※ポケモン剣盾二次創作・マクワとセキタンザン
日差しが強い。照り付ける日光は地面を焼き、空気を揺らめかせていた。ヨロイ島の蒸し暑い森の中、セキタンザンの背中の中で燃える炎が、風に揺られていつもより増してぱちぱちとはじけている。
「ヒートスタンプ!」
マクワが叫ぶと、セキタンザンは黒い身体を炎で包み、高く跳躍した。木の高さほどまで飛び上がった巨体は真っ直ぐ向かい合っていたウッウに向かって落ちてゆく。
太陽の力を借りた火炎に焼かれた青い鳥ポケモンは、慌ててその場から逃げ去った。
「ふむ、高さは申し分ありません。しかしこの天候です、まだ火力が出せるかと」
身を包む炎を消し、振り返ったセキタンザンに向かってマクワは言った。
「跳ぶ方に気を取られているのですね。両立できるよう集中的にトレーニングを……」
びゅう、と強い風が吹いた。森の木々が風に煽られ傾き、セキタンザンの背中の火の粉が共に流されてゆく。埃にも似た湿り気が鼻腔を擽ったかと思うと、空の方からゴロゴロと音が聞こえてきた。見ればあれほど真っ青に晴れていた天空に黒い雷雲が差している。
すぐに雨が降るだろうことは、マクワにも予想が出来た。一般的な雨量程度であれば、水が苦手なポケモンでも野生で生きる以上耐性がある。だがしかし、瞬間的に多量の水を浴びるとなれば別だった。
「……夕立が来ますね。一旦雨が止むまで待ちましょう。流石に大雨は、きみもつらいはずです」
「シュポォー」
ぽつり、ぽつりと肌に触れる冷たい水の粒。程なくして一帯を重く暗い雲が包み込み、激しい雨が降り始めた。バケツをひっくり返したような豪雨が衣服を濡らしてゆく。マクワは慌てて荷物から折り畳みの傘を開いた。
それからモンスターボールを取り出して、セキタンザンに向けスイッチを押す。しかし、ボールは反応せず、開かない。取り違えたのかと思いほかのボールを確認するが、間違いなくセキタンザンのモンスターボールだ。
「な、なぜ……!? まさかこの大雨で電波がやられ……ッ、セキタンザンこれを!」
「ボオ……!」
大水の中、セキタンザンは頭を振った。しかし背中から煙が上がっている。彼の特性じょうききかんがすでに発動してしまっている証拠だった。
それは彼が水を浴び、少なからずダメージを負っている証。マクワはあまり大きくはない傘をその黒くて大きな手に押し付け、すぐに離れた。
「トレーニングをするのに必要以上の負担は掛けられません! ……それに……ぼくは……みずに濡れても痛くありませんから」
マクワはセキタンザンに背を向けてつぶやいた。その背中は影を帯びていて、とても小さく見えた。
セキタンザンが声をかけようとする前に、すぐに走り出した。
「さあ急ぎますよ。洞窟は向こうです!」
「シュポォ!」
バディはなるべく傘を高く持ち上げながら、その背中を追いかけていった。
◆
森から草原を抜けて、辿り着いたのは一本道の洞窟だった。二人が到着するころには、マクワの衣服は完全に水で濡れてしまい、全身にぴったりとくっついていた。まるで水の中を泳いできたようだった。
洞窟の入り口も、滝のような水がヴェールを作っている。
マクワは適当な岩の上に腰かけると、荷物から水筒を取り出し、一気に煽った。
「……はあ……はあ……流石にこの大雨の中の全力疾走は……なかなかに新しいトレーニングですね……」
「ボオ……シュポオ……」
セキタンザンは折り畳み傘を一生懸命畳もうとしていたが太い指先ではうまくいかない。
「ああ、だいじょうぶです。乾かしたいのでそのままその場においてくれますか?」
「シュポォー!」
セキタンザンは首肯すると、濡れた面が自分に向くように立てかけた。
それをみたマクワは水筒をしまうと、傷薬をさっと石炭の黒い身体に吹き掛けた。それから次はタオルを取り出した。軽く自分の手や、ぽたぽたと水を落とす髪を拭くと、セキタンザンの腕をとり、ごしごしと擦り始めた。
