「さあ!助けに来ましたよ!」
綺麗な身なりをした何人かの人間がなだれ込んでくる。
彼ら彼女らはみな、勝ち誇った清々しい表情で、鍵束を掲げる。
「この地の奴隷は解放です!この鍵はみなさん、地底人の未来への鍵!!さあ、みなさんこちらへ。自由の地へ踏み出しましょう!」
ギラギラと目を輝かせ、喜色溢れた笑みでそう告げる人間。
それを眺める私たちの顔には、喜色など微塵も滲まなかった。
私たちには未来などない。
私たちは代々、そう教わって生きてきた。
出来るだけ短く生きられるように。
心が悲しみを感じないように。
希望を期待しないのは、私たちの生きる術だった。
私たちは、地底人。
地上人より身体が大きくて、丈夫で、力が強い。
地上人が繁栄し地上を埋め尽くして、地下へ進出してきた時から、私たち地底人は、少しずつ、少しずつ、地上人に飼い慣らされた。
そうして100年前、地底人は地上人の奴隷として、生きていく運命になった。
地上人は、…一万人に一人くらいの気狂いを除いて、ほとんどの地上人は…地底人を蔑み、人間として扱わない。
ちなみに残りの一万人に一人くらいの気狂いも、憐れみと生半可な同情か、或いは自分の利益のために地底人を利用しようと企んでいるかで、地底人を本当に思ってくれる味方ではない。
地上人は、私たち地底人よりも到底、力も生命力も弱かったが、その分、狡賢く、自分たちの弱味を理解した賢い悪徳だった。
私たち地底人に関する盤石な奴隷制度は、僅か5年で成立したという。
それから私たちは奴隷種族となった。
飼い慣らす、ということに対して無知であった私たちの先祖は、まんまと奴隷制の生き方に嵌められ、文化も技術も搾り取られた。
気がつけば、地底人という種族が生き延びる術は、地上人に飼い慣らされながら、耐えるという道しかなかった。
もはや私たち地底人に、未来などなかった。
あったはずの未来、種族としての未来は、私たちの主人たる地上人によって固く閉ざされている。
私は、左足首の枷を見やる。
汚れがこびりつき、冷ややかに黒光りする、その枷を。
重々しく絡みつく黒い鎖と、枷を繋ぎ止める鉄鋼の錠がついている。
目の前にいる人間は、確かにこれを外してくれるらしい。
しかし、自由になったところで、私たち種族に帰るべき場所など存在しない。
私たちの棲家は、もう人間…地上人の棲家で。
何かの施設で。
地上人がいないところでさえ、牙を抜かれ、技術も教育も伝統も知恵も、全てを失った私たちには、野生生物や他の種族と生存争いをして生き延びれるほどの強さをもう有していない。
私たちの未来は閉ざされたまま。
私たちはもう詰んでいる。
この鍵は確かに、未来への鍵だ。
しかしそれは、私たちのためでも、地底人の種族のためでもなく。
ただ、この鍵を持ってきた、この地上人の団体の未来への鍵なのだ。
私たちの、奴隷種族になってから100年の歴史では、それがずっと繰り返されてきたのだ。
私たち地底人は、地上人のどこかの誰かの未来への鍵として、ずっと取り合い続けられる。
支配者がただ、変わるだけ。
奴隷であり、誇りを失った種族であるということには変わりない。
私たちが、未来への鍵。
笑顔を浮かべた人間たちが鍵を振りかざす。
私たちは無表情で、それを眺める。
薄汚ない奴隷舎で、地上人の歓喜の声だけがこだました。
どろどろの溶解液を、型に流し込む。
真っ赤で重たい液体は、時折銀や金にきらめきながら、ゆっくりだらだらと型に流れ込んでいく。
型にぴったりと流れ込んだ金の溶解液は、重たそうに揺らめいた。
その中には、時々ハッとするような美しい金や銀や碧にきらめく星のようなキラキラが見える。
私は今、生涯一度の大仕事を行っている。
この町のための武器を作るのだ。
星のかけらを溶かし混ぜた金を使って、美しく、精巧な剣を作るため、私は今こうして工房の中で息を詰めて、仕事をしていた。
この地が平和になって、もう50年ほど経つそうだ。
私は平和な時しか知らない。
昔々、この地には、この世に未練と恨みだけを遺して彷徨う、恐ろしい魔霊たちがうろついていた。
その魔霊たちとの戦いが始まったのが今から80年前だ。
80年前、人間同士の戦争がやっと終わって、この町はようやく、自分の地域の問題点に向き合うことができたのだ。
それからこの地の人々は、魔霊をやっつけて安らかな眠りにつかせるために、試行錯誤し、闘い続けた。
他の人間世界が平和になってから30年もの間。
そしてその中で、霊を慰め、退けるためのものを発見したのだった。
それが星のかけら。
正確には、宇宙の星が欠けて流れてきた流れ星。
そしておあつらえ向きに、どういうわけか、この地は流星が多い地だった。
この発見を元に、この地では星のかけらを溶かし込んだ様々な武器が作られるようになった。
魔霊を安らかに眠らせるために。
魔霊から身を守る護身のお守りのために。
