる食糧を、これが今、世の中の人類全てが欲している最大ニーズであり、関心ごとだった。

生物学と工学、そして人の成長を長年研究し、商品を生み出してきた機関を持つ弊社が、このニーズを逃すわけにはいかなかった。

と、いうわけで、うちでは大々的に、部門ごとで競い合いながら、人工食糧の開発が進んでいた。
そんな中、我々、ゲノム生物部が作り出したのが、この生き物だった。

真っ白で、ふかふか柔らかく、まんまるで、一口サイズのお団子みたいにちっちゃくて、ちょこちょろ動き回る。
食べちゃいたいくらい愛らしい、食欲を刺激するほど可愛らしい生物。
それが、我々の作り出した人工食糧生物、tiny loveだ。

開発はすでに佳境だ。
味も食べやすさも確認済み。tiny loveはとても美味しい。
あとは、このtiny loveの繁殖を試み、問題がなければ、tiny loveは家畜に変わる新たな人工食糧生物として、世界中に広がっていくだろう。
今、こうして私の前を歩き回っている、食べちゃいたいほど愛らしい生物は、tiny loveのアダムとイブなのだ。

時々、考えることがある。
食べられるために生まれる、食べられるために生きるというのはどういう気持ちだろう、と。
しかし、そんな哲学的かつ倫理的な抵抗を持ってしても、やはりtiny loveは食べちゃいたいほど愛らしい。

私はこの生物を愛している。
食べちゃいたいほど。

ちょこちょこと動き回る2匹を掬いあげる。
食欲を抑え、2匹ともを繁殖用ケージへ入れる。
私はきっと、愛情を持って、2匹を育てるだろう。
食べちゃいたいほどに愛しながら。

ケージの中の床材がかさり、と音を立てる。
食べちゃいたいほど愛らしい生物が、そこにはいる。

10/28/2025, 2:00:58 PM

屈託なく笑うあの子は天使の子だった。
もちろん、天使の子というのはあだ名のようなものだった。
まだ幼かった私たちの中で、それは彼女に対しての蔑称でもあった。

裏も表も取り繕うことも知らない、という風なあの子は、最も素直に“人間”な子どもたちの社会_すなわち小学校の人間関係_の中で、根本的に違う付き合いにくい人間として、遠巻きにされていた。

あの子は誰にでも優しかった。
本当に裏どころか表すら知らないようだった。

どんなに嫌われ者の横暴教師にすら、悪口や陰口を言うことに抵抗を示し、どんなに素敵で優しくて学校一盤石な地位にいる先生にだって、間違いを指摘し、恥をかかせた。
嘘も方便であることは理解しているようだったが、その嘘が致命的に下手で、かえって気を使わせていた。
常に真面目で中立的に話そうとするものだから、会話相手としては、あまりに平凡で、退屈すぎた。
正しく、優しく人に寄り添おうとして、何でもかんでも親切にしてくれるものだから、みんな便利に使った。

表なし、裏なし、面白い個性もない。
まるで、あの退屈な道徳の教科書が、そのまま小学生になったような子どもだった。
真面目で道徳心だけが取り柄のような子ども。

あの子はいつも一人だった。
私は、仲の良い友達がみんな学校を休んだ冬の日に、密かに彼女を一日観察していたことがあった。
あの子は本当に丸一日一人だった。

休み時間、あの子は長いまつ毛を節目がちに傾けて、本を読んでいた。話しかける者は誰もいなかった。
授業中、班活動の中でも、班に馴染めているような様子はなかった。それにすら気づいていないように、あの子は流暢に意見を述べた。
掃除の時間、あの子は黙って一人で掃除をしていた。ふざけた男子が投げ合う雑巾の背景のように、静かに掃除に熱中していた。
放課後、あの子は忘れ物を見回り、教室を磨いてから、電気を消した。最後に帰ることが使命であるかのように、あの子はくるくる適切に動いた。

あの子は天使の子だった。
クラスが心地よく過ごせるためにはなんでもやった。
居残り掃除も、花瓶の水の入れ替えも、飼っているメダカやウサギの世話も、日直も、
…いじられっ子のいじめられっ子という、ストレスの捌け口となることさえも。

私は夏休みに一回、あの子に会ったことがある。
太陽が燦々と輝いていて、蝉がやけにうるさくて、入道雲と青空が綺麗で、まるで絵に描いたような夏の日だった。
忘れた宿題を取りに行った廊下で、私はあの子と会って、なんと珍しいことにまともに会話をした。

その時にした詳しい話は覚えていない。
ただ、あの子が、“天使の子”である理由について、彼女がこう言ったことだけを覚えている。
「私のしていることはおもてなしなの。おもてなしって、裏も表もないくらい人を思ってすることだから“おもてなし”っていうの、知ってた?」

私があの子とまともに話したのは、その時のたった一回だけだった。

あの子は今、何をしているのだろうか。
あの子の言うところの“おもてなし”を今も体現しているのだろうか。
真っ直ぐで穢れを知らない献身的な天使のあの子と私が友達だったなら、あの子は今の私にどんな言葉をかけて、何をしてくれただろうか。
おもてなしを体現しようと成長したであろうあの子は、私に一体どんなおもてなしをしてくれたのだろうか。

考えても、想像もつかなかった。
ただ一つ分かっていることは、私は大人になったあの子を知らないまま、海の海蘊になる、ということだった。

私は遥か下の海面を見つめた。
ここから落ちれば、水面であろうと死ねる。しかも真冬の海だ。もし生きながらえても溺死か凍死ができる。
そういう確信があった。

私は靴を脱いで、崖の淵に立った。
死後に審判みたいなものがあったとして、死後に人は振り分けられるのだとしたら、私はあの子のいる方にはいけないんだろうな、とぼんやり思った。
あの時のあの子の顔が、不意に脳に現れ、焼き付いた。

崖下から海が誘うように、冷たい海風が吹きつけた。

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