「……ぼくは……みずが平気ですが、きみはそうはいきませんので」
「ボオ?」
携帯用のフェイスタオルだ。基本的にはマクワが汗をぬぐう時に使用しているもの。広い面積のセキタンザンの身体全身を拭くには足りておらず、あっという間に濡れ切った。
マクワはそれをぎゅうと絞り水気を落とすと、再び石炭の身体を拭き上げる。時々水滴を落とす彼の衣服の水も吸わせながら。
セキタンザンはその手が小さく震えだしているのを見た。
「シュポオ!」
巨大な肩を拭うその顔を慌てて覗けば、マクワの薄い唇が青くなっている。
「……なんですか。ぼくはみずがへいきで……あつ!」
背中の炎が突如燃え上がった。セキタンザンが自分のエネルギーを背中に向けて集中をした。めらめらと高く炎が揺れて、それからゆっくりと体全体を包み込む。マクワは思わず後ずさった。
「きゅ、きゅうに火をつけるなんて……あぶな……くちゅん!」
盛大なくしゃみをしてマクワはその丸い目をぱちぱちと瞬かせた。それから改めて自分のユニフォームを見下ろした。濡れ切っており、時折雫をこぼしている。
それからジャケットとユニフォームを脱ぎ、下着姿になって思い切り絞り上げると、ぱちんぱちんと叩いて広げ、近くの岩の上に並べた。
「……ど、どうやらだいぶ身体が冷えていたみたいです……」
「シュポォー!」
セキタンザンは再び背中に炎を集めることに注力した。背中の山は高らかに大火が揺らめき、石窟の中を照らし出す。立てかけてあった折り畳みの傘がじゅう、と音を立てて水蒸気を上げていた。
マクワはセキタンザンの隣に座り込んだ。ちかちかと眩しい赤い火の灯りが、水を飛ばしながら、体の表面から中の方までゆっくりと浸透していくようだった。
「……温かい……。この量の水気のなか、それだけの火力が出せるのであれば……ヒートスタンプの火力も安定出来るかもしれません。……イレギュラーなトレーニングになりましたが」
「シュポォ!」
「……ああ、もう。ぼくがしっかりするべきなのに、またセキタンザンに助けられてしまいました。……きみと一緒にいることで、ぼくはいわタイプのトレーナーとして、いわタイプとして居られる……。きみがいたから自立できたのです。なのに欲張る気持ちがでてきてしまって……」
それは憧憬の重たい影だったとマクワは思う。生まれ育ちでひとの人生は決められる。
マクワも例外ではなくこおりタイプの親の轍を歩み続ける過去があった。
だからこそ自分もひとではなく、生まれからしていわポケモンであれたらと夢想する心が、現実の中に根を伸ばしていた。
「ボオ」
「意地を……張りました。……でもぼくがぼくであるから、こうして温めてもらえて……なによりきみの恩恵を誰より感じることが出来るのもまた事実です」
明るい火炎は石の壁をちかちかと照らし、座って寄り添うマクワとセキタンザンの影をも揺らしていた。気が付けば、激しい滝の流れる音が収まっている。
ふと外を見れば、雨は上がり始め、雲が光を取り戻していた。
モンスターボールを取り出しボタンを押せば、きちんと動作し開いた。セキタンザンが帰ってしまう前にキャンセル処理をして再び鞄に仕舞い込んだ。
「……よし、止んだら今度こそ続きをしましょう。きみの火力をみせつけるのです」
「シュポォー!」
「その前に……服を乾かさなければなりません。さすがに下着で島をうろつくのは……きみのクレバーに反しますからね。いつチャンピオンが現れるかもわかりませんし」
そう言ってサングラスを拭くマクワに、セキタンザンはいっそう体のほのおを強める。
雲間から現れた再びの日差しが、二人の道を照らして燃ゆる。
※ポケモン剣盾二次創作・マクワとセキタンザン
知っていますか?