死んだ自分の縁者が安らかに眠れるように。
自分が死ぬ時に魔霊にならず、安らかに逝けるように。
死に対する様々な願いを一身に受けて、星のかけらを混ぜ込まれた武器は、この町の人々に受け渡された。
だから、この町から武器職人はいなくならない。
私は、この町の武器職人だ。
普通の合金で、旅人や他の地域に流す武器を作るだけでなく、銀や金や銅や鉄に星のかけらを溶かし込み、この町の人々への武器を作る。
なかでも、金に星のかけらを混ぜ込んだ武器は、なかなか難しく、貴重だった。
金は貴重で星のかけらも貴重。
そしてどちらも加工しやすいために、ちょっとの温度変化で変形してしまいやすく、武器としての強度をもたせるには、相当の技術がいる。
この町の武器職人にとって、一世一代の大仕事。
そんな仕事が私の元に降ってきたのだ。
師匠が先立ち、独り立ちして5年の私の元へ。
魔霊に打ち勝ち、平和と鎮魂の町として語り継がれるこの町のシンボルとしての剣を作る仕事が。
私は唾を飲み、気合いを入れる。
ここからが勝負だ。
この町に、この地に相応しい剣を、必ず作り上げてみせる。
亡き師匠、世紀の武器職人だった師匠の名に賭けても。
私は型を冷やすために、移動させる。
どろどろの金の中で、星のかけらがきらりと顔を覗かせた。
電話よ、無線よ、鳴らないでくれ。
いつもそう念じながら芋を剥く。
この仕事に就いてから、もう5年が経とうとしている。
5年。5年だ。
俺が仕事を始めた年に生まれた赤ん坊が、もう一端の口を聞くくらいの年数。
その間、俺はただ前線にも行かず、この通信中継地で芋を剥き、電話と無線をとる仕事をしている。
ここで働き始めてから5年ということは、護国大戦が始まってからはもう8年も経つ、ということだ。
この天変地異の如く降ってきた戦争に、8年。
暮らしが戦時一色になってからもう8年だということだ。
この戦争は、突然始まった。
予兆はいくらでもあった。
隣国が他国を侵攻して増大を始め、うちの国もまた、大きくなろうとしていた。
そして、10年前、ついに隣国の侵攻地と我が国の侵攻地がぶつかった。
こうして、国の総力を結集した、血泥沼の戦争は幕を開けた。
うちも隣国も、技術を重んじる大国であった。
もっとも、国土や肥沃な土地がないために、そうなるを得なかった地域であったための特徴だが。
しかして、技術大国同士の戦いは、激化し、時ばかりを消費して、犠牲と憎悪ばかりが膨れ上がった。
もうどちらも後へは引けなかった。
侵攻権を得るために侵攻地でいざこざした戦いはたったの2年で、あっという間に国の存続をかけた、互いに互いの国の土を踏み躙る、生存戦争へと変わった。
“侵攻戦争”が“護国大戦”となった。
あれから8年、ずっと護国大戦が続いているのだ。
俺たち若者が前線に志願するようになった頃は、国を護るために兵士になるものがほとんどだった。
俺は友人達と一緒に、前線の兵になりに行った。
国を護る戦士になりに行ったのだ。
しかし、俺は兵にはなれなかった。前線へはいけなかった。
俺は軟弱だったのだ。
昔から肺が悪かった。
それでも国を、家族を護りたい。護国に貢献したい。そうゴネてゴネて、ようやく手に入れた仕事はこれだった。
人的資源損害報告員。
またの名を、戦死告知員。
前線で死んだ兵士の戦死をその兵が残した大切な銃後の人たちに伝えるため、そして、お偉方が戦地の人的資源損害を知るため、戦死者を把握して、自国まで伝える仕事。
俺はそんな連絡無線の中継をしている。
戦争では、人の死なない戦地はない。
従って、戦争の死者を伝えるこの中継地で、電話や無線の鳴らない日はない。
俺は仕事のためにメモを持って電話を取り、その時に知るのだ。
俺と同い年の男が母を遺して死んだこと。
懲罰部隊でいた身寄りのない囚人が孤独に死んだこと。
俺より二回りも年上の人が子供を遺して死んだこと。
何百人もの人を助けた看護婦が死んだこと。
捕虜から救い出された女性兵が不審死したこと。
俺よりずっと若い誰かが泣きながら死んだこと。
もうたくさんだ。
電話よ、無線よ、鳴らないでくれ。
そう思いながら起きて、飯食って、それでも詰所の電話は鳴る。
Ring Ring…
広げた手を眺めて、メモもペンも触りたくない、ノートなんて開きたくない、なんて思っても無線は鳴る。
Ring Ring…
それで俺は鈍い腰を上げて、せめて最期の時や生死くらいは残されたやつに伝われって、そう思いながら、受話器を取る。
できるだけ注意深く、仔細に聞いて、メモを取る。
そんな時にも、無線や電話のベルは鳴る。
Ring Ring…ってな。
嫌な仕事だ。気が狂いそうな毎日だよ。
だからここにこんなダサい独白を残すんだ。
こんな馬鹿げたことがこれからないようにな。
俺は名もない、武功もない、勲章もない、ただの通信員だ。
だが、そういう奴の戦記も悪くないだろう?
