I love you
エアメールの、手紙と詩の末尾に添えられたその「love」は
恋か、愛か、それともただ単なる大好き!か、
言葉の下手な私は、それを判断できないでいる。
約束だよ、小指絡めたあの日が
世界でいちばん幸せだった。
チューブに絡みつかれ、もはや病室のベッドの一部になっている君を見て、ふとそんなことに気づいた。
君の小指を、あの日のように絡めることは、もう叶わない。
無機物のように呼吸する、君の寝顔を眺めた。
こうならないように、君は私の家から出ていったのではないのか。
話が違うのではないか。
そう問いかけてみても、君はもう答えられないのだろう。
君が出ていったのは、空気の綺麗な場所で療養するためだった。
君はアレルギーが多くて、花粉症の類に散々悩まされてきたから、謎の有害物質がどこからか見つかり、徐々に汚染が進み始めている、この大都市を離れていかなければならないことは、よく分かった。
だから、私も君を送り出した。
もう少ししたら、私も君の元へ行くよ。この仕事が落ち着いたら、すぐに。
そんな話をして、そしたら君は笑って
「約束だよ」
私たちが約束をする時は、必ず小指を絡めて、ゆびきりげんまんをする。
初めて出会った小学生の頃からの取り決めだったから、私とあなたは、あの日も、例に漏れず、どちらからともなく小指を絡めた。
あの日が最後だった。
次に君と出会った時には、君はもう無機物の一部になってしまっていた。
植物状態。生命維持装置。脳死。
そんなフィクションの世界でしか聞いたことのないものを現実に突きつけられて。
君がどうしてこうなってしまったのかも、未だに分かっていない。
約束が破られたまま、私に突きつけられた現実は、受け入れ難い。
悪夢のようで、夢であってほしかった。
しかし、現実は今日も私の目の前に横たわっている。
無機物の君が、私に鋭い現実を突きつける。
君は返事をしない。
私を慰め、励ましてくれる君は、もう病室の景色の一部分となって、沈黙を守っている。
約束だよ、小指を絡めたあの日が
世界でいちばん幸せだった。
一夜だけ 純白の傘の その中で
インク溢して 秘密描きけり
(返歌)
一夜だけ 一夜のみけり 念押せば
後朝消ゆる 傘も秘密も
窓からはまだ水が滴り落ちていた。
雨は上がった。
外の景色は、しわも伸ばしていない洗い立ての洗濯物のように、すっきりと洗われて、しわくちゃのまま、晴れた日差しの下に晒されていた。
義肢の接合部の金属が、小さく軋んだ。
そよ風に、重たそうに雨粒が揺れていた。
さっきよりもずっとおとなしくなった風が、葉を揺すっている。
雨樋から落ちる雨粒を数えて、煙草を咥える。
グラス棚の透明感を測り、酒瓶とシェイカーを並べる。
つまみの軍時用チョコレートの数を確かめてから、カウンターのラジオのアンテナを伸ばし、つまみを捻る。
ジジッ
軽いノイズの後から、戦況報告やプロパガンダCMがなだれ込んでくる。
ベッドのシーツの皺を伸ばす。
テーブルを軽く拭いて、カウンターに戻る。
煙草に火をつけて、窓の外を眺める。
ここに来てから、もう一年が経とうとしている。
国境間際の、環境があまりに開拓に向いてなさすぎて、奇跡的に戦線になっていない山岳の空白地帯。
戦場から退いて、ここに密やかに店を開いてから、もう一年。
戦線から逃れたり、最期を迎えようとしたりしている兵士のために、こんなバーを開いてから、もう一年が。
経とうとしている。
雨上がりの外景は、すっきりと洗いたてで、鮮やかだ。
日の明るい光に照らされた外を眺めながら、暖炉に火をつける。
おそらく、今日ここで飲み食いできる人間は、みんな冷え切って、血色の失せた白い指先をしているだろう。
雨上がりの外は、美しい。
特に、さっきの、風もあるような大雨の後は。
全てが洗われ、吹きさらされ、擦り合わされて、すっかり綺麗に流されるから。
しかし、当事者の人々が、そんな美しさに気づくことはない。
戦場の風景はいつどこだって、灰色なのだ。
だから今、雨上がりの美しさを堪能しようと思ったら、戦争に関係のない場所に行くしかない。
ここのような。
ここはこの辺で唯一、雨上がりを楽しめる場所だ。今のところ。
ミルクパンを火にかける。
温かいスープでも、作っておこうと思った。
トマト缶やインゲン豆の缶詰を、鍋の中にぶちまける。
雨は上がった。
雨上がりの青々とした空が、窓の外に広がっている。
洗い立てのシャツから洗剤の香りが立つように、抜けるような雨の香りが、まだしている。
くつくつ、と、鍋の中が俄かに騒ぎ出す。
あまり美味しくはないが温かい香りが、少しずつ立ち上り始める。
煙草の煙が揺れる。
ガタンッ
ガラン
扉の向こうから音が聞こえた。
「勝ち負けなんてくだらない」なんて言えるのは、勝ち負けを重要視しなくていいくらいに勝ちまくった勝ち組のブルジョワか、そう言いでもしなきゃプライドを保てないくらいに負けて負けて負けまくった一部の層。
それか、勝ち負けが人生を左右するなんて思いもしていない、そして自分が一定数勝ち残っているなんて認識もしない、鈍感な怠け者か。
そんなもんだと俺はそう思う。
握りしめたテストの順位は、500人中70位。
これでは成績優秀者の奨学金は出ない。
つまり俺は、今回の勝負は負けた、ということになる。
それなりに敗者の子どもが、誰にでも勝てる勝者に這い上がるためには、どうしたって奨学金は必須だ。
その点で、俺にとってこの勝敗は死活問題なのだ。
どんな勝負にだって、俺みたいに“本気にならざるをえない”層はいる。
俺たちがテレビで呑気に観戦したり、話のタネにしたりしているスポーツだって、当事者たちにとっては、収入や雇用形態をかけた本気の勝負だし、
そういうところを目指していたり、そういう一芸で特待を得たりしている学生にとって、体力テストや総体や部活の大会なんてのは、俺の定期テストと同じくらい重要だ。
だから間違っても、
「高校時代の勝ち負けなんてどうでもいいのよ。奨学金が出なくたって。そこそこのとこに行ければいいんだから。70位なんて、やるじゃない」
こうやって、子どもの勝ち負けを軽んじて、見当はずれの慰め方をするような、うちの親みたいな大人にはなりたくない。
だから、俺は勝ち負けの世界にいきたいのだ。
勝ち負けの重要性を、勝ち負けにこだわれる人間の気持ちを知る立場でいたいのだ。
そのために、勝ち負けにこだわるのだ。
誰に何回、「勝ち負けなんて」と言われようとも。
冷笑されようとも。
同情されようとも。
間違っても、うちの親みたいに外野から、「勝ち負けなんて」なんて言わないように。
自分の部屋に上がる。
次こそは勝利を勝ち取らなければならない。
今日も、俺はシャーペンを取る。
「勝ち負けなんて」なんて言わない大人になるために。