登るって楽しい。
身体全体で身体を引き上げて、その度にグンと近づく空と、その瞬間の軽い浮遊感。
頼りない、でも確かな足場をしっかり踏みつける爪先と、不安定に揺れる上半身。
登るって楽しい。
その足場が、鉄だろうと岩だろうと枝だろうと。
登るって楽しい。
だから、私は今日も、走る。
二時間くらい走る。
夜の公園は、広々と涼しくて、身体を吹き抜ける風が、涼しくて気持ちいい。
子どもや遊具を使う人がいないことを確認してから、遊具に近づく。
障害物競走だ。
タイマーを押して、駆け抜ける。
風を切って、腕を振って、足を跳ね上げて。
掴んで、引き上げて、しがみついて、飛び越えて。
地面を蹴って、壁を蹴って、足を掛けて、腕に力を込めて、速く、高く、軽やかに。
パルクールは楽しい。
どんどん身軽になれる。
どんどん高く登れるようになる。
どんどん空の中に居れる時間が長くなる。
アスレチックは楽しい。
どこまで身軽になれるか。
どこまで高く登れるか。
いつまで空の中に居られるか。
試すことができるから。
ずらりと埋め込まれたタイヤをまとめて飛び越えて、シーソーの上を素早く渡って、身体を翻しながら平均台を渡って、登り棒を蹴って…
跳ね回って、走り回って…
ふっと目線の端に映った遊具に足を止める。
それは、公園の外周を駆け巡る私の視界のはずれ、遊具の真ん中にまるでこの公園の王様みたいに、鎮座している。
ジャングルジム。
そういえば、私が登る楽しさに気づいたのは、ジャングルジムで遊んだ時だった。
足を止める。
初めてジャングルジムを遊んだ時を思い出した。
幼い自分の三倍はありそうにそびえ立つ頂点。
丸くてつやつやした棒に手をかけた時の、あの沸き立つようなワクワク。
意を決して、足の裏の半分もないつるつるの鉄に足を掛けて、身体を引き上げる時のスリル。
一段ごとに、グンと近くなる空と、遠くなる地面。
上半身は、登るにつれ、涼しくて優しい風に煽られて、不安定に心地よく揺れる。
そして、登りきった天辺の、不安定な鉄の棒に尻を預けて、見下ろす公園。
天辺を吹き抜ける爽やかな風。
あの日のあの感覚。
あの日確かに、私はやっと目が覚めたような気がしたのだ。
私はこの風を受けるためにここにいるような気さえした。
だから、私は今でも、登る。
今でも走る。
空の中に居たいのだ。
上半身を揺らして、下半身と四肢を弾ませて、そうして最後に爽やかな風を感じて、空と地面を見つめていたい。
月と街頭のスポットライトに照らされて、ジャングルジムはひっそりと立っている。
堂々と、この公園の王様であるかのように。
汗を拭う。
虫の声と街頭の雑音が、ジーッジーッと聞こえる。
爽やかな夜風が、私の肌に触れて、吹き抜けていった。
扉を閉めて、床に寝転ぶ。
畳まれた布団に頭を乗せて、ようやく一息がつけた。
スマホの電源を入れて、イヤホンを取り出す。
扉の向こうからは声が聞こえる。
同居人が見ている、アニメだかドラマだかの声。
思わず溜息が溢れる。
イヤホンを耳に押し込んで、そそくさと再生リストをタップする。
歌声が聞こえる。
耳奥に押し込んだイヤホンが、外の音を遮断して、鼓膜に歌声を伝えてくれる。
…うん、だいぶ気持ちが落ち着いた。
輝く照明をぼうっと見つめながら、歌声を聴く。
聴こえたメロディが唇からポロッと零れる。
合成音声の歌声。
合成音声の声。
どうも肉声は苦手だった。
人の声は、情報が多い。
強い感情、僅かな抑揚、声量…
人の声はいつだって、微妙な変化に富んでいて、セリフ以上の何かが含まれている。
それが、疲れるのだ。
普通に、日常的に話すのなら気にならないし、むしろ、そういう機微があれば、空気も感情も読みやすくてありがたい。
でも、休みの日、何もしたくない時、一人で趣味を楽しみたい時に、そんなにたくさんの情報量があるものを聴くのは、私には、大変だった。
同居人は、人の声が好きだという。
今見ている番組も、主演の声が“癒されボイス”で“推せる声”らしい。
それに、感情がすぐ声に出るため、推しである主演の役者の解釈のためには、声を聞くのが一番良いとかなんとか…
同居人は私にも勧めてくれたが、私には情報量が多すぎて煩いだけだった。
私の耳がおかしいのか?
