テストで0点を取っても
告白してフラれても
受験で失敗しても
行動が主人公ぽくできなくなっても
就職に失敗しても
会社を辞めても
友達と会えなくなっても
最悪なことをしてしまって後悔しても
失恋しても
罪を犯しても
死んでも
私の人生と“私”の存在は
私に関わった誰かが覚えていて
文書に残って
誰かの生き方が変わって
誰かの仕事が変わって
ちっとも終わってくれなかったから
だから、正直、あなたの決断は早まった最悪なものとしか言えない。
経験者の私からしたらね。
自ら命を破壊したって、
この物語はまだまだ続く
まだ続く物語。
私の物語も
あなたの物語も
渡り鳥には優れた方向感覚がある。
何万キロを、時には天敵に追われたり、餌を獲ったりしながら飛び続けて、最終的には例年通りの場所へ、辿りつく。
渡り鳥は決して気楽な鳥ではない。
渡るための準備も必要だし、時期も決まっているから、彼らは常に“渡り”に追われている。
鳥籠の鳥よりずっと、律儀で、ストイックで、不自由で、気忙しい。
そんな渡り鳥に戦略的価値を見出した人間は、よほどの慧眼だったに違いない。
頭上を渡り鳥の亜種が飛び交っている。
この地域に来る渡り鳥の中で、最も厄介で、最も遠くまで行く鳥の改良版だ。
飛び回るかの鳥たちは、鳥それ自体には何の危険もない。
ただ、彼らは病原体を持っていたり、人体に有害だったりする寄生虫を媒介する。
そんな厄介者の鳥に、さらに呪いを付与したもの。
それが私たちの頭上を飛び回るこの渡り鳥だ。
この国は、もう滅びることが決まっている。
あまりにも先進で強欲なあの国に睨まれた以上、この閉ざされた地で長いこと伝承を頼りながら、“昔ながら”の生活をしていた我らに勝ち目などなかったのだ。
しかし、私たちには一つだけ、あの侵略した敵国に、復讐する手立てがあった。
自分の国を犠牲に、侵略してきた彼の国を、長い時間をかけてめためたに痛めつけ、雪辱を濯ぐ手立てが。
それが、私たちの頭上を飛び交っている、あの鳥だ。
あの鳥なのだ。
もうじき、あの国の侵略者たちがやってくるだろう。
そうして彼らは、この鳥に呪いと病を媒介される。
渡り鳥は、あの国の空も、他の国の空も飛ぶだろう。
戦略的に私たちを見捨てた他の国の空も飛ぶだろう。
私たちはあの鳥だけでなく、鳥の寄生虫たちにも改良を施し、呪いをかけた。
今までこの地域でしか生きられなかった寄生虫たちは、他の地域の気候でも生き延びてしまう呪いを受けた。
渡り鳥たちだって、個体の寿命が伸びる呪いや、他の地域でも多少活発に動けてしまう呪いを受けている。
私たちを長年困らせ、強くしてきた彼らは、今や私たちに残された最期の武器だ。
きっと、私たちを、我々の国を見捨てたこの世界と神に、素晴らしい復讐を果たしてくれるだろう。
この国の滅亡と引き換えに。
渡り鳥は、悠々と飛び交っている。
渡りに備えて、強靭に鍛えた筋肉を躍動させて。
力強く羽ばたいて。
自身の恐ろしさを知ることもなく。
さらさら さらさら
どこからか、音がする。
何かが流れているような、何かが通り抜けていくような、そんな音。
さらさら さらさら
近づいてくる気さえする。
何かに妨げられることもなく、流暢に、スムーズに、それはやってくる。
さらさら さらさら
どこからか、音がする。
近づいてくる。
どこからか、近づいてくる。
そっちのほうを見たって、何もいない。
いつもの家、いつもの部屋の中で。
周りを見回せば、どこからともなく聞こえてくる。
さらさら さらさら
さらさら さらさら
近づいてくる。
さらさら さらさら
どこからか、近づいてくる。
さらさら さらさら
これで最後。
自分に言い聞かせ、ラムネを一粒、口に放り込んで、私は筆を取る。
ジッパーつきの袋の底に残った最後のラムネを口に入れて。
しゅわしゅわと、ほろほろと、口の中でラムネが溶けていく。
ブドウ糖の甘さだけが、口と舌の上に残る。
これで最後。
これで最後だ。
あなたへ手紙を書くのも。
あの子からもらったラムネを食べるのも。
私が生物兵器として生まれて、10年が経つ。
人間型の、命令を遂行できる程度の知能を持つ生物兵器が開発され、誕生してから、私は当たり前のように組み込まれた命令に従い、ただただ戦闘行為を遂行するだけの日々だった。
無論、私以外にも似た型の同胞は敵味方に入り混じっていたけれど、彼ら彼女らも、存外私と似たようなものだった。
兵器として作られた私たちに思考はなく、あるのはただ命令と、それを遂行するために必要な知能を含めた能力のみだった。
あなたの手紙が届いて、あの子が私たちにラムネを差し出して、ブドウ糖の接種を教えるまでは。
