sioko

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3/6/2023, 1:14:05 PM

『たまには』

ダンボール箱の中から青色のバインダーを手に取る。何年か前の一時期に使っていた物だ。
インデックスをめくると、見慣れた汚い手書きの字がページを数行埋めている。何枚か見返して思い出したが、小説――と言うにはあまりにも短く、表現に乏しい――のような文章が書かれていた。
リーフごとに違うストーリー、というよりほぼあらすじのようなそれらをペラペラとめくって読み返していく。
……黒歴史には違いない。そのまま捨てようか、とバインダーを左手に持ち替えると、ベシャッと音がした。床に目を向けると、白紙のルーズリーフが散らばっている。まだ使えそうならメモ用紙にしたいのに、と急いで寄せ集めていくと、ふと違和感を感じる。
リーフの右下を見ると、薄い字で「7mm」と印刷されていた。
我、B罫ヲ愛ス者……A罫ハ……消エ去レ!!
……いけない。心の中の魔王が瞬間的に怒ってしまった。
よく見たら、小説モドキの文章達が書かれていたのも7mm罫だった。
罫線と罫線の間の字の収まりが好みで、ずっと6mm罫しか使っていないはずだった。昔は学校、今は職場という違いはあるけれど。
なんだって小説はこんな幅広罫線を使っていたんだろう。手にかき集めた白紙のルーズリーフを眺めてみるが、やっぱりB罫の方が好きだ、と感じる。A罫の、一行のゆったりとした広さが、勉強や仕事に使いたいとは思えなかった。
……ああ、だからか。うっすら、この青いバインダーとルーズリーフを買った時の記憶が朧げに浮かんでくる。
小説を書いてみたくて、地元にかつてあった文房具屋に買いに行った。勉強で使ってるルーズリーフは残っていたけれど、それを使うのは嫌だった。もっとゆったりした線のものに書きたかったから、青い袋に入ったB罫のルーズリーフではなく、A罫の入った赤い袋を手に取った……はず。バインダーは青なのにな、と不揃いな色を見ながらレジのおばちゃんに会計してもらったっけ。
文房具屋だったあの場所は、今どうなっていただろうか。そんなことを考えながら、キチキチに字を書くには幅の広い罫線を眺めていると、ピンと張った糸が緩むように、なんだか心までゆったりとなってくるような気がした。片付けするぞ!物を捨てるぞ!とさっきまで息巻いていたのに。
……そうだ、部屋の片付けをしていたんだ。周りを見渡すと、雑然と物が散らばったままだった。急いでバインダーとルーズリーフをテーブルの上に置いて、作業を再開する。
このダンボール箱の中には、赤い袋に入ったルーズリーフの残りがあるかもしれない。もし見つけたら取っておこう。片付けが終わったら、その紙に小説を書いてみたい。字が汚くても、おかしな文章でも、あの頃のように自由に書いていきたい気分だった。

2/4/2023, 4:38:26 PM

『Kiss』

彼の真っ白なワイシャツの襟首を掴んで引き寄せ、顔を埋める。
つま先立ちをしながら、やっと届いた彼の鎖骨に口付けをして…
…やっとできた。キスマーク。
「キスマーク付けたいのか?…出来てないなぁ」
首苦しい…と、モゾモゾしながら体を元に伸ばした彼は、はだけた襟周りを見下ろしながら言った。
「えぇ〜!?そんなぁ〜!」
せっかくキレイにグロス塗ったのに…。ちょっぴり大げさにリアクションする。
「グロス?だから、あんまり色濃く付いてないしなぁ…あー、ベタベタしてる」
唇の形には付いたはず!と、またしっかり確認しようとしてたのに。肌着の上からスタンプするように付けていたはずのそれを、彼は困惑しつつもう親指で拭いとってしまった。
もう!と頬を膨らませて、ちょっと不満ですよ、とアピールする。
「そもそも、あれじゃキスマークというよりリップマークだな」
ケラケラと彼が笑いながら、あの温かい大きな手で頭を撫でてくる。
子供扱いしてくれちゃって…
「も〜!じゃあ、ちゃんと吸ってキスマーク付けるから!」
「できないだろ」
「じゃあ付けて!!」
「しない」
そう問答しながら、彼は姿見を見ながらいつものようにネクタイを締め、スーツのボタンを閉じた。
ああもう、出掛けてしまう時間だ…
不満げな私に、姿見から振り返った彼が近付いて、あやすように頭をポン、ポンと撫でる。
「じゃあな。行ってきます」
玄関へ歩いていく彼の背に向かって、いつもの言葉をかける。
「…行ってらっしゃい」
ドアがガシャン、と閉まる重い音が聞こえる。
…行ってしまった。『キスマーク』、付けたかったのになぁ…。
毎朝、彼は私とは違う世界へ行って、夜になるまで帰って来られないのなら。
彼は私の物だって、私は彼の物だって――本当は、会えない間もずっと周りに知らしめていたい。
彼は、私にキスマークを付けるような事はしない。それなら、彼に付けていたいのに。誰からも見えるように、しっかりと。
今度は、拭っても落ちないリップを探して、やってみようかな。