私の脳がおかしいのか?
否、私にとってその声は“癒されボイス”ではなかった、それだけの話だ。
そして、そんな声を同居人は好きだっただけ。
だから、私は別に気にしていない。
人の声を聞きたくない気分の時は、私がそっと離れればいい。
同居人も、私の琴線に触れていないと分かった時からは、私の退室をそっとしておいてくれている。
さて、この話を他の人にすると、大抵こんな声が聞こえる。
「それって不満たまらない?我慢じゃん」
「合成音声より肉声の方がいいに決まってんじゃん。同居人さん可哀想」
「そんなの関係冷え込みそー」
そういう声は、感情がキツすぎる。
強くてねちゃねちゃした感情に包まれた、嫌味ったらしい声で、それで私はますます肉声が嫌になる。
だって、そういう役が出てきた時や、そういう役者が役を演じた時、肉声ならこのネチャネチャがセリフと一緒に飛んでくるんだろう?
合成音声も、抑揚や感情は籠るけど、ここまで雑音じみていない。
合成音声たちは、作者が意図した感情以外の感情は含めない。
それが私には楽で、心地よい。
それだけの話だ。
鼓膜に合成音声の歌声が突き刺さる。
口から溢れる自分の声が聞こえて、慌てて口を噤む。
向こうの部屋の邪魔になってはいけない。
私が合成音声の淡白な感情を聴き流し、聴き惚れながら楽しむ間、同居人はあちらで、少しの感情も変化も抑揚も見逃すまいと耳を澄ませているはずなのだから。
人の好きなことには、共感できなくても、理解と尊重は示すべきだ。
分からなくてもいいから、否定しないこと。
私はそういう人が好きだし、そうありたいから。
自分で何度も確認し、扉の向こうに意識を傾ける。
合成音声の声が聞こえる。
扉一枚挟んだ向こうに、真剣に耳を傾ける同居人の気配を感じる。
休日の昼下がりは、ゆっくりと過ぎてゆく。
あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の
秋の夜は長い。白い月だけが、空に残っている。
着物の裾から剥き出した足が、大して白くもないのに、暗闇の中で、ぼうっと色白に浮かび上がって見えた。
狭い蚊帳の中で、わざとだらしなく浴衣を着崩す。
四肢を思いっきり、目一杯伸ばす。
まさか泊まることになるとは思っていなかった。
こんな郭町の一店の一部屋で…
生き物というのは、元来の欲には逆らえないらしく、どの町にも茶店や宿屋と同じように、また郭町もあるものだ。
性別や嗜好に関わらず、恋をしたい人に銭と引き換えに、恋の体験を売る。そういう店が立ち並ぶ郭町はもちろん、この地域にもあった。
しかし、もう色恋の適齢期であるというのに、私の人生には全く縁のないところだった。
夜遊びや恋愛を禁じられているわけではなかった。
その類のものに一向に興味が湧かないだけだった。
そこで、私は色恋の話になると、友人のその話の内容に圧倒されるのが常だった。
今日来たのも、いつの間にか通うところが出来た友人に勧められて、半ば強引に同行させられたのだった。
ところが、私は友人が連れてきたこの店でも何もピンと来ず、とりあえず付き合いで一杯飲んでから、友人と別れて、ふらりふらりと客引きをかわしながら、街を歩いていた。
夕日の赤に、青黒い夜が溶け出して、空は紫色に滲んでいた。
一番星がぽつりと空に瞬いていた。
足を止めたのは、そんな夕闇の中の街角に、美しく朗々と紡がれる話を耳にしたから、だった。
そこでは、誰かがたった一人で、物語りをしていた。
着ているものは美しく派手で、袖口や袷から覗く肌は、まるで日を知らぬように真っ白だった。
どうやら、下働きや客引きではなく、商品として店に出ている芸子らしい。
冷静に考えられたのはそこまでだった。
私は、彼の語る物語に引き込まれてしまった。
場所が場所なだけに、物語は艶めいていて、扇情を煽るようなものであったが、しかし艶笑という言葉には止まらない、芸術的な響きと言葉遣いがそこにはあった。