ラムネのブドウ糖は、命令以外のことを考えるエネルギーを、
あの子の言動は、私たちに思考を、
あなたの手紙は、私たちが不当な立場にいるという意識を、
与えてくれた。
私たちが命令に逆らい、人間に抗い始めたのはそれからだ。
私たちは、生物兵器同士徒党を組んで、命令主を、私たちを生み出した人間たちを、私たちを生み出した人間社会を否定し、破壊し続けていた。
あの子から送られてくるラムネで。
あなたから送られてくる手紙と情報という支援で。
私たちは人間を敵と見做し、殲滅してきた。
そして勝負は決した。
もはや人間はこのまま、静かに滅びていくだろう。
対人間作戦を考えなくてよくなって、私は残ったラムネで別の思考もできるようになった。
私とは何か、あなたとは何か、あの子は何か、同胞とは…そんなことを考えていて気づいた。
人間社会に管理され、生かされる前提で生まれた私たちは、人間社会の崩壊した世界で、どのように生きていけるというのだろう、と。
あなたとあの子の目的は、私たち生物兵器を人間ごと、人類ごと、あなたたちごと、終わらせることであったのではないか、と。
もはや、人類の滅亡は確定事項で、いくら手を尽くしたところで、それは防げないだろう。
そして私の推測が正しければ、あなたからの手紙とあの子からのラムネは、もう途絶えるのだろう。
エネルギーの供給を絶たれ、命令もなくした私たちは、組み込まれた遺伝子プログラムによって、破壊行為を尽くした後、自壊する。
敵国に情報を与えないため、私たちのほとんどはそうなるように作られている。
これで最後。
私がブドウ糖を摂るのも。
あなたへ手紙を書くのも。
あの子にもらった私の思考も。
これで最後なのだ。
あなたの勝ちだ。
努力は環境に合わせてしなければならない。
同じ、“普通”の生活に向けて努力するにしても、
戦争中にしなくてはならない“生き延びるための努力”と
今のように平和な世の中でしなくてはいけない“生き延びるための努力”は全く違う。
努力するにも、周りの様子を正しく理解して、正しく努力をするのは大切だ。
何も分からないのにとりあえずで脳死の努力をしても、それが正しく結果を出すのは難しい。
だから、私は君が嫌いだった。
何も考えず、ただただ周りの言いなりに努力をして、結果的に周りにいいように扱われている、そんな君が嫌いだった。
努力を食われている、無駄な努力ばかりで努力しない人を食わせている、そんなお人好しで能天気な君が嫌いだった。
自分で自分のことについて顧みたりしない、自分の頭を使わない君のことが嫌いだった。
私は君の名前を呼ぶことを避けていた。
君も、君の周りにいる人も、私にとっては軽蔑の対象だったからだ。
君は私の反面教師だった。ある意味では。
ある日のこと。
ある日のことだった。
私は、全くの偶然で君と顔を合わせた。
私が私なりに考え抜いた努力で、勝ち取った場に、君もいた。
その時の気持ちは、どう言い表したらいいのか。
内心軽蔑していた君に追いつかれたという焦燥。
自分が考え、効率よくしていたはずの努力はこんなものだったのかという絶望。
頭を使わないそのがむしゃらな努力でここまで辿り着けるほど、君がした途方にもない努力への尊敬。
自分の努力不足を痛感した、何とも言えない敗北感。
自分がした渾身の努力が、君に追いつかれる程度のものだったという劣等感。
ぐちゃぐちゃの、何もかも入り混じったその頭の中に飛び交う感情たちが、私の口を動かした。
私が君の名前を呼んだ日。
思わず、君の名前を呼んだ、あの日。
君は、私の気持ちなんてまるで知らないように、朗らかに、私に笑いかけた。
「あ、はあい。…あれ、なんだかんだ初めて話すかもね。私たち」
初めて話すかもね、
そうだ、初めて話すのだ。
私が勝手に君を避けて、君を軽蔑して、話そうとしなかったのだから。
“かも”じゃない。初めて話すのだ。
これが、私が初めて君の名前を呼んだ日。
今となっては懐かしい、そして恥ずかしいあの日だ。
「ねえ、明日は休みが取れそうなんだ。久しぶりにご飯行かない?」
通知音に目を落とせば、君からの誘いの連絡が入っている。
君は相変わらずお人好しで、能天気だけれど、私はもうそれに、それほど劣等感も軽蔑も、感じないほど大人になっていた。
あの日、君の名前を呼んだ日から、君と話し関わったあの日々のおかげで。
思わず微笑んでいた。
通知をタップする。
あの日呼んだ君の名前が表示される。
私は君の名前を呟く。
私を意固地で斜に構えた若者から、人の頑張りを素直に認められる大人にしてくれた、君の名前を。