空の青色は、残り物の色だそうですよ。同じように海の色は、その残り物を水が拾って映した色なんだそうです。
石炭と炎の色で出来ているセキタンザンには少しばかり遠い話かもしれませんね。
残り物と言うと少し言い方が悪いかもしれません。この世界は、太陽の日差しを浴びてたくさんの明かりを貰っています。日光を直接見ると……目にはよくないのでサングラスをしましょうね。
サングラスがあれば直射日光から眼を守ることができます。……もちろん人間じゃないきみだって例外じゃありません。
ええと、話が逸れてしまいましたが、
天気の良い日に青空の下で直接見るとほぼ白色に見えるかと思います。
……見えてますよね? ああよかった。基本的にはやはり人の眼もきみたちセキタンザンの眼も同じ機能をしているのでしょうか。
まあ、たとえ他の色をしていても構いません。今度は雨上がりの空を思い出してください。虹が掛かった所を見たことがあるでしょう? 6色のカラフルなアーチ状のもののことです。完全な弧を描くことは稀で、山裾辺りから伸びている姿を見ることが多いでしょうか。
そうそう、カントーやホウエンのひとたちは虹色を7色だと言うそうですよ。
少しばかり悔しいですが……ガラルに住むぼくたちよりも色に対する感性が鋭いのでしょうか。ぼくもカブさんから聞いて初めて驚きました。……ええとつまりですね、ぼくたち人間の間でも何を重視するか、あとはその人個人の見え方でいくらでも変わるので、ぼくときみが見えるものが違っていてもなにもおかしくないと……伝えたかったのです。
それで虹の話です。白い光は雨の水などで屈折した時、本来の色を見せます。6色ありますが、それぞれの色には一つずつ、実はぼくたち人間の目には見えない波長がありまして、赤が1番長く、反対の青色が1番短いのだそうです。
夕焼けが赤色なのは横から地平線に伸びる太陽の赤色が1番長く届きやすいからだそうです。そうしてひとつずつぼくらが受け取る長さにはズレが生じて……最終的には残り物の青が残ってしまうそうなのです。
ぼくにとって空の色は、白色……あるいは薄紫色でした。
薄曇りや雪が降る前の雲の色ばかりを見ていたからですね。セキタンザン、きみも知っての通り、寒冷地であり……すぐ近くに海辺もあるぼくらのキルクスの町は雪やあられが降りやすく、天気の良い日は少ないです。今朝見た天気予報では、また1週間近くあられが続くようです。
雪でなくて……何よりでした。雪掻きもよい訓練にはなりますが、もっときちんと組んだメニューをジムトレーナーの方々と行いたいですし、ポケモンたちもいるとはいえ人手が必要で、ほぼ総出になってしまうのは頂けません。
……でも本当は昔からそうだったのです。実はぼく、恥ずかしながら家に……実家にいた頃は雪掻きをしたことがほとんどありませんでした。後を継ぐためにこおりポケモンの勉強か、訓練かのどちらかで……時間を割いている余裕がなかったのです。
本当は空の色なんてどうでも良いとさえ……こおりポケモンこそ天候に左右されるはずなのに。
あられがバラバラ落ちる中、ぼくらはいつも深くて暗い海に向かいました。母はぼくと母のラプラスが仲良くなれるようにしたかったのです。
学ぶことも、トレーニングも、ラプラスといることも苦ではありませんでした。
ひとつひとつがぼくの力になるのだから、こんなに良いことはありません。
でもそこで見る海の青さは、全て……残り物でした。前に進めない愚鈍なぼくという波長が残った色。ぼくの……目の色。
でもきみといるようになって、一つ気が付いたことがあります。その空の色は……きみの煙の色に少しだけ似ていました。高い湿度が生み出す雲と、きみの水蒸気……場所は違えど大本は同じです。ぼくはあの空を……あまり見たくありませんでした。
