〈忘れたくても忘れられない〉
初めて見たあなたの顔。
いつも君はマスクをしているから、下半分の顔は見たことがなかった。
いつか、マスクなしの素顔を見れたら良いなとは思っていたが、まさか、葬儀場で見るとは思わなかったけど。
線香をし終え、私は父と共に彼が眠る棺桶に近づいた。
驚いた。モデルしていると言っても頷いてしまいそうなくらい綺麗な顔をしていた。
「整ってる顔だなー、これ女装したら完全に女じゃん。女の私より綺麗にメイクできると思う、やば。超可愛い」
隣にいた父はぎょっとした目で見てきたが、気にしなかった。私は、彼の顔を撫でようとすると、知らない女づかづかとヒール音を立て、私の腕を掴んできた。
「あんた!いい加減にしなさい!!うちの蓮ちゃんが死んだのよ!!なにそんな呑気に女装やらなんやら言ってんの!出で行け!」
女は私の腕を片手で掴みつつ、もう片方の手で平手打ちしてきやがった。
かっとなった私はつい、殴り返そうとしたが私の父が慌てて止めに入り、女も知らない男に止めに入られ、ぎゃーぎゃー二人で罵りあった。
当然、私は知らない奴らから葬儀場を追い出された。父は周りの人やご遺族の方に謝りながら、慌てて私の後を着いていった。
葬儀場から追い出された私はさらにまた、ヒートアップして、感情がぐちゃぐちゃになった。
近くの石ころを蹴飛ばし、アスファルトを踏みつぶした。
「死ね!あのくそばばあ!!くたばれ!クソが!!」
大声できぃーきぃー私は叫んだ。どうせ聞かれたっていい。そのくらいの気持ちで叫び、暴れた。
後から来た父も最初は見守っていたが、中々クールダウンする気配がない私を不安に思ったのか、人が死んだというのに不謹慎な言葉を連発する私に「ふみ、アイス食べに行こう」と父は手を伸ばした。もう、親と手を繋ぐ年頃ではないが、父と手を繋ぎながら近くのコンビニまで歩いていった。幸い曇り空だが、雨は降っていないので傘は必要なさそうだ。
「なんで蓮くんのお母様に手を出そうとしたの?」
コンビニの喫煙スペースで父は煙草片手に聞いた。
私は隣でバニラアイスを齧りながら、鼻息荒く言った。
「あいつは知らないんだ、だから教えてあげようと思った。」
彼が自殺した原因があの女にあることを。
女は毎日毎日彼の行動をストーカーのように確認し、定期考査の点数からちょっとした小さな変化まで。まるで研究者が顕微鏡で微生物を観察するように、常に目を光らせていた。
彼は「息苦しい」と何度も言っていた。
放課後、自習という名目で、教室で彼の母の話をする時にいつも言っていた。
「蓮君は何度も私にSOSを出していた。分かっていた。気づいていた。でも、私は何もしてあげられなかった。
それがこんなにも悔しいことを初めて知ったの。でも、それを認めたくなくて。だからわざと綺麗だと言った。いや、綺麗なのは本当だし、いつもマスクつけてたから初めて素顔を見たから。つい言ってしまった、強がりたくて。いや違うね、この際、変な人に見られたかった、気狂いって思われても良いって思った。そしたら天国にいる彼が笑ってくれるような気がして。そう!笑わせてあげたかったの!ほら、ジョーカーみたいにね。ジョーカーってさぁ、自分が辛くても周りを笑わせるじゃん?そんな風になりたかったの。あっ、でも学校では真面目だよ?本当だよ。だってあの蓮君と話せる仲なんだから。知ってる?蓮君って、めっちゃ頭いいの。朱に交われば赤くなるって言うじゃん?だから私も蓮君も真面目なんだよ!!」
頭のネジが外れたロボットみたいに、べらべら喋る私に父が真顔で聞いてきた。
「蓮君が死んだって聞いた時、どう思った?」
