私が描かれたのは、ずっと昔のこと。
まだ、スマホどころか、カメラなんてハイテクなものすらなくて、一瞬を保存するなんて大それたことは、それこそ魔法でもなくてはできなかった、ずっと昔のこと。
宮廷付きの画家が精密描法なんかを使って、宮廷行事や宴会の様子を記録していた、そんな時代のことよ。
私が描かれたのは。
私の親愛なる父_あの王様の城の宮廷画家だった彼が、その日呼ばれたのは、舞踏会だったの。
その舞踏会は、近隣の国の貴族同士の交流会、という名目だったけれど、それの他にも目的はあった。
その当時、舞踏会が開かれた3日前に、その城の主人である、若き王は結婚適齢期を迎えていたのよ。
若き王は、変わったお方だった。
私の父_つまり私を描いた画家のことだけれど、彼だって、その当時は貴族にウケない、街角の一介の、平民の記念日に記念画を描きに行くような、そんな一般画家の1人だったの。
それを見出したのが若き王。
それだけでも当時は不思議なことだったけれど、もっと不思議だったのは王が、父を取り立てたその理由。
若き王は、理由を尋ねた父に言ったらしいの。
「貴殿の絵には、国の声が籠っている。聴こえるのだ」
…こんな風に、父が仕えた王は、変わっているけれど、治世は安定した、とても不思議な王だったというわ。
私に描かれたこの舞踏会は、そんな王の婚約者探しも行われていた、そんな会を記録したものなの。
私の真ん中、右側に大きく描かれている、左側の、グラスを傾けている女性に、手を差し伸ばして、声をかけている紳士がいらっしゃるでしょう?
彼が、ウワサの王なの。
この王、なんとおっしゃっていると思う?
「僕と一緒に踊ってください」?
「僕と一緒に飲みませんか」?
…いいえ、実際は、かの王はこうおっしゃったのだって。
「僕と一緒に、この国の決断をしてくださいませんか」
…あなたたちにはわかるかしら?
変わった王の変わった口説き文句でしょう?
つまり、王が生涯の妻を見そめた瞬間を描いたのが、この私というわけなの。
後に私の父が、王になぜこの貴族の娘を見そめたのか、と聞いた時、かの王はこうお答えしたらしいわ。
「あの娘は私と同じ。国の声を聞いていたからだ。」
「僕は、生涯の伴侶には、僕と一緒に、国を愛して欲しかったのだよ」
…変わった王でしょ?
実際、王様の妻は、王様に引けを取らないくらいの名君であられたそうよ。
理知的で、変わり者の彼らに統治されたかの国のその一代は、たいそう繁栄したのよ。
私はその時を、父が閉じ込めた時の記録画なの。
名君が名妃を見そめ、声をかけたあの瞬間。
名君の「僕と一緒に」を閉じ込めた、繁栄の始まる瞬間を。
私は父に、たいそう愛されたの。
父は、あの王様に忠誠を抱いていて、かの王の一生を描いたけれど、私はその中でも、父の一番のお気に入りだったのよ。
父は私をこう呼んだわ。『運命の時』と。
かつて、ここに描かれたお妃その人は、王の前で冗談混じりに私をこう呼んだ。『僕と一緒に』
私は、その愛をずっと抱いて存在してきたの。
もう今からずっとずっと昔のことよ。
まだ、写真もスマホも動画さえもなかった時代のこと。
あなたたちにも伝われば、嬉しいわ。
曇りの日、肌の黒いあの子と一緒に拾った猫だから、cloudy。
灰色で、小さくて、気まぐれな僕の飼い猫。
今は棺の中で、静かに眠っている。
cloudyは、曇り空というより、埃の塊みたいだった。
部屋の隅でころころ走り回る様子は、箒に転がされ、風に吹かれて転がる、埃の塊そのものだった。
…拾ったときも、箒で転がされていたし。
だから、僕はあの時、一緒に助け出した子猫にdustとつけよう、だなんて、無邪気にもひどい提案をした。
今思うと、本当にひどい案だった。
あの子は目を見開いて、ひどく傷ついたような顔をして、それから、勢いよく首を振ったのだ。
僕はあの頃、何も知らない無邪気な少年だった。