しかしきみの煙はじっと見ていてとても楽しい。もくもくとあがる噴煙は、一瞬たりとも同じ色になることはありません。水分量や火力の量、それが指し示すきみの体調で毎日毎秒色が変わっていきます。
きみがしっかりとほのおを作ってあげる煙は白に近い……そう、あの雲が覆う空にとても似ていることに気が付きました。
けれど、それだけではありません。キルクスの上空に広がる雲の中にも分厚い部分や薄い部分、その入り混じりがあって、いろんな色を作っていました。
あいまいな空は……たくさんの色彩に満ち溢れているのです。これはきみがみせてくれる輝きのひとつにすぎません。
こんな雑学に興味が向いたのも……きみと見る空の色がとてもカラフルに出来ていたからです。
例えばきみといつもトレーニングに行くヨロイ島。あそこは本当に素敵なところです。
日照りはきみのほのおに活力を、砂嵐の時はきみのいわのちからがきみを守ってくれます。
曇天の時は、きみの煙そっくりの雲が覆いますし、雨の時は足元が悪くなりますが、それもバランスを養う訓練です。ぼくも咄嗟の時にバク宙を行うデモンストレーションが出来ました。
霧の時は……サングラスがどうにもなりませんので、さすがにトレーニングは中止です。何かあった時が大変……危険は避けるべきですからね。
晴れた日は汗だくになりますが、より効率的に身体を追い詰められる。筋力は使って細胞を千切らなければつきませんからね。
なにより一緒に見るあの空と海……残り物なんて言わせない、輝くような青色がどこまでも広がります。ぼくはこの色を、これからきっと一生忘れることはありません。
ぼくは明日もまた、あの蒼色を見に行くでしょう。キルクスの雲が無数の色だったように、海の青も一色じゃない。明後日も、また違う色が放つ輝きを見たいと思っています。残り物だってかまいません。
いえ、残り物のぼくにはぼくの色があるのでしょう。
きみの煙の彩りがあれば、6色も7色も超えた、無限の色を見ることが出来るはずだから。
※ポケモン剣盾二次創作 マクワとセキタンザン
歓声は鳴りやませない。目を見張るような祝福の波が、スタジアムに渦を巻いた。
切りそろえられた緑の芝の上に立ち、マクワは片手を振って応える。はるか昔、子供のころ一度だけ連れて行ってもらったオーケストラの指揮者がタクトを振る姿を思い出した。
鍛錬を重ね、奏者を束ねて奏でる音を一振りで操り、感情を思いのままに演奏させて波を打つ。
今ここにいるのは観衆の指揮者に違いなかった。委員長がキャスター付きの台の上に置かれていたトロフィーを持ち上げ、マクワに渡した。
ずっしりと重くて大きい、自分のゆがんだ顔が映る金属の曲線を受け取った。
「優勝おめでとうございます」
「ありがとうございます。皆さんのおかげです。これは……ファンの方に捧げます」
マクワがひとつ指を振れば、黄色い歓声が高まった。
今ここにいるのは、聴衆の指揮者に違いなかった。
◆
トロフィーはすぐにガラスケースの中に閉じ込めた。今日の記者はやや口下手なのか何度も同じことを聞いてきたがマクワは難なくインタビューをこなした。少しでも時間は惜しいのだ、ここで手間取っているわけにはいかなかった。
それから優勝者には、テレビや雑誌、インターネットなど多数の記者が来ることが必ず決まっていた。中規模の大会で、リーグ公式のものであり興味のある人間は多い。
しかしここでもやたら同じことを何度も聞くインタビュアーが多く、マクワはつい顔をひそめそうになってしまった。こういう時にサングラスは役に立つのだった。
昼に終わった大会も、野暮用や片付けをしていればあっという間に夕方になってしまった。