そして何より私を惹きつけたのは、登場人物を演じる彼の、その演技の切迫だった。
物語の中の誰かを降ろした彼に睨まれたその刹那から、私は、影を縫い止められたかのように、じっと動けなかった。
ふっと気がついた時、もう語りはとっくに終わり、目の先には埃の積もった街角があるだけだった。
私の脳裏には、彼が、彼の語り演じるあの様子が、焼き付いて離れなかった。
どんな人間で、どんな生き方をすれば、あんなことができるのだろう。
あんな物語を語れるのだろう。
彼に会ってみたい、語りも演技もしていない、素の彼と話してみたい。
そんな気持ちだけが、胸を焦がしていた。
「あの人はァ、蜻蛉楼のとこの芸子さんだよォ」
振り返ると、節くれだった小柄の婆さんがいた。
「そこで語りやってたァ、あん人やろォ?…蜻蛉楼はもう開いてんやろ、行ってみれば話せるかもしれんの」
「あ、ありがとうございます」
思わずお礼を返す。
婆さんはいうだけ言って、ゆっくり歩き去っていった。
そこから蜻蛉楼なる店に向かった。
ところが、蜻蛉楼についた時、今日はこの町を封鎖する、と告げられた。
…どうやら、郭町の商品が一人行方知れずらしい。
郭町で恋を売る大抵の人間は、借金や借りのカタに働いている場合が多い。
そういう人を、タダで町から逃してしまえば、大きな損失になる。
だから、郭町の“商品”の人が行方不明になれば、町を封鎖して探すことが決まりらしい。
…驚いたのは、その行方知れずが、どうも私の探している芸子のようであった。
「どうも、申し訳ありませんね」
蜻蛉楼の旦那はそう言った。
「うちは曲者揃いなんですが、奴はどうも好き勝手、よく語りをしに出掛けてましてね。恥ずかしながら、誰も制御できんのですわ。その手の才能は、まあかなりのもので、うちもそれに助けられることもあるんですがね…まあ、いつも勝手に抜け出しおってもいつの間にか、勝手に帰ってくるんですけどもね。一応、念のため」
そう言うと、蜻蛉楼の旦那はすっと鍵を私の手に乗せて、続けた。
「…これも何かの縁。それとお詫びも兼ねまして、帰ってくるまで、どうかうちのこの部屋、使うと宜しいですわ。鍵付き、個室の客部屋になりますんで、お寛げると思います…」
こうして、私は今、蜻蛉楼の一部屋の、ご厚意で敷いてもらった蚊帳の中で、寛いで月を眺めているのだった。
個室の客部屋と言っても、普段は芸子が入ったり、複数人で泊まったりするのだろう。部屋は一人にしては大きく、広すぎた。
月だけが白く輝いている。
遠くで物悲しげに虫が鳴いている。
秋恋とはよく言ったものだと思う。
山鳥の、足に引くような長い尾ほど長い、長い秋の夜。
そして、一人ならそのお供は、物悲しげな虫の声と青白い月光だけ。
今、思った。
これは本当に人肌恋しい。
今まで一人はむしろ好きだったし、秋の夜長を切なく思ったことなどなかったが、これは…。
この広い部屋で、涼しい夜風の中、一人。
これはなかなか、寂しかった。
布団に仰向けに寝て、月を見上げる。
自分の四肢と月だけが、青白く浮いて見える。
遠くで、鈴虫が寂しげに鳴いていた。
道徳の時間に、先生が言った。
「こんなふうに、生きている動物にはみんなそれぞれ、それぞれの事情があって、物語があるんですよ。みんなにも、このお話のピーちゃんのような豚さんにも、先生にだって、大切に思っている人がいて、これまで過ごしてきた時間が、そこにはあるんですよ」
当時、ピーちゃんの話に感動していた俺は、えらく感心した。
さっきまでの休み時間に、友達が一生懸命好きな動画について話していたことを思い出した。
俺はそんな動画のことなんて知らなかったけど、友達の物語にとっては重要なことだったのかもしれない。
ピーちゃんを育てていたクラスメイトにとってのピーちゃんみたいに。
みんな、誰かのピーちゃんかもしれないし、みんな、大事なものがあるんだ。