私はその質問の意図が分からなかった。いや、分からないふりをした。
「分かんない、あや、バカだから」
「あや、ちゃんと答えなさい」
低く、父は言う。
あぁ、もう駄目だ。異常者の真似がバレてる。
道化がバレてる。
「一言くらい、死ぬ前に電話してほしかった」
ぽろっと出た本音は、取り返しがつかなかった。
ダムの放流のように一気に後悔が押し寄せていた。
「それがあやの気持ちなんだね」
父は優しく私の頭を撫でながらタバコを吸う。
食べかけのアイスは溶け始め、右手を汚し始めた。それでも構わない。むしろそれが良いかもしれない。今の私の状況にそっくりだ。
私の心を表すようにどろどろに溶け出すバニラアイスは、私は忘れることはできないだろう。
〈やわらかな光〉
〈鋭い眼差し〉
彼の最初の印象は猫のようだという印象を受けた。同じアイドルを目指す仲間として、彼が事務所に入所した時はかなり周りがざわついていたのを今でも覚えている。何でも、オーディションなしのスカウトで入所したというらしい。別にオーディションなしのスカウトは珍しくはない。現に俺も他のメンバーにも同じようなルートで入所した人もいる。ただ、周りがざわついていたのは、未経験という言葉にざわついていた。彼の入所日は誰もが浮足が立っていた。なんだって、ダンスもボーカルも未経験なのに卒なくこなす練習生がくるのだから。自分のスケジュールを確認して、彼にとって始めてのダンスレッスンの日は、他のメンバーも見学と言いつつも野次馬としてやってきた。
俺は彼と同じグループだったため、そんな野次馬としては見られなかったが、内心はどのくらいのレベルなんだろうと好奇心が躍っていた。
レッスン室にダンスの講師の後ろに着いてきた彼は俯きながら入ってきた。
「今日から新しく加入する종시우(チョン・シウ)だ。未経験だから色々教えてやってくれ」
講師がそう言うとシウの背中を押し、前で自己紹介をするように促した。彼も最初は先生の期待に応えようとしたが、何を言えばいいのか分からないようで俯いていた。しかし、気を利かせたうちの最年長が「どっから来たの?」と質問して、やっと小さな声で「京幾道」と答えた。すると一人のメンバーが「俺も!京幾道だよ一緒じゃん」と場を和ませるように言った。そのおかげか少しだけ、レッスン室の雰囲気がほぐれた。彼も照れるように笑っていた。場を和ませてくれた彼には感謝する。
先生もその雰囲気に気がついたのか、にこにこしていた。この時間が続けばいいと思ったが、いつまでも続けば良いなと思ったがそういうわけにもいかない。俺たちはデビューすることが最初の目標だから。それは他のグループも一緒で、常に競い合っている。
少し時間がだったところで、「じゃあ、今日は新曲だからまずは一通りやるからな」と先生の一声がかけられる。
その瞬間、今まで和やかな雰囲気だったのが、一瞬でピリッと変わった。シウもそれに気づいたようで目の色が変わり、どきまぎし始めた。俺は彼に近づき、「隣、いい?」となるべく優しくこえをかけ、俺なりに彼の緊張をほぐそうと思った。彼も少しホッとしたのか、お願いしますとぺこりと頭を下げた。
俺は彼のことを講師から背中を押され、簡単な自己紹介をしている時まではシャイな人だと思っていた。
まぁ、そうなるのも無理はないし、彼も彼なりの理由があるだろう。いきなりスカウトされ、家から離れた場所で赤の他人との共同生活とレッスンが始まる生活に驚きを隠せないのは仕方ない。しかも、目の前には興味津々の目をした人たちが自分に目を向けているのは、居心地の良いものではない。それ故、俯きながら入室するのも、大きいとは言えない声で自己紹介をするのも自然なことだと思う。