勝てたからといってやることは変わらない。特に勝利の後だ、ファンの人たちも気持ちが昂っていることが多いのだ。ファンサービスとして必ず設けているミーティングは、今日も無事時間通りに開かれた。想定通り、今日の試合についてファンは嬉しそうに語ってくれる。
功労者であるポケモンの中でも、まだ幾分余裕がありそうなセキタンザンを連れ出して、実際にファンと触れ合えるように手はずを整えた。
ファンから今日のセキタンザンがよかったといわれたとき、セキタンザンについて、ついつい歯止めが利かないまま長々としゃべり続けていた。しゃべりすぎたことに気づいたときは、思わず咽ってしまったし、かっと顔に血が上ったのを感じていた。
生暖かい視線が主催を包んだファンミーティングの片づけを終えて、それからはいつも通りのトレーニングだった。マクワは自分のジムに戻り、トレーニングルームの扉を開けた。
ジムリーダーに就任してから、もう何度も繰り返し続けているルーティンだった。
人間とポケモンの筋トレ用の機材がずらりと立ち並び、籠る空気に乗って独特のゴムの香りが鼻を擽った。マットの上で軽くストレッチをして、まずは腕の筋力から全身満遍なく動かしてゆく。
錘の繋がったバーを掴み、胸を広げるように前に押し出す運動だ。
だがしかし、慣れたはずの錘がいつもよりも妙に重たい。軽快に繰り返せるはずの往復運動が、緩慢で、途方もない時間を要していた。
流石に疲労が溜まってしまったのだろうか。背中の上に見えない何かがのっかって、どんよりとしているように感じた。今日は早めに切り上げよう、そう考えたマクワは残りの普段のメニューの基礎トレーニングをサクッと終えると、これを最後にしようとウェイトトレーニングに手を伸ばした。
バーベルを担いでしゃがむ運動は、バク宙などのパフォーマンスに必要とされる下半身や、体幹を養うものだ。試合の時に必ずバク宙を成功させるためにも、絶対に欠かせない訓練だった。
左右の大きな丸い錘に橋を渡すように、金属の太い棒が伸びていて、いくつも支柱に掛けられている。マクワはそのうちの今一番重たい錘の棒を掴む。鋼の重さがぐうっと床から伸びていて、思わず傾きかけた。両方でバンギラスのくらいのものだ。もう何度も持ち上げたサイズだった。
そしてマットの敷かれた広いスペースに運んで床に置く。額からだらだらと流れる汗を片手で拭った。
「……ふう」
マクワが見下ろすと、曲がることのない棒が大きく弧を描いている。そういえば今日見たトロフィーも同じような曲線だった。ぼんやりとそんなことを思いながら、マクワは両手で再び棒を握りしめた。両手に負荷がかかるが、しっかりと足で床を踏みしめ力を入れる筋肉に意識を向けてゆく。
尻や腹筋がほのかに温かさを持ち、確かにこれを持ち上げるのだと伝えてゆく。
「ふ!」
喰いしばる歯と歯の間から小さく息が漏れる。腰の高さまで一気に持ち上げたかと思うと、今度は頭の方へと持ち上げる。
身体はきちんということを聞いていて、マクワは安堵したが、しかし何かが視界の端で揺らいでいる。一度目を瞑り、それを払うように開いた。
もう少し。もう少しだ。いつも通り。いつも通り。言い聞かせながら、もう一度全身に力を籠める。バーベルは一気に首の高さまで持ち上がった。汗が噴き出て滝のように止まらない。
「は……げほ、ごほ……ッ」
呼吸を整えて息を大きく吸い込んだ瞬間、喉にざらつくような違和感を覚えて、せき込んだ。あともうちょっと。
マクワはさらに筋肉の熱を高めると、頭の上にバーベルを持ち上げた。
その瞬間、視界がぐるりと傾いた。ふと熱が止まって、両肩の力が抜ける。バランスを崩したバーベルは、支えるものを失って、そのままマクワの頭上へと落ちていく。
ガツン!
