薄墨

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9/28/2025, 1:48:16 AM

人を慰める時、拭う前に真っ先に涙の理由を聞くやつは、モテない。
モテないっていうか、分かってない。

目頭に溜まった涙の重たさもそのままに、外へ出た。
外はまだ、朝靄で煙っている。
走り出す。
何も分かっていない、何も分かっていないと唱えながら。
涙が目頭から離れて、少し後ろに落ちる。

顔がぐしゃぐしゃになってしまいそうだ。
涙が顔から流れていき、朝露が顔に張り付いていく。

耳で風を切れるくらい、スピードを上げる。
学生時代、現役で部活をしていた時は、いつもこんなスピードで走り込んでいたものだった。

涙の理由。それ自体は、どうだってよかった。
いや、どうでもよくはないけれど、説明するほどでもなかった。
ただ、嫌なことが何度か重なっただけなのだ。
嫌なことが毒のようにじわじわ効いていって、ふと、決壊しただけ。
別に理由があったとか、そんなことじゃないのだ。

鬱病の時、訳も分からず涙がこぼれるあの感じ。
あの状態なだけなのだ。

その状態の同居人にかける言葉が「なんで泣いてるの?」って!
分かってない。なーんも。

それが悔しいのだ。
同居人が期待外れだったことではなくて、そんなデリカシーのない、何にも分かってない奴に涙を見せてしまった私が。

こんなことなら、散歩しながらでも泣けばよかった!
悔し涙が溢れてきて、私は強く足を踏み込む。
スピードを上げる。

涙の理由を聞くなんて、分かっていない。
何にも分かってない。

9/27/2025, 3:07:30 AM

「早く決めて。コーヒーが冷めないうちに。」
2人分のマグカップに、ブラックコーヒーを注ぎながら、
決断を迫る夜。

9/25/2025, 10:43:57 PM

シュレディンガーの猫は死んでいた。

自分が分岐点だと感じていたところが、本当にパラレルワールドを作り出す決定的な分岐点だなんて、人間の思い上がりも甚だしい。
自分たちの決断で世界を左右できるなんて、ひどい思い上がりだったのだ。

パラレルワールド理論は真理だった。
選択の数だけ、世界は分岐し、並行して時間は過ぎ、パラレルワールドが形成される。
だからこそ、計算通りパラレルワールドに干渉すれば、私の計画もまた、完璧に遂行できるはずだったのだ。

しかし、私は思い違いをしていた。
パラレルワールドは、人の決定、人の決断だけが、形成するわけではないのだ。
パラレルワールドを別つ条件付けは、人の営みだけではない。
自然、環境、災害、運命、今までの生、他の動物の命…数多の条件が複雑に絡み合って、パラレルワールドは分たれる。

…つまり、人類だけが行動を改めたところで、パラレルワールドに行くことは叶わない。
シュレディンガーの猫は、確認せずとも死んでいたのだ。

だが、そうであっても私は諦めきれなかった。
なんたって懸かっているのは、私の推しの存亡だったから。

推しに出会った時は、一目惚れだった。
Vなる彼女が画面越しにとはいえ、こちらに微笑みかけてきた時、私の第二の人生が始まったのだ。

彼女がスクープと誹謗中傷に晒され、引退を表明したその時に私は死んだ。

私は私を生き返らせるために、灰色の人生を変えるために、パラレルワールドに辿り着きたかったのだ。

しかし、それももはや叶わない。
私の夢見たパラレルワールドは、存在しない。
存在したところで観測できない。
辿り着くこともできない。

なぜなら、私には推しと出会わない、という選択肢がないからだ。
私には、彼女に惚れないという選択は、とれないから。
私が観測できるすべてのパラレルワールドで、彼女は、引退を表明し、死に、私の前から去るだろう。

シュレディンガーの猫は死んでいた。
選択肢の数だけ、パラレルワールドがあったとしても。

9/24/2025, 2:01:37 PM

とけいのはりがかさなって、とけいがぽーん、となる。
まだちいさいぼくでもわかる。
12じだ!