大事にしなきゃ、大事にしたい、そう思った。
「すみません、お兄さん。道に迷ってしまって、伺いたいんですが…」
後ろから声をかけられて、我に帰った。
振り返ると、グレーのスーツに身を包んだ、身なりの綺麗なおじさんがスーツケースを片手に引いて、はにかむような困った表情をして、こちらを見ていた。
「いいですよ。どこまで行かれるんです?」
俺はスマホで地図アプリを起動しながら、おじさんに笑いかけた。
「すみません…」
おじさんはホッとしたような、申し訳なさそうな顔で、小さく肩をすくめながら、俺の手元を覗きこんだ。
「よろしければ、一緒にいきましょうか?」
口頭の道案内に自信がなくて、思わず口走る。
「いえ、そこまでは申し訳ないですから。まだ時間に余裕もありますし。…ありがとうございました。お時間おかけしてすみませんね」
おじさんは会釈をすると、スーツケースを引いて、通りを進んで行った。
その背中を見送ってから、俺は反対方向へ歩き出す。
上手くいけただろうか、迷ってはいないだろうか、ああ、あの時の道筋はこう言ったほうが伝わりやすかったのでは?…でも望んでいない親切はおせっかいだし、それはもう“大事にする”でなくて、“大切にする”になるもんな…そんなことを考えながら、俺は俺の目的地に向かって歩く。
みんなを大事にしたい、まだ児童だった頃に根付いたその気持ちは、今も俺の言動に根を張っている。
俺は出来る限り、色々なものを大事にしていこうと決めて、出来る限り、実行してきた。
巷ではこういうのを“博愛主義”というらしい。
だが、この博愛主義というのは、あまりよろしくないし、理解できないものらしい。
俺のことを好きだった人や、俺の母なんかは、みんな揃って「あなたの博愛主義にはついていけない!」「みんなと私、どっちが大切なの?!」「私のこと、大切って言ったじゃない!」と怒鳴って、いつの間にかどこか疎遠になってしまった。
みんなを大事にしたいだけなのになあ。釈然としないまま、でも博愛主義や俺の道徳を押し付けるのも、なんだか相手を大事にしていない気がして、俺は黙って、その背中を見送った。
背中。そう背中。
みんなを大事にすると、感謝されても愛想を尽かされても、どっちの場合でも、俺は、進んでいくみんなの背中を見送ることになった。
大きい背も、小さい背も。背筋の伸びた元気な背も、猫背に屈んだくたびれた背も。
俺は、最後に去っていく大事にした人の背中を見送るのが、一番好きだった。
僕が思うに、大事にしたいというのは、誰かが目標に向かって進む背中を愛情を持って見送りたいと思うこと、なんだと思う。
「お前、その“大事にする”を何人かに絞らねえと、恋愛も結婚もできねえぞ?」
いつか、俺の親友はそう言った。
別に構わない、恋愛できなくても。俺は大事にした背中を見送るのが好きだから、と伝えると、彼は心底楽しそうに笑って、
「お前がいいなら。…お前みたいのが、現代の神職が天職なんだろうな。牧師とか神父とか向いてると思うぞ」
ま、俺は普通に経済学科行って、民間、就職して、他県に出るんだけどな。そう言って、彼は屈託なく笑った。
彼の家は、教会だった。
その彼が言うのだから、今の教会は確かに俺に向いているのだろう。
昔と違って、今は宗教と政治は分離されているし。
神父か。
それもいいな、と思う。
そもそも俺、特にやりたいこともなかったし。
それに、親友の彼も喜んでくれそうだ。
彼とは、ずっと仲良くしていたかった。
彼の背中を見送りながらも、彼とはいつまでもずっと一緒にいたかった。
俺が思うに、これが大切にしたいということなんだと思う。
街中は相変わらず、人通りが多い。
ガヤガヤと喧しい人々のみんなに、大事なものがあって、大切なものがある。
だから大事にしたいんだ、大切が見つかってから尚も、俺はそう思う。
あのおじさん、ちゃんと迷わず着けたかな?