しかし、彼の自己紹介が終わり、いつも通りにレッスンが始まると、彼は途端に変わった。
自分たちの目の前で教えながら踊る先生を見よう見まねで踊る彼は、とても未経験とは思えなかった。
先生が一度、Aメロ部分のダンスを一通り踊れば、彼は完璧に先生のダンスを披露した。
それは鏡越しで見ていた先生も、隣にいた俺もシウを取り囲むように練習をしていたメンバーもすぐに気がついた。
彼は、一度見れば完璧に再現することができる。
同じことを思っていたのか、俺の後ろにいた이수현(イ・スヒョン)も口をぽかんと開けていた。
誰か見ても、彼にはダンスの素質があると分かりきっていた。
〈高く高く〉
産婦人科からの帰り道、小さな駄菓子屋に寄った。
駄菓子が特別好きではないが、気晴らしにひとつやふたつ、懐かしい菓子でも買おうと寄った。
店内はこじんまりしていて、店主と見られる60代後半の男性もぺこりと頭を下げるだけだった。私以外の客は、小学校低学年くらいの男の子3人だけで、大人の客は私以外誰もいなかった。
どの駄菓子も見覚えあるもので、よく食べていたものまであった。
久しぶりに心躍る感覚に驚きつつも、冷静に商品を見ていく。
「ねぇねぇ、シャボン玉飛ばそーぜ!」
店内にいた一人の男の子が急に言いだした。
一瞬、私に向かって言ってるのかと思ったが、隣にいた2人の男の子に対して言っていたようだ。
2人も「いいね」「俺、赤のやつにする」とわいわい騒ぎ始め、各々シャボン玉キットや駄菓子を手に取り会計をしていた。
彼らがいなくなった店内は、同じ店とは思えないほど静かになった。
「何かあったのですか?」
いきなり店主が、声をかけてきた。
私は驚きつつも「少し、身内の不幸で」と簡潔に答えた。店主は顔を変えず、シャボン玉キットを渡した。
私はその意味をすぐに理解した。
お代を払おうとしたら気持ちだけでいいと断れ、体に気をつけてとにっこり微笑む店主がいた。
家に着き、ベランダに向かう。
さっき買ったシャボン玉キットを開け、シャボン玉を飛ばす。
液の香りがつんと鼻を刺激する。
ぽろぽろ涙が溢れ出てくるが、それでもシャボン玉を飛ばし続けた。
シャボン玉は高く、高く飛んで行く。
〈子供のように〉
子どものように笑う彼女が好きだ。
けたけた笑い、ツボにハマってひーっ、ひーっ笑う彼女が好きだ。
私があなたに「好きだ」と伝えても、きっと「酒に酔ってるの?」とからかわれるか、「私も好きー」と言われる。
きっと彼女にとっての「好き」は友情的な好きなんだと思う。
私はさ、本気なのに。
キスだってできるし、抱こうと思えば抱ける。むしろ抱きたい。愛したい。私が今まで、どれだけ我慢してきたのか。目の前で別の人とのデート話や大人のあれこれを聞かされたこっちの気持ちも考えてほしい。
君だって、同じ色が好きじゃん。
私、女だけど、君の恋愛対象外なんだね。
そうなんだね。
だって、一度も私の告白を真面目に受け入れたことないでしょ?
目の前でキスしてきて耳を赤く染まらせながら、酔った勢いだと言い訳して。
私はあなたの嫌がることはしたくないよ。
でも、私のことを少しでも気があるなら、こういう子供じみたことは辞めてよね。
「ほんの少し興味があっただけ」じゃ済まされないよ。
私は君と違って、真面目なんだ。
気があるなら、言葉にして?行動で表して?
そして、抱きしめさせてよ。
「愛してる」って言わせて。
君が望むなら、そういうこともしてあげる。
君と違って初心なんてものは捨てたし、どっちの立場でも君を悦ばせる自信があるよ。
もしかしたら子供みたいのは、私の方かもしれない。