屈託なく笑うあの子は天使の子だった。
もちろん、天使の子というのはあだ名のようなものだった。
まだ幼かった私たちの中で、それは彼女に対しての蔑称でもあった。
裏も表も取り繕うことも知らない、という風なあの子は、最も素直に“人間”な子どもたちの社会_すなわち小学校の人間関係_の中で、根本的に違う付き合いにくい人間として、遠巻きにされていた。
あの子は誰にでも優しかった。
本当に裏どころか表すら知らないようだった。
どんなに嫌われ者の横暴教師にすら、悪口や陰口を言うことに抵抗を示し、どんなに素敵で優しくて学校一盤石な地位にいる先生にだって、間違いを指摘し、恥をかかせた。
嘘も方便であることは理解しているようだったが、その嘘が致命的に下手で、かえって気を使わせていた。
常に真面目で中立的に話そうとするものだから、会話相手としては、あまりに平凡で、退屈すぎた。
正しく、優しく人に寄り添おうとして、何でもかんでも親切にしてくれるものだから、みんな便利に使った。
表なし、裏なし、面白い個性もない。
まるで、あの退屈な道徳の教科書が、そのまま小学生になったような子どもだった。
真面目で道徳心だけが取り柄のような子ども。
あの子はいつも一人だった。
私は、仲の良い友達がみんな学校を休んだ冬の日に、密かに彼女を一日観察していたことがあった。
あの子は本当に丸一日一人だった。
休み時間、あの子は長いまつ毛を節目がちに傾けて、本を読んでいた。話しかける者は誰もいなかった。
授業中、班活動の中でも、班に馴染めているような様子はなかった。それにすら気づいていないように、あの子は流暢に意見を述べた。
掃除の時間、あの子は黙って一人で掃除をしていた。ふざけた男子が投げ合う雑巾の背景のように、静かに掃除に熱中していた。
放課後、あの子は忘れ物を見回り、教室を磨いてから、電気を消した。最後に帰ることが使命であるかのように、あの子はくるくる適切に動いた。
あの子は天使の子だった。
クラスが心地よく過ごせるためにはなんでもやった。
居残り掃除も、花瓶の水の入れ替えも、飼っているメダカやウサギの世話も、日直も、
…いじられっ子のいじめられっ子という、ストレスの捌け口となることさえも。
私は夏休みに一回、あの子に会ったことがある。
太陽が燦々と輝いていて、蝉がやけにうるさくて、入道雲と青空が綺麗で、まるで絵に描いたような夏の日だった。
忘れた宿題を取りに行った廊下で、私はあの子と会って、なんと珍しいことにまともに会話をした。
その時にした詳しい話は覚えていない。
ただ、あの子が、“天使の子”である理由について、彼女がこう言ったことだけを覚えている。
「私のしていることはおもてなしなの。おもてなしって、裏も表もないくらい人を思ってすることだから“おもてなし”っていうの、知ってた?」
私があの子とまともに話したのは、その時のたった一回だけだった。
あの子は今、何をしているのだろうか。
あの子の言うところの“おもてなし”を今も体現しているのだろうか。
真っ直ぐで穢れを知らない献身的な天使のあの子と私が友達だったなら、あの子は今の私にどんな言葉をかけて、何をしてくれただろうか。
おもてなしを体現しようと成長したであろうあの子は、私に一体どんなおもてなしをしてくれたのだろうか。
考えても、想像もつかなかった。
ただ一つ分かっていることは、私は大人になったあの子を知らないまま、海の海蘊になる、ということだった。
私は遥か下の海面を見つめた。
ここから落ちれば、水面であろうと死ねる。しかも真冬の海だ。もし生きながらえても溺死か凍死ができる。
そういう確信があった。
私は靴を脱いで、崖の淵に立った。
死後に審判みたいなものがあったとして、死後に人は振り分けられるのだとしたら、私はあの子のいる方にはいけないんだろうな、とぼんやり思った。
あの時のあの子の顔が、不意に脳に現れ、焼き付いた。
崖下から海が誘うように、冷たい海風が吹きつけた。
10/28/2025, 2:00:58 PM