記憶の中の君の背中は、いつも、乾いた硝煙と砂埃の向こうに見えた。
土埃と、汗と、泥とに塗れた人々の上に、分厚い銃声がのしかかっていた。
君の背中を追っていたのは、私が惚れたというわけでもなく、君が優れた上官だったというわけでも、勇気に溢れていたわけでもなくて、ただ君が、現場を知らない無能の命令にすら忠実に、無鉄砲に突進する、素直だけが取り柄な忌々しい新兵だから、という理由だった。
前時代的な老兵が語る武勇伝や英雄譚に屈託なく目を輝かせるアホンダラな君の襟首を掴んで、塹壕に引き摺り込む必要があった、或いは、君の死角のカバーのために、君の背中を追って君の元までいく必要があった、というだけだった。
土埃に似合わないむつかしい方程式を解ける頭を持っていて、体力はないのに無駄に愛嬌があって、色白で、女みたいだ、なんて可愛がられて、その冗談の勢いで、私の部下になった奴だった。
性懲りも無く、無邪気に戦線へ向かっていって、私はその度に君の背中を追って一走りせねばならなかった。
そんな数年間だった。
怒鳴られれば首をすくめて、目が合えば屈託なく笑い、命令を受ければ張り切って敬礼をした。
そんな君の背中を追わずによくなって、もう10年が経とうとしていた。
君の背中を追わなくなって、私の前方は随分静かになった。
君のように、騒がしくて無鉄砲で向こう見ずな奴、そうそういないからだった。
私の前方は随分静かになった。
ちょっとの油断、ちょっとの隙が致命的になる。
土と汗と泥と血に塗れたここは、そういうところだった。
時折、向こうの土埃の中に、君の背中を見る時がある。
もう10年も経ったというのに、君の背中は相変わらず無鉄砲で、生気に満ちていて、元気で、まだ若いままだ。
もう追う必要も、私が心配する権利もない、君の背中。
それでも、時折、私は君の背中を追ってしまうのだ。
土埃の中に、勢いよく駆け出す君の背中を。
好き、嫌い、好き、嫌い、
もきゅ、もきゅ、もきゅ、
ランダムな、チーズ、が、
明日、の、リボン、の、鉄。
好き、嫌い、好き、嫌い、
薊、が、笑う。
猫、が、流れる。
リズム、を、吐く、騒ぐ。
もきゅ、もきゅ、もきゅ、
シナプス、と、チョコレート、の、色、と、混ざる、世界、の、果て、に、さざめく、水、の、硬さ。
好き、嫌い、好き、嫌い、
分からない、小人、と、カレーパン、の、物理演算、の、世界、が、迷子、に、なって、今、ワードサラダ。
好き、嫌い
言葉、を、主食、に、する、には、鍛錬、が、果てしなく、戻らない。
知らない、食べ物、を、からく、総て、噛み砕き、電気信号、を、体全身、に、巡ら、せる。
好き、嫌い、好き、関係、なく、
アイス、と、暖炉、の、調理、していない、サラダ。
もきゅ、もきゅ、もきゅ、
ただ、味蕾、を、焼き付ける、爽やかな、乱雑な、アヒル。
あまりに、恋、で、ささやかな、生焼け。
もきゅ、もきゅ、もきゅ、
好き、嫌い、好き、嫌い、
ショート、する、元素、と、炎色反応、を、する、ピザ、の、白紙。
もきゅ、もきゅ、もきゅ、
好き、嫌い、好き、嫌い、
鮮やかな、洞窟、に、黒い、トマト缶、が、遠く、山、の、向こう、に、のんびりと、散る。
噛み締めた、地上、は、バラバラ、に、頽れて、ただ、苔、焦げる。
※こちら、当店自慢の「本日のワードサラダ 素材の味をしたためて」でございます。
おいしさは保証致しませんが、好き、嫌い、はあるはずです。
どうぞ、落ち着いてご賞味ください。
そして、食べ終え、空が飛びましたら、ぜひ「本日のワードサラダ ドレッシングとクルトンを中心に」をご賞味くださいませ。
泣き腫らした顔だった。
雨は止んでいた。
雨が土やコンクリートを濡らした香りだけが、ただ残っていた。
びしょ濡れで帰ってきたあの人は、頬に涙の跡をつけていた。
もっとも、それを雨の跡と見分けられたのは、あの人を観察していた私くらいだったろう。
メインストリートに面しているこのカフェは、気の良い優しいオーナーの影響か、コーヒや紅茶一杯で、何時間も居座ることができたから、さまざまな人がやってくる。
人間観察にはもってこいのカフェ。
私はこのカフェによく訪れた。
ここで、私はよく人間観察をする。
次の作品のネタ探しにだ。
コーヒー、時々紅茶を頼んで、店全体を見渡せるこの奥の席で、マグカップの中の液体を啜りながら、今日も私はカフェのお客を観察していた。