マクワが目を開くと、青いマットが視界を覆いつくしていた。その端にある黒影は、よく見ると石炭の足だった。
「シュポオー」
「なに……セ……キタンザン……?」
視界を動かすのも重たくて、ぐるぐると回っているが、それでもその先をなんとか見上げた。
巡る世界の中で、バーベルを両手で持った相棒がどっしりと立っていた。ああそうか、自分は倒れたのだ。バディの名前をつぶやくことでようやく理解ができた。
「シュポォ」
セキタンザンの優しい目は、少しだけ愁いを帯びているように見えた。どうやらマクワ自身よりも、マクワの身体について理解していたらしい。ずっと心配をしていたのだと伝わってくる。
「……たしかに……ここのところずっと帰ってませんでした……。1か月くらい……? それにあんまり寝てなくて……ああ……体調悪かったんだ……」
「ポオ」
「フフ、だいじょうぶです。ぼくには……待っていてくれるひとたちがいますからね。……それにきみたちだって……きみのためなら……」
マクワはゆっくりとあおむけになった。青い目は、セキタンザンの背中にある赤い光をたっぷり映す水面に違いなかった。
「今日の……新しいファンのかた……ききましたか? 初めてきみの輝きに気が付いたって……ぼくたちが……結果を残すのは当然のことですけど……もっともっと見せていかなきゃ。
そしたら……みんないわポケモンがすごいって……きみをすごいって……」
「シュポォー」
「そうしたら……ここはどんな地獄だって……きっと天国です」
重たい口端が弧を描いた。だがすぐに噎せ返る声が静かなトレーニングルームに響き渡った。
セキタンザンは慣れた様子でバーベルをもとの位置に戻すと、マクワの頭に顔を寄せた。柔らかい埃のような石炭の香りが、今は濃厚に頭を揺らす泥のような臭いだった。
それから動けないマクワを引っ張り、抱き上げた。そしてなるべく静かに高らかな声を上げる。
「シュ ポォー!」
「……うん。ありがと……」
ささやかな温かい抗議の中で、肉の身体を預けるのだった。
※ポケモン剣盾二次創作・マクワとセキタンザン
あぶくが空へと浮かんでいく。
結果が悪い。トーナメントに並ぶ名前の横には敗退の印が並んでいた。
スポンサーや委員長は焦らなくていいと言うものの、その双眸には閉じ込めた言葉がうっすらと浮かんでいて、真綿で首を締めるようにマクワの頭の中に纏わりついてくる。
そして何より自分たちの威信を今に知らしめたい観衆たちからは、心のない文言が自分の名前の隣で磔にされていく。杭を打ち込むように、茨の冠を被せるように、あるいは鞭を100回打つように、精神が乾いた丘の上に登らされていった。
このままではメジャーリーグから追いやられ、マイナーリーグという苦境に立たされることとなるのはもう目に見えていた。母親から生き勇んで独立した身だ、今実績を築き上げて周囲からの信頼を勝ち得ることは可及的速やかに必要なことだった。
失敗をすればこの胸からスポンサーのロゴを失って、空白の中でジムのトレーナーたちやポケモンたちの面倒を見なければならなくなる。ひともポケモンも、霞を食べて生きていくことはできない。なにより磨き続けたいわの輝きが曇ってしまっては、元も子もないのだ。
とにかく一刻も早く結果を出さなくてはいけない。あらゆる努力を、手を尽くさなくては。
◆
青空の下、とりポケモンの鳴き声が耳に響く。蒸し暑いヨロイ島は、今日も眩しいほどの強烈な快晴で、湿度と温度の高い環境に適したポケモンたちが闊歩していた。
「何度言ったらわかるのです!? 今はまだ落とすべきではありません! もう一度!」
「ゴオオ……!」
マクワの叱咤に気圧されながら、セキタンザンは体に力を籠める。どごお、と音を立てて大きな石が地表から現れ、宙に浮かんだ。
「ではカウントしますよ。1、2、3……」
見えざる力によって空を飛ぶ巨石は、マクワのカウントに合わせて3mほど上にあがり、また同じ程度下がることを繰り返す。
いわタイプのポケモンにとって、自然の中で生まれるいわを操るワザは基本中の基本だ。これがうまくできない限り、あらゆるワザを扱えないことと同じ。