時計の針が重なって、ぐぅんと大きく伸びをする。
もうすぐ昼休憩の時間だ。

時計の針が重なって、鳴り出したアラームをとめる。
そろそろサークルに顔を出しにいく時間だ。

時計の針が重なって、目覚まし時計を叩いて起きる。
夜勤明けのブランチを作る時間だ。

時計の針が重なって、正午をラジオが告げる。
さあ、いよいよ、今日のピークがやってくる。

時計の針が重なって、白い湯気がふわふわとたつ。
もうすぐ饅頭が蒸しあがる。

時計の針が重なって、荷物を取りまとめて立ち上がる。
今から乗らなきゃならない列車が来る。

時計の針が重なって、慌てて組んでいた腕をほどく。
もう帰らなくてはいけない時間。

時計の針が重なって、からくり時計が動き出す。
もう待ち合わせの時間は過ぎているのだけど…。

時計のはりが重なって、日直さんが前に出る。
いただきますの、給食の時間。

時計の針が重なって、トンビたちが騒ぎ出す。
もうすぐ飯を持った人間が、公園にやってくる時間。

時計の針が重なって、チッチッ時を刻み出す。
ふぅ、どうやら上手く直った。

時計の針が重なって、私は装置をひっぱりだす。
元の時代に帰る時間だ。

9/23/2025, 2:25:22 PM

私が描かれたのは、ずっと昔のこと。
まだ、スマホどころか、カメラなんてハイテクなものすらなくて、一瞬を保存するなんて大それたことは、それこそ魔法でもなくてはできなかった、ずっと昔のこと。

宮廷付きの画家が精密描法なんかを使って、宮廷行事や宴会の様子を記録していた、そんな時代のことよ。
私が描かれたのは。

私の親愛なる父_あの王様の城の宮廷画家だった彼が、その日呼ばれたのは、舞踏会だったの。
その舞踏会は、近隣の国の貴族同士の交流会、という名目だったけれど、それの他にも目的はあった。

その当時、舞踏会が開かれた3日前に、その城の主人である、若き王は結婚適齢期を迎えていたのよ。

若き王は、変わったお方だった。
私の父_つまり私を描いた画家のことだけれど、彼だって、その当時は貴族にウケない、街角の一介の、平民の記念日に記念画を描きに行くような、そんな一般画家の1人だったの。

それを見出したのが若き王。
それだけでも当時は不思議なことだったけれど、もっと不思議だったのは王が、父を取り立てたその理由。

若き王は、理由を尋ねた父に言ったらしいの。
「貴殿の絵には、国の声が籠っている。聴こえるのだ」

…こんな風に、父が仕えた王は、変わっているけれど、治世は安定した、とても不思議な王だったというわ。

私に描かれたこの舞踏会は、そんな王の婚約者探しも行われていた、そんな会を記録したものなの。

私の真ん中、右側に大きく描かれている、左側の、グラスを傾けている女性に、手を差し伸ばして、声をかけている紳士がいらっしゃるでしょう?
彼が、ウワサの王なの。

この王、なんとおっしゃっていると思う?
「僕と一緒に踊ってください」?
「僕と一緒に飲みませんか」?
…いいえ、実際は、かの王はこうおっしゃったのだって。

「僕と一緒に、この国の決断をしてくださいませんか」

…あなたたちにはわかるかしら?
変わった王の変わった口説き文句でしょう?
つまり、王が生涯の妻を見そめた瞬間を描いたのが、この私というわけなの。

後に私の父が、王になぜこの貴族の娘を見そめたのか、と聞いた時、かの王はこうお答えしたらしいわ。
「あの娘は私と同じ。国の声を聞いていたからだ。」
「僕は、生涯の伴侶には、僕と一緒に、国を愛して欲しかったのだよ」

…変わった王でしょ?
実際、王様の妻は、王様に引けを取らないくらいの名君であられたそうよ。
理知的で、変わり者の彼らに統治されたかの国のその一代は、たいそう繁栄したのよ。

私はその時を、父が閉じ込めた時の記録画なの。
名君が名妃を見そめ、声をかけたあの瞬間。
名君の「僕と一緒に」を閉じ込めた、繁栄の始まる瞬間を。

私は父に、たいそう愛されたの。
父は、あの王様に忠誠を抱いていて、かの王の一生を描いたけれど、私はその中でも、父の一番のお気に入りだったのよ。

父は私をこう呼んだわ。『運命の時』と。
かつて、ここに描かれたお妃その人は、王の前で冗談混じりに私をこう呼んだ。『僕と一緒に』

私は、その愛をずっと抱いて存在してきたの。

もう今からずっとずっと昔のことよ。
まだ、写真もスマホも動画さえもなかった時代のこと。

あなたたちにも伝われば、嬉しいわ。

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