薄墨

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4/15/2024, 12:42:40 PM

モニターの前、僕はじっと座り込んで、文を読む。
液晶の文章の上を、目が滑ってゆく。

なんて読みにくい話だろう。正直に言えば、そう思う。
人差し指だけが、マウスのホイールボタンを忙しなく送っている。

頭も心も目も働かない。
それほどにこの文章は、面白くない。

窓の外からは、子どもたちのはしゃいだ声が聞こえる。

「そういえば、隣に越してきた人がね…」
「うちの夫ったら、飽き性で…」
「いつもお世話になってるみたいで、ありがとね。うちの子ったら…」
道に立ち止まり、歓談する人々のたわいもない世間話。

…又聞きするこれらの話の方が、まだ、面白い。

左手が、機械的に傍のスナック菓子を取り、口へ運ぶ。
いつもよりしょっぱい。

外からは、僕くらいの歳の人の声は聞こえない。
それはそうだ。今はまだお昼といっても差し支えない時間なのだから。

どこかでキジバトが鳴く。
かちり、と秒針の動く音がする。

喉を刺激する二酸化炭素ごと、無理やり、炭酸飲料を飲み干す。
視界がうっすらとぼやける。

ぼやけたって、目の前の文章の魅力のなさは変わらない。
僕の書いた、この文章は。

僕には届けたい想いがたくさんある。
美しくて残酷なこの世界のこと、不思議な人間の感情、見えない絆、数奇な運命…

そんな想いを届けるため、僕は文芸部を経て、文学部を志し、いろいろなものを犠牲にしながら、ずっと努力を重ねて…

でもいざ書いてみれば、この有様。
本人にすら伝わらない駄作。届かぬ想い。

これで何回目だろう。
書いてないジャンルはまだ残っているだろうか。
目の前が霞む。

僕の想いは誰にも届かない。

僕は、僕いっぱいの、届かぬ想いを抱えたまま、ブルーライトを浴び続ける。

冷え切った部屋に、スマホの通知音がぽつんと響いた。

4/14/2024, 12:59:23 PM

神様。なぜ私は生きているのでしょうか?
神様へ、私は問いかける。

薄暗い教会の、ひび割れたガラスが、淡い青色の光で神様の滑らかな毛並みを照らしだす。
煤けたコンクリートの床、神様に捧げられた、ナツメグの粉まで、涙が出るほど神秘的だ。

神様。
私は問いかける。
この息苦しい世界で、私は生きていくしかないのでしょうか。それが私に科された罰というのでしょうか

誰も答えない。
神様の瞳だけが、こちらを見つめ、鈍く光る。

いえ、不満なわけではありません。
実の息子同然に育てなくてはならない、可哀想なあの子を、どうしても好きになれないのは、ほかならぬ、私なのですから。

どうしてしまったというのでしょう、私は。
私はこんな人間ではなかったはずなのに。
私は…情け深く、優しい、善良な一般市民であるはずなのに…。

神は低く唸り声を上げる。

私は首を垂れる。
神様。私には生きている意義はあるのでしょうか?
最愛の妹が遺したあの子すら愛せず、傲慢で陰険に振る舞い、返ってあの子の幸せな人生を食い潰しているような、こんな私に。