基礎の力をはぐくむことで、彼らのワザの精度をさらに高める特訓だった。
しかしカウントが進めば進むほど、いわの動くスピードが落ちていく。集中力が切れかかってしまう証拠だった。マクワは再び叫ぶ。
「目標より0.3mmほど下がっています! カウントやりなおし!」
「グ、オ」
なんとか100カウントまでの声が当たりに轟き、岩はばらばらと地に落ちて砕けた。セキタンザンは全身に込めていた力を抜き、ふらふらとその場に座り込んだ。
「お疲れさまでした」
「ボオ……」
「これを……どうぞ」
マクワがカバンの中から取り出したのは、ひとつの茶色い小瓶だった。ラベルは何も貼られていないが、蓋を外して揺らせば、奥から沸き上がった泡がはじけて、中の液体はしっかりと重たさを主張していた。
「……ぼくが独自に研究チームを雇い、作りました。きみ専用の特別なものです。
これがあれば、きみはきみのまま強くなれます。きみの輝きを保ったまま……ぼくたちがいま勝つために最も必要なもの……」
青い瞳がじっと瓶を見つめていた。セキタンザンは一度だけ瞬きをすると、すぐにそれを受け取った。鼻腔を擽るのは、たしかにハーブを煮詰めたような渋い薬品の香りで、少し眉根をひそめた。
しかしその小瓶を片手で持ち上げると、すぐに口元へと運んでいく。
「……! 待ってくださいっ」
バディは走り寄ると、瓶を持った太い腕に、しがみつく様にして押しとどめた。
「や……やっぱりこれは……きみとぼくには必要ありません」
「ボオ?」
セキタンザンの目元は弧を描いていた。にこにこ笑っている。彼は、ポケモンであり、バディであり、トレーナーのいうことを素直に聞いてしまう存在だった。
ふと遠い昔、母親に自分のバディを譲りたいのだと話を聞いたときのことを思い出した。
その時も、ラプラスは母の後ろでほほ笑んでいた。マクワは無理やり小瓶を引っ張って奪い取ると、すぐに蓋をした。
「……ごめん……ごめんなさい……。ぼくはスタイルの押し付けなんてしたくない……したくないはずなのに……ぼくはきみに無理を強いて……こんなものまで……」
「シュ ポォー」
「きみはぼくじゃない。母に反論できるぼくとは違って……ほんとうに素直なのに。ぼくは母の……母のままで……」
「ボオ」
「……でもぼくだから……ここまで来れた?」
黒い大きな頭が肯首した。そして伝える。
もともと戦うことがそれほど得意じゃなかった。けれど戦い方を教えて、ここまで導いてくれたのはマクワ他ならない。マクワ以外だったらきっとこんなに強くなれていない。
だからずっと信じているのだと。
「……正直……家を出たというのに母から教わったものばかりで……ずっと逃れられない呪縛のようなものでしたが……きみの力になれているなら……」
「シュポォ」
「いつか……きみの祝福になれるでしょうか」
「シュ ポォー!」
マクワは荷物から、ミックスオレのボトルを2本取り出すと、片方をセキタンザンに渡した。そして優しく傾けて、ボトル同士を触れさせた。
「乾杯……です。一旦休憩しましょう。結果は必要……でもぼくたちにはぼくたちのペースがありますから。そこには必ずぼくも見たことのない、いわの……きみの輝きがあるはずです」
あぶくはもうぱちんと破裂した。
喉を潤すのは、甘くて優しいきのみとモーモーミルクの味だった。
※ポケモン剣盾二次創作・マクワとセキタンザン
※飲酒の描写があります
雪交じりの冷たい風がびゅうびゅうと吹き荒れる。
降り積もった雪は、下の方が押しつぶされてしまい、もう凍り付いていた。厳しい指示の声が切り裂くように響いていく。
その真ん中に立ちはだかり、振り返るひとの影があった。
◆
電子音が聞こえて、世界が突然切り替わる。セキタンザンがぱちぱちと瞬きをすれば、そこはよくよく見知ったマクワの部屋の真ん中だった。
バディは片手にグラスを、片手にモンスターボールを持ち、一人掛けのソファに座っていた。窓の外は真っ暗で、かなりの夜更けだということがわかる。
「……寝ていましたか?」
白い顔を赤らめて、緩んだ灰簾石の目がセキタンザンを見つめた。床には、いくつか空き瓶が転がっている。どうやら晩酌に呼ばれたらしい。時々マクワが行う気分転換だ。
