薄墨

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たまねぎを剥いて、にんじんにピーラーを当てる。
コンソメキューブをお湯に落として、ぷくぷくと浮かぶ泡を見る。

「愛する」というと、なぜ世の中の人は皆、恋人を思い浮かべるのだろうか。
洗い立てのじゃがいもに、ざっくり包丁を差し込む。
なぜ「愛する」というと、みんなキスだのセックスだの結婚だのを目指そうとするのだろうか。

じゃがいもは、小気味良い音を立てて、ことん、と、半分に割れる。
料理に親しんだ私の手に任せるだけで、たまねぎはすうっ、とくし形に分割され、にんじんは軽やかに半月切りになる。

私たちは恋人でも、パートナーでも、姉妹でも、なんでもない。
ただ、一緒に暮らしていて、日常を分け合って寄り添い暮らす、お互いにとって大切な二人組でしかない。
私たちには、名前のついた関係性はいらない、というより、しっくりこなかった。
だから、私たちの関係に名前はない。

ただ私は、毎日、二人分、できるだけ素朴で、美味しくて、健康的で、愛情がこもっているような食事を作る。
もうすぐ帰ってくる彼女は、すっきりと部屋を整理整頓をし、丁寧にテーブルを拭き、私に笑いかけてくれる。

そして、朝夕、二人揃ってテーブルにつき、温かい食事を一緒に食べる。
夕食の後、お菓子か何かがあれば、お茶を淹れて、二人でゆっくり飲む。
それからそれぞれお風呂に入って、彼女がぴっしり伸ばしてくれたふかふかのシーツと布団にくるまって、眠る。

たまにサボりたい時は、ギトギトしたジャンクフードや甘ったるい炭酸飲料や、体に悪そうなアルコール飲料なんかを二人ではしゃぎながら買いに行って、宴会を開く。
彼女がテレビゲームを起動して、二人で画面を分け合って、バカはしゃぎする。

私たちは、そうやって、幸せを分け合って生きている。
愛おしくて、穏やかで、温かくて、シンプルな生活。
肉体関係も、戸籍の関係も、社会的な名前もない生活。
それでも私たちは幸せで、他人に言われる、「そろそろ関係性をはっきりさせなよ。愛してるならさ」なんて言葉は、迷惑だった。

いや、むしろ、このままの関係性を愛せるところが、お互いに好き。
この関係、この空気感、この間柄…私と彼女にとって、そういうことが愛するということであり、他の人が「愛」と呼ぶ恋愛や情愛や家族愛は、私たちにとっては少々性急で、情緒的すぎた。

愛する、それ故に、私たちは私たちの関係を定義したくなかった。
どこまでも曖昧で、儚くて、脆くても、確かに繋がっていられる今の生活が、私たちにとっての「愛する」ということだった。

コンソメキューブが溶け合い、お湯がごぼごぼと唸った。
切り分けた根菜を、ごろごろと、鍋の中に流し込んだ。

鍋を煮ながら、私は愛する人を待つ。
柔らかい料理の香りが、そっと部屋を包んでいた。

10/8/2025, 12:35:26 PM