薄墨

Open App
10/14/2025, 1:54:11 PM

「梨が時期物だったこと、すっかり忘れてたわ」
ざらざらとした、ほんのりと赤い黄褐色の皮を剥きながら、彼女は言った。

梨を剥く彼女の包丁の、するりとした刃音を聞きながら、根菜煮に入っていた蓮根をつまむ。
しん、と残った固さが、しくしくと歯に楽しい。
「秋はこの時期にしか食べられないような旬が多すぎて困るわ。まだ栗もしてないし」
器用に刃を滑らせながら、彼女が呟く。

いびつに丸いにんじんを箸で割る。
ほこほことした根菜煮は、深くて濃い秋の味をしている。
しめじと割ったにんじんを箸先で摘んで、口に入れる。
口をすぼめて、猪口に口をつける。

「梨も柿も、水分たっぷりだから、お酒好きのあなたの食後に、丁度いいわ」
彼女の手元で、梨はもう半分皮を脱ぎ捨てて、白くぬめらかな肌を外気に晒している。
私は、秋を口いっぱいに頬張ったまま、ゆるく頷く。

「私、あなたがお酒を飲んでいるところが好きよ」
つるり、と梨の皮を切り離して、彼女はふわりと微笑んだ。
どう答えていいか分からないことを、口の中に含んだ秋の食材たちのせいにして、私は沈黙する。
喉がごくん、と音を立てる。

まるで、私の心の内を見抜いたように、彼女は目を細めて、ゆったりと笑う。
さっき感じた照れや愛しさや決まりの悪ささえも伝わってしまったような居心地の悪さを感じて、思わず口を開いてしまう。
気の利いた返事も思い浮かばないのに。

「…ありがとう」
結局、出たのは、よく分からない返答だった。
しかし、彼女は満足そうに、笑みを深くして、にこにこ私を見つめる。

それから彼女は梨を切って、皿に並べる。
熟れた赤い柿と、みずみずしい白い梨とが、小鉢の中に寄り添っている。

「私、あなたが食事しているのを見るのも好きよ」
彼女が微笑む。
その好意を素直に返報できない私は、やはり挙動不審の仏頂面で、蓮根を口に入れる。
彼女が愛おしそうに笑う。
爽やかで健康的につややかな梨のように。

私は、蓮根をかじる。
私も彼女のことをいつか見通せるほどになりたいと、願いながら。

そんなことすら知っているかのように、彼女が笑う。

秋の長夜は、ゆっくり更けていく。

10/13/2025, 3:09:44 PM

込み上げる 切なさ呑み込む ための歌
 鼻唄混じりに さよならと言い

君のため そんな誤魔化し 許さない
 lalala Good 「bye」とは言わせない

10/12/2025, 11:19:58 PM

恋人は、ほんのり磯の香りがする。
どこまでもどこまでも広がる、海の匂い。

すべらかな肩のくぼみに鼻をうずめる。
温かい皮膚の奥から、匂いがふんわりと香る。
体をすぼめて、できるだけ体温を感じられるように抱きしめた。
香水も清涼剤もつけない君の体は、ボディソープと素朴な、君自身の匂いがする。

体をすくめて、目をつむる。
飾り立てのない、清潔で柔らかな君の匂い。
それが、私にはとても心地いい。

こうして君とくっつきあっている間は、あちらこちらの関節がほぐれて、体が幸せに、柔らかくなっている気がする。

君の細い指が、夢うつつに私の背骨をなぞる。
眠っている君の温かさが、私の夢を招いている。

私は目を閉じたまま、ゆっくりと意識を沈めはじめる。
深く、深く、どこまでも。
君の横でなら、私はどこまでも安心して眠れる。

どこまでも続く、広い海の匂いの染みついた、君の横でなら。

10/12/2025, 6:49:48 AM

遠く向こうで、煙突から伸びた煙が、雲につながっている。
私の足は交差点に差し掛かっていた。

知らない道だった。
どこへ行くとも決めないまま、私はただ、ぶらつく足に任せて歩いていた。

今日は本当は予定があったはずだった。
とある行事に参加するため、私は朝から準備を整えて家を出た。
しかし、電車に遅れてしまった。
駅に着いた時点でその行事には参加できないほどの遅刻だった。

駅に降り立って途方に暮れた。
もう用事は無くなってしまった。かと言って、ここまで来たのに何もしないで帰るのは、なんだか不真面目なようで気が咎めるし、損をしたようで癪だ。

だから、私は歩くことにした。
足に任せて、駅からでたらめに歩いてみた。
何度か来ているはずの駅周辺なのに、知らないところは結構あるものだ。
私はなるべく、通ったことのない道や方向をでたらめに選んでは、歩いた。

未知の横断歩道を渡り、未知の交差点を未知の方向に曲がり、未知の店を目印に、辺りを見回す。
歩けば歩くほど、方向感覚は失われていく。
どこをどう歩けば駅まで戻れるのか、既にわからない。
さっき通ったはずの道筋や目印は、一足進むごとに記憶から朧げに消えていく。

それでも私は歩き続けた。
不安と好奇とモヤモヤとした何かを抱えたまま。
靴底をすり減らしながら。

私の足は未知の交差点に差し掛かる。

10/10/2025, 11:38:03 PM

一輪の コスモスの花 咲き誇る
 墓跡の前の 一輪だけが

鳴き交わす カラス会議を 仰ぎ見る
 一輪のコスモス 一つの空き缶

Next