大きな頭を振って答えた。
「よかった。きみへの……ラブレターが出てきたのですよ。せっかくだから捨てる前に見てもらおうと思って」
「シュポォ?」
マクワは椅子の横に置いてあった、埃のついた箱を持ち上げて、そのまま蓋を開ける。
いつもだったらあの分厚さのものはティッシュを使って払ってしまうだろうから、だいぶ酔っぱらっているのだろうな、とセキタンザンはなんとなしに理解した。
そもそも昔、隠していたはずのものを改めて渡すなんて、普段の彼ならありえないことだった。
蓋の下から出てきたのは、ばらばらと不揃いの黒い石たちだった。
人間が使う記号……文字は特に書かれていない。人間の言う手紙というものには、必ず文字が書かれていて、それをやり取りするものだということくらいは知っていた。
「いつだったかなあ……もう忘れちゃいましたけど……きみにモンスターボールに入ってもらった後だったかな。
ぼくの……ぼくたちの新しい門出に気持ちが高ぶったぼくは、きみにもっと喜んでもらいたくて……きみが好きそうな石をあちこちで拾い集めてたのです。
手紙ではないですが、ぼくなりに気持ちを伝えるためのものでした。
中には鉱物商店で買ったものもあったはず……でも結局タンドンが草を食べるということがわかってその石たちは仕舞い込まれました」
肉付きの良い白い手が、小さな石ころをひとつ持ち上げた。小さな粉が落ちていく。
きっと石炭なのだろう。セキタンザンは自分の体からふわりと浮かんだ黒い粉末を見て思った。
自分自身と同じものは居心地はよいが、さほど特別なものではない。
けれどバディが気持ちを込めてくれたものは、煌めいて見えた。
「……たぶん、それだけじゃなくて。早くいわタイプを自分の味方にしたいという気持ちもあったのだと思います。昨日と別れる証明みたいなものが欲しかったんじゃないかな……」
これを言うと少しひどいかもしれませんが、とマクワは前置きをした。
「きみに……一日でも早く会いたかった。タンドンであって……でもタンドンじゃないきみに」
「シュポォー」
マクワはテーブルにグラスと石の入った箱を置き、椅子から立ち上がった。少しばかりふらつく足元に、セキタンザンは思わず立ち上がりかけたが、それよりもバディが自分の目の前に到着する方が早かった。
「ぼくと進化してくれてありがとう」
あまりにも柔らかい口元がそっと頬に触れて、離れていく。これを伝えれば、きっと機嫌を損ねるだろうと思ったが、彼の母親・メロンのことを思い出した。
峻厳だが、とても大らかで柔らかくやさしいひとがときおり気持ちをのせて贈ってくれるもの。その感触はひどく似ていた。
「きみはいつだってデカくてカッコよくて……素敵で強くて……。ぼくの憧れで……」
「シュポォ!」
「ごめんね。……こおりへの反発心だなんて……くだらない理由でぼくはきみを戦わせてしまって……フフ、本当にきみがバディで居てくれるのがふしぎなくらいで……ぼくもきみに押し付けて……だいじょうぶですか、ぼくといるの……たいへんじゃないですか」
「ボオ」
セキタンザンの固い両手が、マクワの両頬を抑えた。つまらないことを言う口を捕まえてやる。
「いたい……」
それからお返しにとばかり、真っ白でふわふわの頬へと、炎を飼う石炭の硬い口を近づけた。
同じことをしたら人間の柔らかい顔では痛むので、なるべく遠いところから、同じくらいの感触を伝えてやりたかった。
「フフ、きみはやっぱり硬くて……熱くて……さいこうだなあ……」
マクワの体が蕩け始めた。いや違う、セキタンザンは考えた。アルコールという不思議な液体で力を失っているだけだ。もこもこした絨毯の上に膝をついて座り込んでしまった。
随分と酒が回ってしまったのだろう、眠たそうに目尻がどんどん下がっていく。
「セキタンザン、きみと……明日へ会いに行きたい。ぼくたちの明日……たのしみだなあ」
頬を赤くして笑う顔は、何より柔らかくて温かい。
彼と彼の母を凍てつかせるこおりを溶かすものに、いつか自分がなれるかもしれない。
再びメロンを思い出したセキタンザンは、マクワごと抱きしめてしまうのだった。