…でもまあ、賤しくも気高く在られる獣神の貴方なら、このような状況がお好きかもしれませんが。

いっそのこと、私が死んで仕舞えば良い。
そして、残った寿命をあの子にあげられたら。

そう神様へ祈った時だった。

ガシャン!っと金属の檻が歪む音が響く。
神様が、雄々しく唸りながら、私の喉元目掛けて飛びかかって来る。

避ける間もなく、私は、神様に喉元に食いつかれ、声も上げられずに倒れ伏す。
喉から、どくどくと、赤黒い液体が流れ出すのを感じる。

ああ、神様、まさか、私に最初から、こんなことを祈らせるおつもりであったのでしょうか。

あの子の方が敬虔で生きるべき信徒だと仰るのでしょうか。

いずれにせよ、この結末は、私にとっても、あの子にとっても、最良のものでありましょう。

ああ、我が神様へ、ありがとうございました。
そうです。どうぞ、残りは自由にお隠れになってくださいませ。
私の、私たちだけの神様。

他の人間が信じる神よりも、慈悲深く、気高い、我らがスレドニ・ヴァシュター様…

薄れゆく意識の中、私は神様へ何度も何度もお礼を呟く
その度に、赤黒い液体が、粘性を持って床を湿らせてゆく。

神様が、半開きの扉から、外へゆっくりと去ってゆく。
あの子は、きっと家からそれを眺めているだろう。
あのお姿を見れば、あの子も希望を抱くに違いない。

ああ、本当にこの神様へ、命を捧げて良かった。
その考えを最期に、私の脳はブラックアウトした。

        参考:サキ『スレドニ・ヴァシュター』

4/13/2024, 1:16:33 PM

快晴とは、魚眼カメラで空を見た時に、空に雲が0〜1割くらいしかない、真っ青な空のことらしい。
確か、中学の頃の理科でやったはずだ。

つまり、快晴とは今日のことだ。

一年ぶりに開けたカーテンの、曇った窓から、快晴の空が見える。カーテンから立った埃が、眩しい太陽の光に照らされて目障りだ。

身じろぎをすると、ガサッと音を立てて、足元のお菓子の袋が、移動する。
小さめなテーブルの上に手を伸ばす。テーブルの上には
昨日の夕ごはんのラーメンのカップ、スープに突っ込まれたままの耐熱箸、底にうっすら水が溜まったコップ、開きっぱなしのファッション誌…ごちゃごちゃと置かれたものの中から、スマホを手に取る。

…電源がつかない。
どうやら、昨日充電をさし忘れたらしい。

溜め息をついて、でも、充電器を探すほどの気も起こらないまま、天を仰ぐ。
天井には、LED電球が、しょぼくれた灰色のままぶら下がっている。

このままじゃダメだ、分かってる。
でも、もう無理なのだ。仲良しで、仲間だと思っていた友人たちから言われた言葉が、胸の中に突き刺さって、抜けない。

なんであんなに容易く、見捨てられてしまったのだろう
頑張っていたのに…。

責任を取りなくないみんなの代わりにリーダーを買って出た。
なかなか出ないみんなの意見を引っ張り出して、聞いて、なんとかとりまとめた。
方向性を決め、手を尽くして、みんなが楽しく、真面目に活動できるように計画した。
みんなの愚痴も雑談も丁寧に聞いた。

なのに、たった一回。たった一回、「改善してほしい」「協力してほしい」と自分の気持ちを伝えただけで、みんなから見捨てられた。
残りの僅かに残った、仕上げみたいな仕事を、みんなが勝手にやり遂げて、終わった。

その日から、何もする気が起きなくなった。

外は清々しい程の快晴だ。
だけど、薄暗い部屋の中で、生命維持だけをしてきた一人暮らしの人間には、快すぎて、眩しすぎる。

真っ青な空を、鳩が飛んでいる。
快晴の、澄んだ空の中を、気持ち良さそうに。

あの鳩にはなれそうにない。
もう枯れたはずの涙が一筋伝っていった。

4/12/2024, 1:38:26 PM

「アサダヨ、アサダヨー」
座敷の奥で、羽毛をむくむくと動かしながら、ヨウムが鳴く。
「おはよう」
私は、目覚めたばかりのヨウムの、くすんだ銀の鱗のような羽を撫で付けながら、笑いかける。

今や一人(一羽)きりの同居仲間のヨウムに、餌をやる。
「イタダキマス」
カタコトでお行儀よく答えるヨウムと共に、朝ごはんを食べて、私は立ち上がる。

朝日がゆっくりと、軒先に差し込んでいる。
私はいつも通り、縁側に座ると、庭を眺める。

今日は快晴。庭の木々は若い芽を出し、ところどころに美しい花が咲いている。
日向ぼっこには最適な、暖かい朝だ。

朝日を浴びながら、私は抱えていたものを膝に置き、撫でる。皺が寄って乾燥した私の手が、白い翼を撫でる。

空は真っ青に晴れきっている。
どこからか飛んできた飛行機が、白い線を描きながら飛んでゆく。

ねー、ママ!こっちこっち!
はやくー!早くあそぼ!
近くに住む子供たちの元気な声が聞こえる。

私は、膝上の紙飛行機に目を落とす。
真っ白な皺ひとつない翼。軽くて、紙にしては少し硬いその紙飛行機を、私の皺だらけの手が撫でる。

目を細める。
私が紙飛行機を好きになったのは、こんな晴れた日のことだった。

あの日。もう七十年前のあの日。
その日、私は家の都合で、どうしても幼い妹の面倒を見なくてはいけなくなった。私は、みんなと遠足に行けなかった。
妹の世話で疲れ切った私は、友達と今日を過ごせなかった失望で、すっかり荒んでいた。

その時だ。
その時に、家の土塀の向こうから、紙飛行機が飛んできたのだ。
その紙飛行機は羽を水平に広げ、悠々と、私の家の庭に着陸した。
その様子が、私にはまるで遠い空からの贈り物に見えた。

ドキドキしながら紙飛行機を広げてみると、手紙だった。きっと、私のクラスメイトからだろう、手紙。

正直に言うと、手紙の内容はお世辞にも巧くはなかった。
「私がいなくて残念だった」とか、「おつかれさま」とか、そんな気休め程度のお手紙。
でも、その筆跡は、馴染みのないものだった。