そう思いながら、俺は足早に歩く。
親友との待ち合わせ場所に向かって。
今日もたくさんの人が、街の通りを行き交っていた。
現在の亡霊なんて、クリスマス・イブの深夜にしか出ないと思ってた。
緑のマントを纏った精悍な巨人の亡霊が、豊穣のツノを象ったグラスを握ってそこに立っていた。
いったい、こんな平日の真っ昼間に何をしに来たのだろうか。
小説の中の現在の亡霊は、祝日の、たくさんの祝福と幸せな気持ちを、行く人行く人に振り撒いていたはずなのだが。
なぜこんな平日の街中で、灼熱の空気がぐらぐらと揺れるアスファルトの中で、僅かな緑地帯の公園の方をじっと見て棒立ちしているのか、全く分からない。
何より不思議なのは、道行く人たちが、その亡霊を気にしないばかりか、動きをぴたりと止めて、まるで時間が止まったかのように静止していることだった。
空を見上げると、羽ばたいていたカラスや電線へ舞い降りようとするハトまで、一時停止ボタンを押されたように空中で静止していた。
街中は不自然に静まり返って、何もかもが停止していた。
その静かなコンクリートの街中に、出し抜けに笑い声が響いた。
ゲラゲラ、と、騒々しくてわざとらしくて、とても大きな笑い声だった。
目線を動かすと、やはり、緑のマントに身を包んだ現在の亡霊が、背を僅かに反らせて、腹式呼吸で笑っていた。
「時間よ止まれ!と望んでみたが、やはりそうだよなあ。…そんなことをしたって、何にもならない」
そう言ってまた、ゲラゲラと笑う。
その笑い声には、亡霊の、自身に向けた嘲笑と、諦観と深い悲しみが色濃く滲んでいることに気づいた。
気づいた途端、無性に、亡霊の視線の先が気になった。
私は、恐る恐る、ゆっくりと亡霊の背中から回り込んで、視線の先を覗いた。
背中を汗が滴り落ちた。
私は息を呑んで、立ち尽くす。
…視線の先では、あの子が蹲っていた。
いくつもの無碍な足蹴りと、乱暴な拳と爪と、泥に晒されて。
「時間を止めたところで、救えるわけでもないのになあ」
背後から、亡霊の重たく低い声が響いた。
…そこで目が覚めた。
背中を汗が伝っていた。
枕はぐっしょりと濡れていた。
頭が痛い。目が腫れぼったかった。
私には分かっている。
あの日の夢だ。あの時の…
あの、あの子がまだ子供だった頃の…
私があの子のために、「時間よ止まれ!」と、ただ祈ってしまった時の、あの瞬間の。
私は自分から動けなかった。
私はあの子を救えなかった。
私はあれを止められなかった。
許せないと思っていたのに、私が実際にしたことは、祈ることだけだった。
私は、あの子も、あの子を虐めていた子も、救えなかった。
ぬるく熱を持った湿ったタオルが、額から布団の上にずり落ちた。
昨夜の熱が下がらなくて、私は今日、休みを取って眠っていたのだった。
…昨夜、あの子が死んだことを遠い遠い知り合いのSNSから人伝に知った時からの、この熱を下げるために。
あの瞬間は、私の中では今も今のことだ。
紛れもない現在の出来事だ。
「時間よ止まれ」と祈った時から、私の心の片隅で、あの一瞬の時間は永遠に止まったままなのだ。
頭が重たくて、痛かった。
目も四肢の節々も、ぐったりと怠く項垂れていた。
タオルを掴む。喉がひりつくような渇きを感じた。
時計の分針が、カチリ、となった。
のろのろと掛け布団を剥ぐ。
蛇口から水が一滴、シンクに落ちた。
ボトリ、重たい水の音が、一人の手狭な部屋いっぱいに響いた。