2/4/2023, 10:33:35 AM

『1000年先も』

(雨が降りそうだな…)
地面に仰向けになって空を見上げる…なんて、いつ以来だろうか。
折角の空は灰色の雲に覆い尽くされ、手に届きそうな位近く、湿っぽい空気が漂っていた。薄暗い感じがするが、今はまだ昼過ぎではなかったか?
そんな風にのんびりと考えていると、遠くから人の声と共に、ザッ、ザッ…と草を掻き分けるような足音が聞こえてきた。…今更、下臣や援軍が来ても困るな。
足音の主はこちらを発見したのか、息を呑む音がしたかと思うと、ガシャガシャと鎧を鳴らしながら足早に近付いてきた。
…視界に入ってきたのは、刀の切っ先をこちらに向けた、敵軍の兵士だった。
「…貴殿は※※※※殿で、間違いございませんな?」
「…ぁ…ぁ…」
風の音ばかり喉から出る。自分でもあまり確認できてないが、やはり喉も斬られているのだろう。
腹から流れ出る血の温もりを指に感じながら、私はまた考えた。
きっと、この戦いに勝利した敵方の総大将殿がこの国の頂点に立つだろう。そしてこの国を治め、平和な世を作っていく。その過程で、勝者のための歴史が作られ、彼は1000年先まで名を残しているのかもしれない。
かたや、我が主君や私の名は肉体と共に滅び、二度とこの世に残っていないのかもしれない。敗者となった以上、それは致し方あるまい。
無念はある。こんな結果で、主君へ申し訳が立つわけが無い。けれど、この命と名が消えようとも、輪廻の巡る彼方にこの魂が再び生を受けたら…1000年、その歴史の先を辿ることが出来るのなら…勝者として死ぬことができなくても、少しはマシかもしれない。
「…では」
首筋に当てられた刃の冷たさがいやに響く。
黒い雲からぽたりと雨粒が落ちてきて、頬を流れた。

2/3/2023, 10:33:51 AM

『勿忘草』

ああ、俺はこのまま死んでいくのだろうな。ぼんやりと、まるで他人事のように俺は思った。
激しい川の勢いのままに流されているこの体は、冷えでロクに動かせず、重りが増えるように少しずつ沈んでいく。
愛しい人に良い顔しようとして死んだなんて、同僚の騎士達が聞いたら腹を抱えて笑うだろうか。間抜けなヤツめ、と隊長は呆れるだろうか。
それでも――
「ルドルフ!!嫌ぁ!、誰か、彼を…ルドルフぅ!!」
荒れ狂う川の水音をつんざくように耳に届く、愛しい人の狂乱した声。
俺を追いかけようとして転んでしまったのだろう、声が遠くなっていく。
やはり、花を摘みに川に入ったのが俺で良かった。流されるベルタを見るくらいなら、彼女の小さなワガママを叶えて死ぬ方がよっぽどマシだ。
可哀想なベルタ…自分のちょっとしたお願いのせいで恋人を死なせてしまうことになる彼女は、あの蒼い花を抱えながら、一生自分を責めていくだろう。
川を見るたびに俺を思い出し、蒼い花を見るたびに胸を痛めるベルタ。
これからもずっと、ベルタの心に俺の存在が、楔のように残り続ける。忘れようとしても忘れられないだろうし、この先どんな男がベルタに近付こうとも、貞淑な彼女は、一生俺に操を立てたままでいるだろう。そう考えると、これから死んでしまうというのに、何だか妙な幸福感で、心が熱くなるように感じた。
戦場で死ぬよりも、とても光栄なことではないだろうか。
瞼が閉じられていく。今も冷たい水の中なのか、もう分からないぐらい体の感覚は無かった。
ああ、俺の愛しいベルタ。俺のために泣いてくれ、俺をずっと忘れないでくれ。