じゃあ、これを読む誰かよ。これは出来るだけ長く、いろんな奴に読ませてやってくれ。
こんなことが起こらないように。
こんな馬鹿げたことをする男が、俺以外に出ないようにな。
頼むぜ!
ある通信中継基地に残された手記
風に背中を預けてゆっくりと進む。
背を押す風は強い。
ちょっと痛すぎるほどに。
眼前には、青い海と青い空が広がっている。
荒くれた波が打ちつけている。
鳥人が飛べるというデマが広がって、もう随分と日が経つ。
そう、デマ。
僕たち鳥人は確かに翼を持っているが、空を飛ぶことはできやしない。
僕たちのご先祖さまは、空で鳥の一員になることを諦め、人類の一員となることを選んだのだから。
鳥のような軽い骨では、重力に逆らって、人間のように真っ直ぐ立つのは難しい。
僕たちはせいぜい、空を滑るように落ちることができるだけだ。
しかし、ある日、滑空して落ちる鳥人を見た他の人類は、鳥人もまた、鳥のように飛べると思い込んだ。
ソイツの投稿はあっという間に世界に広がって、世界中の人が、その勘違いを正しいことだと思い込んだ。
おかげで鳥人は、偏見という厳しい風当たりに晒され始めたのだった。
しかし、鳥人族というのは、風を読むのが上手い。
強かな鳥人族は、その勘違いをうまく利用して、人類社会での活動範囲を広げていった。
航空に関する仕事を請け負ったり、風を読む仕事に就いたり。
飛べなくても、他の人類より空と親しい僕たちは、空のスペシャリストとして生き続けた。
しかし、それも数十日前に終わった。
「鳥人は空を支配することで、人類のトップにのし上がり、他の人類を迫害しようとしている」
今度はそんな噂が流れたのだ。
人の噂は七十五日というが、まだこの噂はなくなる様子がない。
こうして、僕たちは人類から憎まれ、追い立てられるものとなった。
そして今、僕はこの崖から飛び降りろ、飛んで見せろと追い立てられてきたのだった。
今日の風は、内陸から海へ向かって吹いていた。
強く、冷たい風が、背中を強く押している。
僕たちを追い立てた後ろの追っ手にとって、そして今、落ちていこうとする僕にとって、この風は追い風だ。
僕は風に背中を預ける。
強く冷たい追い風に。
足元の海は波立っていた。
強く冷たく渦巻いている。
風に背中を預けて、僕はゆっくり足を踏み出す。
波が、風に煽られて強く打ちつけていた。
肉の甘さを噛み締める。
ああ、素晴らしい生活だ。
時間をかけて味わう。
纏わりつくような肉の甘さも、口の中で反発するような弾力も、はち切れんばかりの舌触りも。
君と一緒にいる証だから。
しっかり味わわないと。
私が動けるスペースもだいぶ狭くなった。
体が大きくなったから。
君の食べる量も、動く量も増えた。
もうすぐだ。
もうすぐ私は、日の目を見れる。
私と君の関係は逆転する。
私は君と一緒に、外の世界へ出ていける。
皮膚に酸素が張り付くこともなく、足や体が十分に伸ばせないこともない、自由で明るくて厳しい、外の世界へ。
そのために私は大きくならなくてはならない。
だから、私は食事を続ける。
肉を食いちぎり、丁寧に、丁寧に、君を取り込む。
君と一緒に、広い空の下に出るために。
君と一緒に、大人になるために。
君と逢えたのは運命だと思う。
私は、生まれて、君に卵を産みつけられた時から、君が好きだった。
あの、みずみずしい鮮やかな緑と、てちてちと規則正しく動く、あの足が好きだった。
体の中の、温かくて優しいあの振動が好きだった。
私は君の隅々まで好きだった。
だから私は君の中で羽化をする。
君の願いも、苦悩も、悲しみも。
君の肉も、血も、酸素も。
全部噛み締めて、君の中身をすっからかんにして、君の希望を願いを叶えてあげる。
キャベツ畑から飛び立ちたいという、君の夢を。
一緒に叶えよう。君と私で。
私は今日も君を噛み締める。
君の体内の中で、君の肉の甘さを噛み締める。
君の吸った酸素に生かされて、君の気持ちに共感しながら。
私は君と一緒に私になる。
君と一緒に、成虫になる。
私は肉の甘さを噛み締める。
ああ、素晴らしい生活だ。
でも、そろそろ変化が欲しい。
私と君の生活に、青い空が、新鮮な空気が、君を体内に収めたという満足感が、華が欲しい。
私は君の甘さを噛み締める。
羽化の季節はもうすぐそこまで来ている。