薄墨

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「勝ち負けなんてくだらない」なんて言えるのは、勝ち負けを重要視しなくていいくらいに勝ちまくった勝ち組のブルジョワか、そう言いでもしなきゃプライドを保てないくらいに負けて負けて負けまくった一部の層。
それか、勝ち負けが人生を左右するなんて思いもしていない、そして自分が一定数勝ち残っているなんて認識もしない、鈍感な怠け者か。

そんなもんだと俺はそう思う。

握りしめたテストの順位は、500人中70位。
これでは成績優秀者の奨学金は出ない。
つまり俺は、今回の勝負は負けた、ということになる。

それなりに敗者の子どもが、誰にでも勝てる勝者に這い上がるためには、どうしたって奨学金は必須だ。
その点で、俺にとってこの勝敗は死活問題なのだ。

どんな勝負にだって、俺みたいに“本気にならざるをえない”層はいる。
俺たちがテレビで呑気に観戦したり、話のタネにしたりしているスポーツだって、当事者たちにとっては、収入や雇用形態をかけた本気の勝負だし、
そういうところを目指していたり、そういう一芸で特待を得たりしている学生にとって、体力テストや総体や部活の大会なんてのは、俺の定期テストと同じくらい重要だ。

だから間違っても、

「高校時代の勝ち負けなんてどうでもいいのよ。奨学金が出なくたって。そこそこのとこに行ければいいんだから。70位なんて、やるじゃない」
こうやって、子どもの勝ち負けを軽んじて、見当はずれの慰め方をするような、うちの親みたいな大人にはなりたくない。

だから、俺は勝ち負けの世界にいきたいのだ。
勝ち負けの重要性を、勝ち負けにこだわれる人間の気持ちを知る立場でいたいのだ。

そのために、勝ち負けにこだわるのだ。
誰に何回、「勝ち負けなんて」と言われようとも。
冷笑されようとも。
同情されようとも。

間違っても、うちの親みたいに外野から、「勝ち負けなんて」なんて言わないように。

自分の部屋に上がる。
次こそは勝利を勝ち取らなければならない。

今日も、俺はシャーペンを取る。
「勝ち負けなんて」なんて言わない大人になるために。

6/1/2025, 12:41:03 AM