薄墨

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10/8/2025, 12:35:26 PM

たまねぎを剥いて、にんじんにピーラーを当てる。
コンソメキューブをお湯に落として、ぷくぷくと浮かぶ泡を見る。

「愛する」というと、なぜ世の中の人は皆、恋人を思い浮かべるのだろうか。
洗い立てのじゃがいもに、ざっくり包丁を差し込む。
なぜ「愛する」というと、みんなキスだのセックスだの結婚だのを目指そうとするのだろうか。

じゃがいもは、小気味良い音を立てて、ことん、と、半分に割れる。
料理に親しんだ私の手に任せるだけで、たまねぎはすうっ、とくし形に分割され、にんじんは軽やかに半月切りになる。

私たちは恋人でも、パートナーでも、姉妹でも、なんでもない。
ただ、一緒に暮らしていて、日常を分け合って寄り添い暮らす、お互いにとって大切な二人組でしかない。
私たちには、名前のついた関係性はいらない、というより、しっくりこなかった。
だから、私たちの関係に名前はない。

ただ私は、毎日、二人分、できるだけ素朴で、美味しくて、健康的で、愛情がこもっているような食事を作る。
もうすぐ帰ってくる彼女は、すっきりと部屋を整理整頓をし、丁寧にテーブルを拭き、私に笑いかけてくれる。

そして、朝夕、二人揃ってテーブルにつき、温かい食事を一緒に食べる。
夕食の後、お菓子か何かがあれば、お茶を淹れて、二人でゆっくり飲む。
それからそれぞれお風呂に入って、彼女がぴっしり伸ばしてくれたふかふかのシーツと布団にくるまって、眠る。

たまにサボりたい時は、ギトギトしたジャンクフードや甘ったるい炭酸飲料や、体に悪そうなアルコール飲料なんかを二人ではしゃぎながら買いに行って、宴会を開く。
彼女がテレビゲームを起動して、二人で画面を分け合って、バカはしゃぎする。

私たちは、そうやって、幸せを分け合って生きている。
愛おしくて、穏やかで、温かくて、シンプルな生活。
肉体関係も、戸籍の関係も、社会的な名前もない生活。
それでも私たちは幸せで、他人に言われる、「そろそろ関係性をはっきりさせなよ。愛してるならさ」なんて言葉は、迷惑だった。

いや、むしろ、このままの関係性を愛せるところが、お互いに好き。
この関係、この空気感、この間柄…私と彼女にとって、そういうことが愛するということであり、他の人が「愛」と呼ぶ恋愛や情愛や家族愛は、私たちにとっては少々性急で、情緒的すぎた。

愛する、それ故に、私たちは私たちの関係を定義したくなかった。
どこまでも曖昧で、儚くて、脆くても、確かに繋がっていられる今の生活が、私たちにとっての「愛する」ということだった。

コンソメキューブが溶け合い、お湯がごぼごぼと唸った。
切り分けた根菜を、ごろごろと、鍋の中に流し込んだ。

鍋を煮ながら、私は愛する人を待つ。
柔らかい料理の香りが、そっと部屋を包んでいた。

10/7/2025, 3:02:33 PM

静寂の中心にはきっと、深い穴がぽっかりと空いている、と思った。
透明な、公衆電話のボックスの中で、田舎の静寂に耳を傾けている。

今どき、非通知設定の電話番号なんて、企業の固定電話ですら相手にしない。

べたりと張り付いたシャツの水滴を、上辺だけ拭き取る。
周りに溶け込むような半透明の電話ボックスの壁を、雨粒が叩き、撫でて、滑り落ちていく。

雨の音と、風の唸りと、虫の声。
わんわんと喚く静寂の中心の電話ボックスの中では、静寂がどこか僅かに遠く聞こえる。

この片田舎に、次のバスはいつ来るのだろう。
静寂の中心で、穴にすっぽりとハマってしまった。
張り付いたシャツが、私の呼吸に合わせて、微かに波打つ。

静寂の中心で、私は何かを待っている。
静寂の中心には、ぽっかりと深い穴が空いている。
静寂が、穴の外でわんわんわなないている。
電話ボックスの中で、私は冷たく濡れた秋雨が止むのを待っている。

10/6/2025, 9:23:26 PM

落ち葉掻き 火おこし燃える 赤い葉の
 はぜる音聞く 秋の暮れ

夕闇に もみじは紅く もえる葉よ
 月もまだ出ぬ 秋の宵口

もえる葉の 紅き山の端 消すように
 降る秋雨の 冷たさぞ知る

10/6/2025, 5:43:16 AM

月が出ている。
永遠に、同じように光っているとさえ思えるような、丸い月が出ている。

月光は、柔らかな白いカーテンの隙間から、柔らかく飛び込んでくる。
白っぽく、もったりと滑らかな光が、ノートのわずかに膨らんだ白い面を照らす。
moonlitght。
ノートの端に置いた古びた便箋に書かれたその文字が、月明かりにぼうっと照らされる。

月が出ている。
青白い、中秋の、大きな満月だ。
手元に柔らかい月光を受けながら、私は手紙をめくる。

この古びた手紙は、古道具屋でたまたま買ったこの机の引き出しに、たまたま入りっぱなしになっていた。
遠い異国の言葉で、日本語のような順番で単語が並べられたそれは、ちぐはぐで、支離滅裂で、けれどもどこか思いやりに溢れているような気がした。

だから持ち主に渡してやりたいと思った。

大学生になってからというもの、全く使っていない真っ白なノートと、高校時代に読みづらくなるまで蛍光ペンを引いた英語の辞書を引っ張り出した。
手紙の書き出しは一つの単語で始まっていた。
moonlight.

今日は月が出ていた。
まばゆいばかりの、柔らかい月光がさしていた。

バイト帰りで疲れていたはずなのに、私は、吸い込まれるように手紙と筆記用具を手に、机についた。

月明かりが柔らかく風に揺らいでいた。
手紙の、筆で無理やり書かれた下手くそなmoonlight.が輝いて見えた。

月が出ている。
永遠に夜を、同じように眺めてきたのだ、という風に。
カーテンが、夜風にそよいだ。
月の光が、柔らかく飛び込んでくる。

10/5/2025, 6:43:25 AM

「今日だけは 許してよ」と 舌を出す
 絶妙に分かって いない顔

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