筆跡を憶えていないほどの関わりでも、私を気にかけてくれた、手紙の主がいた。
胸が熱くなった。

その日から、私は、紙飛行機を飛ばすようになった。
遠くの空へ、どこまでも、かつて私に届いた紙飛行機のように、悠々と飛ぶ紙飛行機を私も作りたかった。
そして、いざという時に誰かに届けられるようになりたかった。

紙飛行機を探求している間に、いつのまにか私はこんな歳になっていた。
紙飛行機にだけ異常に詳しい私を、近所の若い子たちは、“紙飛行機の魔女”と呼ぶようになった。

あの紙飛行機には宛名も記名もなかった。
だから、こういう日に、空を見上げながら思い出を漁っていると、時々こんな疑惑が胸を掠める。

あれは私宛のものではなかったのではないか

でも、そうであったとしても、そんなことはどうだっていい。紛れもなく、あの紙飛行機は私を良い方に変えたのだから。

だから、こんな晴れた、風も凪いだ、紙飛行機日和には、私も紙飛行機を飛ばすことにしている。

一番飛ぶ折り方の紙飛行機を、遠くの空へ。
どこか遠くの誰かの心に届くように、遠くの空へ。

「トベトベ、ヒコウキ!」
三十年連れ添った相棒の言葉と風に、私は紙飛行機をそっと乗せる。
紙飛行機は白い翼を水平に広げ、遠くの空へ、飛んでゆく。

4/11/2024, 12:47:10 PM

目を覚ます。
隣の布団はすっかり冷めている。

僕は半身を起こす。
ドアの隙間から、うっすら一本、隣の部屋の明かりが漏れている。明かりの筋の中を、埃が舞っている。

口の中で何度も名前を呼ぶ。
隣の部屋に聞こえないように。
目の端が、くすぐったい。目の縁まで、液体が溜まってゆっくりと滑り落ちる。くすぐったい。

明かりの向こうでは、静かに、冷静に、話す大人たちの声がする。二十二時には、隣で眠っていたはずのあの人の声もする。僕に話しかける時よりずっと、硬くて冷めた声。剣呑な声も、時折混じる。
何を言っているのか、内容は分からない。大人の用語が多すぎて、難しい。

でも、きっと僕の行き先のこと。
みんな、僕の人生の話を僕抜きでしている。

外からしっとりした雨の音が聞こえる。
あなたがいないだけで、僕の布団も、僕の横に敷かれた布団も、すっかり冷え切ってしまった。

僕の前で、両親が居なくなってしまってから、僕は腫れ物の子になった。
頼る者も頼られる者も甘える者も甘えられる者もいない、腫れ物の子。

そして、親族にすら満足に取り入れない捨てられたナニカ。

でも、あの人だけは違った。
他の…僕の親戚の目を盗んで、僕を家に連れてきたあなたは、僕を1人の人間として扱った。
正直、あの人はしっかりした人間じゃない。1人なら、早起きもままならない、ダメな大人だ。

でも、あの人は僕と一緒に生きようとした。
僕を生かすのではなく、僕に生かされようとするのではなく、僕と協力して生きたがった。

あなたと一緒にご飯を作る。
あなたと一緒にゴミをまとめる。
あなたと一緒にセールに並ぶ。
あなたと一緒に洗濯物を干す。

そんな日々が非日常だと思い知ったのは、つい最近だ。

帰国してきた僕の叔母が、僕を育てるために、僕の行方を探し出した。
そして、僕たちの生活は見つかった。

明かりの先で、みんなが話し合う声が聞こえる。
時々、強い言葉を吐くのは叔母。
バツの悪そうな弱気な声は他の親族。
硬い声で丁寧に話すのはあの人。

自分のいないところで、自分のことが決まるのをただ見るだけというのは、つらい。悔しい。
こういう時は…自分で決めたいのなら…ドアを壊すつもりで開けて、とびきり大きな声で声高に、自分の言葉を訴えなければ。

でも、僕にはそれはできない。
向こうで話している大人たち、誰に対しても僕は意見を言えない。
誰に対するの想いも、僕は言葉にできない。

叔母は僕のことを一番に考えてくれている。
叔母はきっと僕を大切にして、守ってくれる。

あの人は僕がなくした大切なものをずっと教えてくれた。
僕はあの人との生活が大切で、あの人を守りたい。

親戚たちは自分の生活で一生懸命で、僕を放っておいてくれた。
親戚たちは僕を死なさない程度にしっかり養育してくれるだろう。

…僕は、自分の意見を言葉にできない。
「ついていきたい!」と誰にも言えない。

僕に関わった大人たちとの関係を、僕は、言葉にできない。

だから、今日も頬を流れる涙がくすぐったいな、と思いながら、僕はなんとなく暗闇の中にいる。

枕元に置いた、強烈なデジタル目覚まし時計が、ほのかに青く、0:50を照らす。
隣の部屋に続くドアからは、声と光が漏れ出ている。

夜はまだ明けない。

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