その中に、あの人はいたのだ。
おとなしそうで、穏やかそうだった。
店にも静かに入ってきたし、落ち着いていたように見えた。
あの人は、すぐに窓際の席に座って、ラテを飲んでいた。
様子がおかしくなったのは、雨の降り始めた数分前からだった。
急な夕立。
激しく降り出した雨をぼんやり窓越しに眺めていたあの人は、突然、ハッと何か思いついたような顔をして、それから雨の降る外へ向かって、慌てて走りだしたのだった。
きっと、あの人は、人前で涙を見せたくなかったのだ。
泣くならひっそりと、誰にも悟られないよう、分からないように泣きたかったのだ。
夕立は長くは続かない。
雨が降り止むと、あの人はずぶ濡れで戻ってきた。
ずぶ濡れなあの人を、邪険に追い払ってしまう店なら、行きつけにしなかっただろう。
この店も例外ではなく、オーナーはそっと、あの人のテーブルに、あたたかいココアを運んだ。
枝と枝の間の景色の真ん中に、一本の、透明な細い糸が張り詰めている。
細い。
よく目を凝らしてみないと見えないほど、細くて透明で、頼りない糸。
しかし、この糸は、絹糸より強いという。
この糸をよく探して、集めて、ひと束にまとめる。
それが、私の仕事だ。
こんな糸を集めて、何をするのか。
それは末端で糸集めとして働く私には分からない。
ただ、毎年毎月、結構な量の糸が必要とされている、ということだけは、わかる。
ノルマの傾向から。
今日集めたこの糸は、染色係班のredに引き渡す用なのだそうだ。
先輩によれば、ここ二、三年は、染色係班に卸す糸は少なくなってきたのだそうだが、それでも、染色係班に卸す糸はかなり多い。
二番目に多い卸先だ。
ちなみに今年の卸先で一番多いのは、インフラ加工係班らしい。
彼らはこの糸を用いて、ネットワークを構築している、と言われているが、無学な私には、よく分からなかった。
私は、枝と枝の間の空間に張り詰めている糸を、仕事用具で絡めとった。
なかなか長くて助かった。
あと3、4本も見つければ、今日の分は達成できるだろう。
ねばねばと、少し粘性を持った透明の糸の束を抱え直す。
蜘蛛を探さねば。
この糸は、蜘蛛と一緒にあることが多いのだ。
私は、景色に目を凝らしながら、山道を歩く。
蜘蛛と、透明な蜘蛛の糸を探しながら。
子供が手を伸ばしている。
棚の上のおもちゃを取りたいらしい。
しかし、あのくらいの子が、自力で取れる高さではなさそうだ。
棚は背が高い。
子供よりずっと。
絶対に届かないだろう。
届かないのに、諦め悪く、子供は手を伸ばし続けている。
届かないのに。
水っぽいアイスコーヒーを一口、飲んだ。
子供はまだ手を伸ばし続けていて、その保護者らしい大人はスマホを熱心に見つめていた。
ショッピングモールは騒がしかった。
ここ、ショッピングを待つ子供と親が過ごすための、ふたばスペースだかの、子供用遊戯スペースは、特に騒がしかった。
我が意を得たり、とばかりに、遊戯スペースの隅から隅まで走り回る子供。
他の子供と喧嘩をして、半泣きで言い合う子供。
おもちゃを乱暴に投げ捨てる子供。
大人に付き合わされている休日の鬱憤ばらしに、思い思いの形で好き勝手している子供たちは、本当に騒がしい。
騒がしい。
しかし、その騒がしさは、私には手が届かない。
あの、棚の上のおもちゃに手を伸ばし続けている子供のように。
私はいくら頑張っても、目の前で繰り広げられるこの騒がしさに手を届かせることはできないのだった。
ショッピングモールへは、買い物に来たのではなかった。
涼みに来たのだ。
その日を暮すのもやっとな日銭しか持たない私のような人間は、炎天下の今日のような日は、せめて入場にはお金のかからない施設にどうにか潜り込んで、ぼんやりと1日1日をやり過ごすしかないのだった。
だから、ここへ来た。
ここには、買い物にくたびれて、ただぼんやりとツレを待つ人が集まる。
じっとしていても、スマホを熱心にいじっていても、不審に思われないのだった。
私は、ぼんやりと、遊び続ける子供たちを眺めた。
金切り声をあげ、はしゃぎ、それでも周りの煩雑な騒がしさから、咎められることもなく、休日の鬱憤を晴らし続ける子供たちを。
アイスコーヒーを一口飲んだ。
氷が溶けてしまったからか、やけに薄く、そして微かに苦かった。
あの子供はまだ、棚の上に向かって手を伸ばし続けていた。
届かないのに。