動物虐待という言葉も、人種差別という言葉も、排他主義というイデオロギーも、いじめという言葉の実感さえ持たない、未熟で無知で幸せな子どもだった。
あの日、泣きそうな顔で子猫を助けに行った友人の、あの切羽詰まった悲しそうな形相の理由も、助け出したcloudyの病的なほどの怯えも、当時の僕には、全く訳の分からないものだったのだ。
あれから、cloudyは僕と一緒に大きくなった。
cloudyを共に助け出した友人のあの子は、僕らが成人する間に、政策やら世間体やらに追い詰められて、とおに、遠くへ行ってしまった。
僕の少年時代、無邪気で穏やかで何もかもが新鮮で楽しかった思い出は、みんなあの子とのもので、人間に失望した哀しく辛い思い出も、大抵あの子とのもので、
それを時折、忘れないように抱かせてくれるのが、いつまでも、ふわふわと綿埃のような毛並みをしたcloudyだった。
cloudyは今、棺の中にいる。
僕の少年時代と一緒に。
cloudyはきっと、本物の雲になるのだ。
火に焼かれて、煙になって。
そして、僕とあの子の頭の上に、あの日のように、優しく、どんよりと立ち込めるのだ。
僕はcloudyに別れの挨拶をする。
僕の愛猫と、僕の思い出と、あの子に、別れの挨拶をする。
虹のカケラが落ちていた。
半円型の、よくある🌈こんなやつ。
拾って、空にすかしてみる。
虹は鮮やかに屈折し、やにわにくっきりと輪郭を保ち始める。
虹のカケラを拾い集めて、一つの虹の円弧を完成させたらどうなるのだろうか。
虹の架け橋は、僕たちを見知らぬ世界へ連れて行ってくれるのだろうか。
空島には、今日も鞭の音が鳴り響いている。
僕ら地上を知らない天上民は、今日も、地上を循環した経験のある土民たちに仕え、道具のように使われている。
地上へのご降来を賜れれば、僕たちも土民になれる。
そんな教えはあるけれど、その機会は限りなく遠いものだった。
一部の土民の子どもたち以外の子ども…僕たちは地上の知識はおろか、天上での教養さえ、身につけることはできなかったからだ。
僕たちはただ働いて、自分が天上社会の何の歯車をしているのか、どこの部品なのかさえも知らずに、ただ働いて、ただ死ぬだけだった。
そんな僕の人生の唯一の慰めといえば、それは、この世界に他ならなかった。
僕たちの現実とは裏腹に、ここはとても美しい場所だった。
僕たちの身体はいつだって、優しく五色に彩られた柔らかな地面が受け止めていてくれたし、まばゆい太陽は、いつでも僕たちを照らしてくれた。
そして、天上にはよく、虹のカケラが落ちていた。
ぼんやりと七色に輝く美しいそれは、空に透かせば、はっきりとその輪郭を保つことから、僕たちの預かり知らぬ遠い空からの落とし物とされていた。
その虹は、繋げればきっと、架け橋のようになっていて、僕たちの知らないずっと遠くの、どこかの空の、空と空と、空と地上と、空と海とを繋いでいるのだ、そういう伝説があった。
しかし、その伝説を裏付けるものは、何も見つかっていない。
虹の架け橋。
それは今や生まれながらの天上民の赤ん坊でさえ、知っている御伽話じみた伝説だ。
贄さえ知っていて、ただの伝説だ、と笑い飛ばすような。
虹のカケラは、空にくっきりと輪郭を保つ。
いつもなら鼻で笑って、投げ捨てているはずなのに、なぜだろう。
なぜだか、今日に限ってそれは、紛れもない現実の希望のような気がして、僕はカケラをポケットにしまった。
遠くで鞭の音が聞こえる。
近づいてくる。
僕は歩き出す。
僕の現実へ。
既読がつくか、つかないか、なんて、今まで気にしたこともなかったのに。
「今日は何時に帰ってくるの」
「お弁当、忘れていったでしょ。昼ごはん、どうしたの?」
「今週はちゃんとうわぐつ、持って帰ってくるのよ」
なかなか既読がつかないメッセージに、気を揉む日々。
慌ただしくて、イライラして、でも幸せな、私の日々。
爪の先 秋色に塗り 歩き出す
九月の蝉の 歌の中へ